(39)宿命の着火

 翌朝、最早日常となった少女の来訪を、私はいつものように迎えることができた。

「あ、元気になってる」

「まあ、色々とあってな」

 こうなったのは、山ノ井が私の戦う理由を思い出させてくれたからである。確かに、水無香と霧峯に対する悩みはなくなっていないが、結論が出ないものを悩むよりも今はやるべきことがあると居直ったのである。問題の先送りでしかないというのは分かっているが、そこで止まるのが一番の問題であった。

「じゃあ、水無香ちゃんに好きって言っちゃうの」

「いや、だから。色々あったけど、そうじゃない。それに、水無香とかの話をこれ以上続けるよりやらないといけないことが私にはあったんだ。戦いもそうだし、勉強もそうだ」

 少女の顔から表情が失われる。呆けた、とでも言うべきだろうか。しかし、それも一瞬のこと。

「そっか。博貴らしいな」

 笑顔に戻った少女は軽やかに囀る。

「でも、私、二人のこと応援してるから何かできることがあったら言ってよね」

「いや、うーん。まあ、いいか。それよりも、今日はどうしたんだ」

「うん。それがね、夢を見たんだけど」

 夢の話か、と僅かに思ったが、考えてみれば霧峯は時間技令の使い手である。それによる予知夢の可能性がある以上、私も無下にはできなかった。

「気になる夢だったのか」

「うん。それがね、博貴が私に襲ってくる夢、だったんだ」

 霧峯の一言に背筋が凍る。遠くを行くバイクの音がいやに楽しげに聞こえる。

「私が、霧峯を、だと」

「うん。私も飛び起きたんだけど、博貴の身体が紫の煙みたいなのに包まれて、急に。それで、技令とかでそんなことがあるのかな、って」

 霧峯の言葉に、混乱という言葉で返そうとしたとき、一振りの剣が脳裏を掠めた。

「まさか、司書の剣、か」

「えっ。司書の剣って、いつも博貴が使ってる剣のことだよね」

「ああ。あの剣は司書が持つ司書の証みたいなものなんだが、心が怒りに満たされた時には剣が持ち主を支配して暴走状態となってしまうんだ。そう、以前一度、それで水無香に襲われたことがある」

「でもそれって、回復できるんだよね」

「回復できないことはない。ただ、暴走中の相手を抑え込んで宝玉を破壊し、解呪の技令を用いる必要がある。これが相当に大変だったんだ。支配されている間は、技力や体則が強化されるからな」

 そこまで話をしたところで、水無香に事情を説明して部屋に呼んだ。宿題の途中であったようだが、霧峯の夢ということでぴんと来たらしい。

「それは困りましたね。私の時には陣形技令を使用できる博貴がいたので解呪できましたが、今の戦力では解呪ができません」

「え、解呪は水無香ならできるんじゃないのか」

「いえ。解呪は非常に特殊な技令です。円柱と一部の陣形と祭壇技令以外ではできません。傀儡技令が呪いに近いですが、博貴はこれを祭壇技令と円柱技令で解決したのを覚えていませんか」

 言われてみれば文庫本傀儡技令事件の際、私はその二つの技令で乗り切っている。その一方で、五大技令のうち時間と召喚技令を使える面子はいるが、残りを使えるのは私だけである。

「でも、水無香の時のように技令陣を書いてから使用すれば、誰かが使えるんじゃないのか」

「いえ。単純な図形であればともかく、八卦陣ほどに複雑な陣形技令となるとその技令に対する素養がない人間には制御ができません。つまり、博貴が支配された時点で打つ手がありません」

 付け加えれば、例外として勇者が存在すれば邪の力を払うことで解呪が可能であるかもしれないということである。雷技令はその派生であるが、それを用いる水無香をしても破邪の境地にはないそうだ。

