(37)解かれた封印

「なるほど、君が来るのは分かっていたが、そうした悩みで来るのが本当だったとは、少し驚きだ」


浜町の外れ、メルカ築町近くの一角にある薄暗い部屋の中で私は再び占い師オピリスと相対していた。

占いは未来を見るものだということを知りながら、何故かこの混乱する頭を整理できる相談相手は彼女しかいないと感じていた。

香の甘さが鼻を突く。


「しかし、占い師は恋愛相談を受け付ける場でないことを君は知っているだろう」

「い、いえ、恋愛相談という訳では」


言いながら、不敵な笑みを湛える女性に息を呑む。


「口では否定していても、頭では分かっているということだろう。顔をそれだけ赤くすれば、占い師でなくとも分かるというものだ」


確実に、弄ばれている。

そう思いながらも、逃げ場がないのは事実である。

こうした話を軽々に知り合いへと話してしまえば、漏れ出てしまうことは必定である。

そのような恥ずかしいことはできない。

では、全く知らない人間に相談するのもお門違いというものであり、そうなると先が見える彼女が最適であると一晩考えて乗り込んだのは私自身である。

休日の朝の恒例行事となりつつある少女の襲撃を避け、図書館へ行く彼女を受け流して至ったのにはそうした事情がある。


「結論から言ってしまえば、どのような結末になるかは未来視で分かる。ただ、それでは恋愛の楽しみもないだろう。存分に悩むと良い」


だからこそ、強い決意を打ち砕くこの一言に、私は茫然となってしまった。


「でも、それでは」

「ああ、君の言いたいことは分かっている。だから、ただで帰すつもりはない。君に二つのものをあげよう。まずは、自分の気持ちに素直になることだ。相手のことをどのような立場でどのような相手として見ているのかを考えて、それに従って動けばいい」

「ただ、それが正しいなんて」

「恋愛に正しいも何もない。思いが届かないことも多い。それでも、自分の気持ちに嘘を吐くことだけはあってはならない。だから、精一杯悩んで出た結論に従って、自分の気持ちに素直になればいい。それで砕け散るか実を結ぶかは分かっていても伝えるつもりはないが」


悠然と構えるオピリスの一言は、明らかに占い師としての矛盾を孕んでいる。

しかし、今の私に言い返せる言葉の持ち合わせはない。

恐らく、ここでどのようなことを言ったとしても、それこそ砕けるだけである。


自分の決意がいかに無駄であったのかを痛感していると、一瞬、鼻で笑う声がした。


「ただ、見えなくなっているようだから、二つ助け船を出そう。君の悩む内田君も霧峯君も、君に対して悪い感情を持っていないのは確かだ。自分の気持ちが邪魔をして見えなくなっているかもしれないが、それは頭に置いて損のないことだろう。そして、君がどのような決断をしても、何らかの傷を他者に与えるのは変わらない。ただ、君が決断をしないことが、最も多くの人に傷を与える未来になることを加えておこう」


少し、気が軽くなって、また重たくなる。

ただ、元々からして自分のことを人に相談しただけで解決できる、などという慢心を抱いた自分がいけなかったのだろう。

目の前の女性は表情も姿勢も変えずにそこに在る。

それを責めるのはお門違いも甚だしい。


「さて、もう一つはこれを君にあげよう」


そう言ってオピリスは一つの技石を置いた。

白色の卵型のそれは真直ぐに立ち、それだけで何か異様なものを感じさせるには十分である。


「偶然、骨董品こっとうひん店で見かけたのだが、買ったその日に君に渡す夢を見た。だから、これは君が持つべきものだ、二条里君」

「これは、技石なんですか」

「ああ。コロンブスの卵と言われる技石だ。別名、英雄の卵とも言われる」


英雄、という言葉に胸が鳴る。


「君はアメリカに辿り着いたコロンブスが、卵を立てて見せたという話は知っているかな」

「ええ。ただ、あれは作り話なのではないのですか」

「ああ、あの話自体が真実であるかは分からない。ただ、彼がこの技石を手にして偉業を成し遂げたのは事実だ。だからこそ、技令士の間では作り話の表題を受けてこのように呼ばれている。この卵の持ち主は、いい意味でも悪い意味でも歴史に名を残していて、チンギス・ハーンはこれを二つ持ち、二十世紀にはヒトラーとスターリンが手にしていたという。人から人の手に渡っていくこの技石は、そうした思いを集めながらやがて二人の英雄の下にもたらされる。その一つを、君は持つべきだ」


見ればその技石は仄かに乳白色の光を湛えている。


「ということは、これを持つことで英雄としての力が与えられるということですか」

「いや、そうではない。この技石が持つのは、その人が持つ英雄としての宿命のスイッチをオンにすることだけだ。言い換えれば、封印されたものを時宜じぎに合わせて開けるに過ぎない。英雄としての因果がなければ、持っていても大した意味はないということだ。そして、君には英雄の影が見える」


