(42)英雄の凶刃

 剛腕を往なした渡会の着地と共に、三つの光が止む。それは、決してデルミッションの肉体を傷つけるには至らず、しかし、重厚な結界に僅かな綻びを与えた。


「ヒット・アタック」


 その小さな隙間に、少女の必中の一撃が刺さり、

「氷室の風」

彼女の技令がその巨体を縛ろうと送り込まれる。


「よもやこの祭壇の空間において時間技令と陣形技令を打ち込む余力があろうとは。なるほど、これだけの剛毅があれば我が弟が敗れたというのも頷ける。しかし、この祭壇が続く限り負けはない」


 デルミッションの言葉が脳髄に響く。冷淡な事実は頭痛となって表れる。消費した技令の重さは、元より技力の多くはない少女の方が大きかったようで、流石に息が上がっている。


「まだ、できる」


 それでも、最も少女は前を向いて戦おうとしている。


「若菜ちゃんのためにも、まだ」


 見据える先には磔の雨澄。この少女もまた誰かを救うために戦っている。この程度で私も音を上げるわけにはいかない。


「瑞希も思い切ったことをされましたね。この状況で時間技令をナイフに込められるとは」

「うん。だって、結界技令って上手くやらないと破れないもん。なら、私ができることは全部やらなきゃなって」

「全く、瑞希らしいご決断です」


 現状で最も余裕があるのは水無香だが、それでも、技力は既に四分の一ほど消費している。厄介な状況にあるのは渡会であり、技力を殆ど持たない彼は既に体力を優先的に奪われ続けている。それでも、果敢な打ち込みを止めようとはしない。


「さて、私に攻撃が届くことが分かったところで、大きく状況は変わらぬ。このような小刀でどうこうなるような状況でもないのが見えぬほど愚かでは無かろう」

「見えるかよ、んなもん。今見てんのは、てめえみてぇな薄汚ねぇ野郎じゃなくて、縛りつけられてる女だけなんだよ」

「ほう、一突きも届かぬ者が減らず口を」

「そりゃ、俺の一撃はてめぇにくれてやるもんじゃねぇからな」


 渡会の余裕はどこから来るのか知れたものではないが、それでも、それが私に冷静を与える。


 いずれにしても、この祭壇をどうにかしない限りは戦力差が開く一方である。こちらが失う力に対して、向こうが力を得続ける状況というのは覆せるものではない。そうなると、雨澄を十字の戒めから解き放つ必要があるが、その手段が思いつかない。寧ろ、直視すらままならない。ただ、このまま手を拱けば見える地平は一つしかない。


 打てる博打も少ないが、ここは打つしかない。


「来たるべき敵よりかの者を護れ。円陣」


 雨澄を中心に円陣を敷く。しかし、空間に変化はない。可能性を一つ潰す。


「ほう、贄を我より切り離そうという魂胆か。しかし、それが叶うのであればあのように放置はせぬ。黄緑の大地の恵みの力を得て、十字の力により祭壇と直結させておる。そのような小細工、効くはずがなかろう」


 頭痛が増す。それでも、一つだけ見えた光明。それを少女が見逃すはずもなかった。


「タイム・スピアー」


 投擲と同時に棚引く黒髪。


「若菜ちゃん、気付いて!」


 跳躍し、台座に至る少女。しかし、その肢体は微動だともせず、放たれるナイフもまた弾かれるばかり。


 水無香もまた剣で巨体に立ち向かう。渡会の攻撃に合わせて成される攻撃は、それでも巨漢を崩すには至らない。私も司書の剣を振るって先程の間隙を狙うが、そこから結界の解れが広がるということもない。


「ふん。解けぬとはいえ、五月蠅いものをそのままにはしておけまい」


 デルミッションが霧峯の方を向く。


「我らに降り注ぐ災厄を掃え。清らかなる力を以って邪を流せ。聖域の護り」

「かの者を生贄に、全てのものを奪い尽くせ、祭壇」


 詠唱と同時に台座の下へと駆け寄る。一瞬の遅れが、少女より技力を奪う。薄絹のような守りは虚しく輝き、少女は羽を失い、大地に向かう。


「霧峯、しっかりしろ」


 それを、すんでのところで受け止める。息が弱い。それでも、辛うじて意識はある。


「ひろた、か……」


 声に力がない。それでも、霧峯はそのナイフを離そうとしない。継戦の意志。届かぬ思い。


「霧峯、無茶するな。今は何もするな。何もしたらいけない」

「ごめん、ね。でも」

「心配ない。技力を失うのを恐れなければ、私が子供染みた恐れを持たなければ、元から苦戦する要素はなかったんだ」


 抱きかかえた霧峯を台座にもたれかからせる。精一杯の笑みが、今は何よりの力になる。両の足を立て、冷静にデルミッションを睨む。


 思えば、無意識に力を抑えていた。それは、敵へのある恐怖によるものであり、同時に、私が至りかねない地点への恐怖によるものでもある。そのようなものを投げ捨てて戦えば、決着も早かったのではないか。


