(25)発端

翌九日朝、結局あの後、午前六時まで学習と科学研究の友にさせられた私は、しかし、その二時間半後には例の如く少女の奇襲を受けた。

無論、反駁はんばくも沈黙も効果などなく、立春を過ぎたとはいえまだまだ厳しい寒風を、早々と放り投げられることとなる。

ただ、唯一の救いであったのは、今日の私には早々に共有したい話題があり、故に、私の気分もそう悪いものではなかったということである。


「あはは、やっぱり水無香ちゃんって可愛いよねー。いいなー、そんな水無香ちゃん見られるなんて」


昨晩というよりも先程の内田の様子を聞いて、霧峯が幸せそうに笑う。

その顔には一点の曇りもない。

それこそ、このような話を聞けばどこかに嘲笑ちょうしょうの陰りが見えるのであるが、この少女にはその点も見えない。


「もー、早く言ってくれたら、私も手伝っちゃうのに」

「いや、それは止めた方がいいぞ。実験台の試食で意識が飛びそうになった」


純粋に笑う霧峯に対し、純粋に笑えない自分。

少なくともこの差は内田に対するイメージの差というよりも、現実を把握しているかの差である。

現実を直視する能力さえあれば、それがいかに自らの命を削る行為であるかを判別できる。


「で、今日は何をしようって言うんだ。買い物なら、寒いからパスさせてくれ」

「ううん。今日は一緒に勉強しよって。ダメかな」


思えば、今日の少女は鞄を肩にかけて襲撃してきた。

四角の角がところどころに見え隠れする。

だからこそ、私は一瞥いちべつもなく立ち上がると、少女をその場に残そうとする。


「あれ、どこか行くの」

「待っとけ。勉強するんなら、茶が必要だろ。だから、茶会の準備をしてくる」


少女が明るく微笑む。

それだけで、私は高揚と共にキッチンへと向かった。




昼過ぎ、脳髄のうずいが相当に煮詰まったところで霧峯が伸びをしながら炬燵こたつに転がった。

時計は二時を回っており、試験前だというのに図書館へと旅立った内田ももう帰る頃である。


「んー、やっぱり、証明ってメンドイなー」


満員電車のように文字の押し込まれた数学のノートを眺めつつ、少女は数学に悪態をつく。

その横で淡々と証明問題を解き進めようとするのであるが、いかんせん、こちらも思考力というものは皆無に近い。


「そういえばさ、博貴は辻杜先生から何か聞いた?」


唐突に霧峯がこちらを向く。

少女の問いかけに、思い当たる節は色々とあるものの、しかし、少女の求めているであろう話は出てきそうもない。

唯一思い当たるとすれば戦闘に関するものなのであるが、それも、最近は特に大きな問題がない。

一週間前の死闘が嘘であるかのように敵・味方共に静まり返ってしまっている。

だからこそ、少女の何気ないと思われる問いかけが酷く重いもののように感じられた。


「いや。特に何も聞いてないが。何かあったのか」

「うん。新しい戦闘訓練思いついたって言ってたから、博貴なら聞いてるかなって」


言の葉のやぶをつついてみたら、とんでもない蛇が出てきた。

いや、下手すればもっとおぞましい何かなのかもしれない。


「そんなの何も聞いてないぞ。第一、辻杜先生の戦闘訓練なんて、今まで死者が出なかったのがおかしいぐらいのものだ。知ってたら、既に動き始めてる」

「あー。じゃあ、少しでも知ってること教えた方がいいよね」

「ああ。その様子だと、霧峯も聞かされたというより、聞いてしまった、という方が近そうだな」


私の一言に頷いた少女が語ったのは以下の内容であった。


まず、戦闘訓練は基本的に二人一組のペアを組んで行うようである。細かい理由までは分からないが、連携を含めた戦闘力の強化が主目的ではないだろうか。


また、戦闘訓練ということで実戦が前提ではあるようだが、その実が見えてこない。

逆に言えば、今までの戦闘訓練は訓練の名を借りた実戦であった。

つまり、敵が明確に存在したのである。

それが、今回に限ってはない。

