(40)大祭壇

 翌日、異変を察知して動いたときには、既に周囲が技令の気配に支配されていた。

「ったく、こんな技令見たことねぇぞ」

 校舎を飛び出していく中で、渡会が吐き捨てる。広範にして重厚な技力は、少しずつではあるが確実にその空間の存在を吸い上げようとする。まだ大きな影響はないものの、これを放置すればどうなるか。

「間違いありません。このままでは夜には空間内の人々が殆ど死に至るでしょう。相当に強力な祭壇技令です」

 内田の言葉に背筋が凍る。脳裏を過った一文字も、外から発せられるものとでは意味合いが異なる。

「ねえ、水無香ちゃん、それでどこに走ってるの?」

 霧峯の問いに、内田は一瞬だけ息を呑み、答える。

「こうした広範の祭壇技令は同心円状に広がります。恐らく、技令の濃さから中心は浦上の北の方にあるはずです。そして――」

「そして、人々の信仰や祈りを多く集める場所と言ったら、平和祈念像か原爆落下中心碑のいずれか、ということだろう」

 内田の無言が、肯定を示す。

 司書の剣の支配を受けた後は内田の方がより的確に技令の分布を把握できるようになっている。それでも、土地勘や祭壇技令の特性を考えれば、私にも十分に推察が可能なことであった。

 昼休憩中に発動した技令に対して辻杜先生から指示が出たのは一時前であった。その時も、

「午後の授業は校長が何とかする。まずはお前たちで行ってこい。俺も長引くようだったらそこに行く」

と言っていたように、既に中心となる場所は把握できていたようである。

 高平の川沿いに差し掛かったところで、複数のレデトール人と遭遇する。これで何が起きているかはおおよそ判断できたのであるが、これを今上は川縁へと投げ飛ばし、

「行ってくれ、これくらいなら俺だけで何とかする」

そのまま戦闘に入った。これに木國もとっさに加わり、私達はさらに先へと急いだ。

 浜町、駅前、浜口と駆けていくにつれ濃厚になっていく気配が体力と技力を吸い上げていくのが分かる。それでも、足は止まらない。息が上がる。

 いよいよというところで、爆心地公園にレデトールの一隊と衝突する。大波止会戦の時よりも数は少ないが、滲み出る技力は強い。

「二条里君、ここは別れましょう」

「ああ。祈念像の方が大元だ。誰が行くか、だな」

 既に、水無香や霧峯は敵に斬り込んでいるが、ここに戦力を集中させるわけにもいかない。影響が大きいのは明らかに奥の方である。優先順位を誤ってはならない。

「二条里君、内田さん、霧峯さん、渡会君を連れて行ってください。ここは僕と水上君、そして、土柄君とで抑え込みます」

「いや、水無香はここに置いた方が……」

「二条里君も霧峯さんも渡会君も強力な切り札を持っています。しかし、それを的確に用いるには知識が必要なのではありませんか」

「なら、霧峯を」

「いえ。霧峯さんと二条里君はセットの方が力が増すようです。それに――」

 山ノ井が九つの技令を展開する。

「守りに徹すれば、十分に抑えられる。それを僕に教えて下さったのは、他ならぬ二条里君でしたよね」

 三歩前に立つ友は、凛として言い放った。それは見くびるようなことを言った私の横面を張り倒すかのようであり、私に彼の強さを改めて思い出させるものであった。

「水無香、霧峯、渡会、先へ行こう」

「先って、ここはいいのかよ」

「ああ。私達が本当に戦うべきはここじゃない」

 ガーラの杖を具現化させた山ノ井を見て、三人とも点頭する。ただ、その中で僅かに霧峯は山ノ井を見遣り、再び頷いた。

「大地を揺るがせ、人々を慄かせよ。その万力を以ってかの仇敵に鉄槌を下せ。サイクロプス」

 水上の咆哮を背した私達はさらに駆け、岡を跳び、青銅と石膏の織り成す平和の象徴の前へと躍り出た。


 暗雲垂れ込める低い空の下、両腕を伸ばした像は、男性然とした肉体を赤色に光らせる。立ち込める瘴気が黒い靄として覆い、闇夜を彷彿とさせる。その中心には男の影。その中空には、十字架のように掲げられた裸形。その有様は正に、生贄を捧げる祭壇を現に成すものであった。

「あれは、雨澄若菜」

 内田の驚愕に、男がこちらを向く。

「ほう、やっと来たか」

 地に棚引くほどの漆黒のローブは、男を実際よりも大きく見せる。息を呑む。

「大祭壇を前に溶けて消えるような輩ではないと思っていたが、存外に遅かったな、二条里よ」

 明らかに、男の目が私を見据える。その奥に見える黒い瞳は、遥か底に憎しみを湛える。

「なんだって、こいつを知ってんだ」

 渡会の問いに、一度睨みを利かせると、男は淡々と続けた。

「貴様は、我が仇なのだよ。誇り高き共和国軍人であった、弟の、な」

「おとう、と?」

「そう、我が名はグリセリーナ・デルミッション。司書の塔攻略作戦で戦没したハバリートの兄にして、レデトール共和国一佐である」

 ハバリートの名で、撃鉄が下りる。生々しい手の感触が蘇り、血肉の塊が脳裏を過る。

「ほう、その顔は覚えていたようだな。貴様が手に掛けた我が弟のことを」

「あ、う……」

「そう、弟は本邦の悲願であった地球制圧の先陣を務めることとなり、意気揚々と旅立った。丁度、今から三年ほど前のことであったか。弟は共和国軍人の中では秀才として知られ、我が一族でもいずれ将軍となるとして将来を嘱望されていた。模擬戦では圧倒的な強さを見せ、いくつの勲章を手にしたことか。常に弱きを助け、紳士的な軍人としてもその名を知られていた。それを覆したのが貴様だ。本体を失い、焼き爛れた肉塊として帰還した弟は、我が一族念願の准将となった。しかし、そのような帰りを待っていたのではない。私は、我が一族は、堂々たる凱旋を待ちわびていたのだ」

 力強く、しかし激昂することなく織り込まれた言葉が響く。そこに在るのは、私達と同じ。同胞への、家族への愛情でしかない。

「なるほど」

 だからこそ、水無香が一歩前へと歩み出る。

「ですが、私の一族を皆殺しにされた恨みは消えません。そちらにはそちらの正義があるように、私にも私の正義があります。あなた方に同情する余地などありません」

「ふん。元より貴様らと正義を語り合う心算などない。ただ、我らが正義を敷くのみ」

 グリセリーナが両腕を掲げる。

「さあ、我が祭壇の下、精々贄になるまでのひと時を抗うことだな」

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