オピリスの一言に、意図せぬ形で思考が明瞭めいりょうとなる。

これまで付き従ってきた英雄という言葉が大きくなるような気がして、背が少し震える。


「恐らく、君の前世が英雄か英雄にゆかりのある人間だったのだろう。恐らく、それほど強ければ夢で見知らぬ男の夢を見ていると思うのだが」


さらに身体が強張こわばる。

霧峯と出会った日に見た男の夢。

まるで、心を全て見透みすかされたような感覚は恐ろしく、同時に、これが千里眼かとうなずく。


「ただ、戦いの行方ゆくえを決する前に、君の思いを決しておくべきだろう。心の乱れは技令の乱れに繋がる恐れがあるのだから」


オピリスに促されて、席を立つ。

コロンブスの卵を鞄の中に詰めて玄関へと少し急ぐ。


「また、悩んだら来るといい」

「来ると分かっているんですよね」


オピリスの一言に返す。

千里眼があるわけではないが、このような言い方をされた以上、見える未来は一つしかない。

ただ、そこに在る悩みが見えるオピリスと私との間にある溝は大きい。それが余裕の笑みの裏側にあるものなのだろう。


ドアに手をかける。

取っ手を下ろし、押そうとしてその軽さに少し身がよじれる。


「あ、博貴」

「霧峯、こんなところで」


呆然ぼうぜんと見つめ合った私たちに、後ろの女性はくすりと笑った。






アパートを逃げるように出た私は、霧峯にもオピリスにもろく挨拶あいさつもできていなかったと気付き、振り向いて見えたドーナッツショップに悪態をついた。


「こがんとこで、なんばしよっとね」

「母さん、内田、何でここに」


そのような時ほど、見つかりたくなかった相手に見つかってしまうものである。

私の問いかけに答えるよりも早く、母さんは私たちを連れて喫茶店へと入った。


仲見世八番街なかみせはちばんがいの二階にある店の中で、頭を向けて過ぎゆく人々の姿を眺めながら私は運ばれてきた紅茶に口をつけた。

隣には、母さんから渡された大きな荷物。

二人で買い物に出ていたところを見つかってしまったということだろうか。

向かいでは、内田がウィンナーコーヒーに苦戦し、母さんはウィスキーの少し入った紅茶を優雅に楽しんでいる。


「修学旅行のあっけんが買出しに出とったら、どっかばほっつき歩いとると思うとったあんたのおったけん、丁度良かった。こんまま帰っとやろけん、持って帰っとって」

「それはいいんですけど、先に言ってもらっておけば、予定ぐらい空けておきましたよ」

「言う前にあんたが出たとやかね。どーせ、しょんなかことで悩んでから、どっかばほっつき歩くとやろうと思ったけん、何も言わんかったったい」


琥珀こはくを基調とした店内に轟く長崎弁は中々に異質だ。

いや、そもそもこの空間に中学生が二人もいること自体が異質だ。

その異質の中で堂々とできる母さんはやはり英雄なのかもしれない。


「博貴も悩まれることがあるんですね」

「なんば言いよっとね。今でこそこがんばってん、昔は何もできんで、ようこがん隅っこのほうで頭ば抱えよったっちゃけん」


 私の恥ずかしまぎれの咳払いに、母さんはちらとこちらを見るも気にする様子はない。


「こいのね、水無香ちゃん。こがん小さかときに福田ん遊園地でお化け屋敷に入ったとよ。怖がりのなんばしよっとやろかと入り口んにきで待っとったら、すーぐ、入り口から泣いて出てきよったとよ」

「母さん、内田に情けない話をするのは」

「なん、きどっとっとね。ぜーんぶ、あんたん昔んことたい」


笑いの止まらない母に対して、内田は複雑な表情をしている。

私に対する申し訳なさそうな半分と私の駄目な部分を聞いてたのしそうな半分が絵の具のように混ざりあっている。


「ん、そう言えばあんた、いつまで水無香ちゃんば苗字で呼びよっとね」

「いや、内田は内田じゃ」

「なーん。そいやったら、あんたば二条里くん、って私も呼ばんといかんとね。なんば言いよっと。一つ屋根ん下に住んどっておかしかたい。下ん名前で呼んじゃらんね」


母さんの一言に、思わず内田と見合わせる。


ホイップクリームを上唇につけたまま、内田が硬直する。

僅かとはいえ酒の入った母さんよりもほのかに頬を赤らめているのは、その姿への恥ずかしさか。


「分かった。そがん他人行儀で呼ぶようやったら、お母さんに言わんね、水無香ちゃん。ひろの恥ずかしか話ばいつでも聞かすっけん」


着実に攻め手は私を詰みに来ている。

将棋であれば潔く投了するべき局面なのかもしれない。

それでもなお抵抗を試みようかと思ったのだが、内田の笑みにその思考を止められる。


あの不敵な笑みは、明らかに不穏だ。

悪戯を思いついた子供のようなその表情は、明らかに母の提案に乗っている。

私の弱みを握って何をしようというのだろうかとも思うのだが、覚悟を決めるより他にない。


「わ、分かったよ。母さん、う」


長い習慣というのは恐ろしい。


「水無香、って呼べばいいんだよな」


口にして、撃鉄が落ちた。


脊柱を走り抜けるものがあるのを感じる。

昨日持ち込まれた悩みの先に、このような事態を持ち込むのは反則である。

ただ、呼び方を変えただけである。

とはいえ、今までに名前で呼び合う仲の相手などいなかったこともあり、自分の中でどうしようもないものが膨らんでいくのを感じる。

間に堂々としていたはずのテーブルはこんなに小さいものだったのかと驚かされる。


「うん、そいでよかね」

「だから母さんも。水無香、にこれ以上色々と話すのは止めてほしい」

「覚えとったらね」


私の覚悟は何だったのだろうか、と溜息を吐く。

酒が入った大人との約束などどこまで信用できるのだろうか。

飄々ひょうひょうとする母さんの横で、両手でカップを持った水無香がゆっくりとコーヒーに口をつけている。

殊更ことさらゆっくりと時間が流れているように感じるのは、私自身の問題なのか、それとも私を脅す手段の一つを失ったことを惜しむ水無香の問題なのか。


「後はなんば買わんばとかいね。鞄も外着も寝間着もこうたけん、靴下とかばこうとかんとね」


散々にき乱した当の本人は、既に別のことに思考が飛んでいる。

ただ、往来の人々の頭頂が私に向いているような気がして私は気が気ではなく、彼女もまた心ここに在らずといった風で、互いに崩れた福笑いのような顔をそこに並べるより他になかった。

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