 そして、戦い始めから続く違和感にやっと気づいた。やたらと続く挑発も、一つも変わらぬ空間も、彼なりに打った布石だったのだろう。


 ならば、攻め時を作るのは、私が担わねばなるまい。


「生娘はもう一人あれば十分。よもや手加減も必要あるまい」

「そうだな。私も出し惜しみをする必要はない。勝てば生き残り、負ければ霧峯と同じ憂き目に遭うだけだけだ」


 陣形技令を込めた司書の剣を手に突撃する。勢いは僅かにデルミッションを後退させ、台座との距離を取る。


「ほう、見上げたものだ。しかし、傷かつかねば同じこと。我が結界を破れぬ以上、貴様らの廃滅は明らかではないか」

「ああ。破れないのであれば、な」


 剣を構えながら、技令を練る。この状況を打破できる一撃を持つのは一人しかいない。だからこそ、今上も山ノ井も託したのだ。ならば、その託されたものを活かさねばならない。


 思えば簡単なことだったのだ。これまでの戦いで結界の破り方など承知していたはずだったのである。それを、我が身可愛さに奥へと仕舞い込んだ自分を叱る。少女の献身が、私を叱る。


「四方の兵よ、陰陽の理に従い仇敵に向かえ。全てを無に帰す根源への力を以って守り攻めよ。陰陽陣」


 全身から力が奪われるような感覚と共に、複雑な光陣がデルミッションを囲う。素性の分からぬ結界には、陰陽を織り交ぜて攻め立て崩すに限る。尹との戦いで学んだ在り方を、土壇場の私は華麗にこなそうとしていたのかもしれない。


 膝が砕ける。失われた技令の大きさに、身体が支えきれなくなってきている。しかし、ここで倒れるわけにはいかない。発動させねば、意味はない。


「全軍突撃」


 号令と共に発動した光陣は、周囲の紫煙を払い、圧倒的な光量を以ってデルミッションを制す。削られていく体力に、背中は冷汗に塗れる。


 それでも、見据える。無数の光の戦士たちの攻めは、やがて終息を迎え、再び見えたデルミッションの形相は厳めしいものに転じていた。


「結界に解れがあったとはいえ、まさか、一度は破られるとはな。しかし、この大祭壇の回復がある限り」

「おっと、そりゃもう終わりだな」


 後方から、響く渡会の声。私と共にデルミッションと対する水無香と異なり、渡会は私の突撃と共に、秘かに台座へと向かっていた。


「わりぃな、化かし合いは俺も好きなんだ」


 向かおうとするデルミッションを水無香が横ざまになぎ倒し、私も真正面から突進する。


「乖離点一破」


 十字架の中心よりもやや右下に放たれた一突きは、周囲を巡る技力の流れを崩壊させ、周囲の紫煙を霧散させる。只管に封印され続けた色彩法の奥義は、祭壇の世界を打ち砕き、雨澄を贄の束縛より解き放つ。崩れる彼女を受け止め、その場に横たえた渡会は黄緑の宝石を手に戻る。


「貴様、この一瞬を狙っていた、というのか」

「まあな。使っちまったら警戒されちまうし、目の限界考えたら、そう何度も使えるもんじゃねぇからな。でも助かったぜ、この石っころとの併せ技って分かんなかったら、もっと時間がかかってた。教えてくれてありがとさん」


 デルミッションの表情に憤怒が浮かぶ。見れば祭壇の維持と結界の維持とで向こうも技令の消費が大きい。そして、体力も僅かではあるが、陰陽陣で削れている。


「この星の祈りを天上より捧げよ。落雷」


 水無香に躊躇いはない。雲を貫く天上の光は巨体を射止め、その咆哮が轟く。


「閃光剣」


 硫黄の混じった肉の焼ける香りの中へ飛び込む。渾身の力を以って振るった一撃は、デルミッションの右足に深く食い込み、終にはそれを切り落とす。崩れる巨体と、溢れる血を振り返り見据え、正眼に構える。


「これが、殺す、ということだ」


 冬の森でかけられた呪いが脳裏を過る。しかし、目の前の巨躯は傷つきながらも腕を伸ばそうとする。その先には二人の少女。


「せめて、一人、でも」


 考えるよりも先に、風を以って飛び上がり、その背に剣を突き立てる。力強い鼓動が剣を通して伝わり、それがデルミッションの生を主張する。


「おの、れ……おとう、とに、あきた、ら――」


 剣を捻ると同時に血が吹き出し、私の顔と両手を濡らす。生暖かさに誘われ、熱くなる目頭が抑えられない。そのような私を嘲笑うかのように、か細い鼓動はやがて失われ、その巨体は人型へと戻る。鍛えられた肉体を足下にした私は、成す術もなく手を合わせて頭を垂れた。

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