「祭壇技令であれば、あの雨澄という技令士が当たりますが、彼女に頼んだところで無駄でしょう」

「子の前、私がボコボコにしちゃったもんね。こんなことならもうちょっと優しくしとけばよかったかな」

「いえ、同じことです。あそこで瑞希が痛めつけなければ私が代わって追い詰めていたでしょうから」

 女二人の話が物騒すぎる。北条政子の授業で女は怖いと宣った社会の先生の顔が頭を過る。

「しかし、司書の剣は私達の怒りを吸って呪いをかけるんだろう。なら、私が気がけて怒りを鎮めればいいんじゃないのか」

「いえ。瑞希の時間技令が見る予知夢は、千里眼よりも正確に物事を捉えます。言い換えれば、予知夢で見た内容は非常に高い確率で実現してしまいます」

「高い確率で、か。なら、その前後の動きとかって覚えてないか。何をしていたとか、どこにいたとか」

 私の問いかけに首を傾げた霧峯は、しかし、見る見るうちに顔を紅潮させ、珍しく押し黙ってしまう。

「何か思い出されたのですか」

「あ、ううん。そ、そんなによく思い出せないんだけど、大きな建物と公園がある山の中だったと思う。あと、博貴が私を突き飛ばしてから叫んで、襲ってきたと思う。うん、煙も博貴が叫んだ後に出てた」

「私が突き飛ばしたっていうことは、最初は私と霧峯の距離が近かったっていうことだよな」

 私の問いかけに、顔の赤い霧峯が目を丸くしたまま頷く。ここまで様子のおかしいのも珍しいが、それ以上に叫んだ後に出た煙というのが、水無香の時と同じ流れであるため実感となって私を苛もうとする。

「参りましたね。いつになるかは分かりませんが、そうなるまでに何かしらの手段を考えておかなければいけませんね」

「あ、でも、今より薄着だったし、半袖でもなかったから五月ぐらいじゃないかな」

「それでしたら、まだ猶予はあるのですが。とはいえ、予知夢も細部は変わることがあります。準備と覚悟だけはしておく必要がありますね」

 水無香の言葉に頷きながら、覚悟という言葉が頭に圧し掛かる。単純に考えれば手の打ちようがなければ私は排除されるべきなのであるが、やはりそのこと自体は恐ろしい。とはいえ、それ以上に恐ろしいのは霧峯や水無香を自分が傷つけてしまう可能性があることだった。

「そうだな。私も怒りに呑まれないように気を付ける」

「ええ。それよりほかに手段はありません。ただ、もしもどこかから『汝、逆らう事莫れ』という声が聞こえてきたら、恐らく逃れることは叶いません」

「逆らう事莫れ、か」

「はい。それが司書の剣に秘められた呪文なのかもしれません。その後、私の意識は私の精神の中を行くこととなりました」

 淡々と語る水無香は、それでも少し紅潮しているのが見て取れる。やはり、彼女にとってあの出来事は悔しさに満ちているのだろう。

「でも、水無香ちゃんは元に戻ったんだよね。なら、きっと大丈夫だよ」

「ええ、確かにそうかもしれません。そもそもが司書の剣に支配された人が元に戻った初めての例が博貴の目の前にはいるんです。もしもの時には、起こして頂いた奇跡をお返ししなければ申し訳が立ちませんね」

 少女の根拠のない自信に、珍しく水無香が賛同する。そして、それに縋りたくなる気持ちは私も同じであった。

「そう、だな。それを期待するしかないな。それに今は霧峯もいるし、水無香も強化されたし、色々と助けてくれそうな人も増えたからな」

「ええ。私の時とは条件が違いますから」

 彼女と二人で笑い、少女は目を丸くする。

「それなら、暗いことを考えるのは止めてお茶にしよう。昨日、ホワイトデーの試作でクッキーを作ってたんだ。感想を聞かせてほしい」

 私の一言に、二人して目を剥く。

「いいの、そんなのバラしちゃって」

「ああ。どうせ二人にも贈るんだ、なら、少しでも二人の好みに合わせたいからな」

 全く、という溜息を背に部屋を飛び出して階下へと急ぐ。冷汗の滴りを悟られぬように。

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