むしろ、あればこんなに悠長ゆうちょうな訳がない。

今に召集を喰らうのは明らかである。


そして、その予定となっている期間が明らかにおかしい。

学年末試験を週明けの十二日から控えているのであるが、その訓練期間とされているのが明日、十日とのことである。

事前通告なしに試験期間無視というあまりにも学生の思惑を無視した話であるのだが、辻杜先生であれば有り得ない話ではない。


霧峯の話を聞き終わると同時に、電話が家中を揺るがす。

まさか、という思いに揺れつつも、静かに受話器を取る。


刹那せつな、母の声に安堵あんどし、用件を終え受話器を置く。

タイミングが悪いことこの上ないが、不安が現実にならなかっただけ良しとしよう。

不安な面持ちでこちらを見ていた霧峯も穏やかな表情に戻る。


「緊張して腹減ったから、いい加減、昼にするか」

「いいですね。良いタイミングで戻ってきたようです」


と、気が付けば帰宅した内田が玄関で靴を揃えている。


「あ、水無香ちゃん、おかえりー」

「瑞希、いらしていたのですね」

「うん。数学分かんなかったし、テスト前だったから」

「そうでしたか。それでしたら、少し手間が省けました。博貴も瑞希も明日は勉強に時間を割けませんので、今日のうちに宿題を片付けておいてください」


内田の一言に脳が素早く覚醒する。

根拠はない。

ただ、このあまりにも良すぎるタイミングと内容に、違和感は自然へと昇華する。


「帰りがけに、辻杜先生と会いました。明日と明後日で特別訓練を行うそうです」


淡々とした一言に、思わず霧峯と見つめ合う。

昼過ぎの間延びした空気が、わずかばかりねたましかった。




「簡単に言えば、共闘訓練です。ただ、先生としては先の戦闘での教訓を基に、各個人の戦闘能力に加えて共闘した際の相性のようなものも確かめたいようです」

「でも、それならこの前の戦闘である程度見えたんじゃないのか」

「いえ。あの時は博貴が間に入ったので、やや不十分と言えるのではないでしょうか。それに、辻杜先生はそこに、他のグループの方を巻き込んでの『他流試合』も行いたいようです」

「他って、そんな都合よく」

「本来ならばそうです。ただ、渡会さんのご友人である稲瀬さんという方から芋蔓式に広がったようです」


ああ、そういえば一月にそんな話も聞いた気がするな、としみじみ思いだす。

そうなると、渡会のパートナーは彼女なのだろう。

無論、会った事などないが、渡会の話を聞く限りこれ以上のペアはないだろう。


「そして、これが頂いた組分け表です」


そう考えているうちに、内田が一枚の紙を机上に広げる。

組み分けは二つに分かれており、一つは二人一組のペアによる組分け並んでいる。

内田と山ノ井のコンビを筆頭に、強烈な異彩を放つアレックス・ボブコンビ以下知った名前と見慣れない名前が複雑に組み合わさりながら並んでいる。

そして、その末尾に私と霧峯の名前があり、介錯辻杜という物騒な四字熟語が添えてあった。


「解説辻杜と打とうとして間違えたのを気に入り、そのままにされたそうです」


内田は何の疑いもなく聞いた話で答えるが、恐らくなかば本気で書いているのだろう。

介錯がいるつもりで、本気で戦え、と。


「それより、気になるのはこちらの団体戦の方です」


内田の一言に併せて、三人で視線を下に向ける。

そこには、より大きな枠で団体戦の組み合わせが記されてあった。

団体戦は四つの隊に分けられており、大将と参謀に他の隊員が続く形となっている。

私は霧峯が大将の三班の参謀役として配置されており、それ以下は今上と一年生の面々が続く形となっている。

同様に、第一班は内田を大将に山ノ井が参謀、第二班はボブを大将に一年の大崎が参謀、そして、第四班は上の方で水上とペアを組むこうを大将に参謀いんという文字が並ぶ。


「話によると、参謀は陣地外での戦闘には参加できず、基本的には指揮と陣地構築しかできないようです」

「じゃあ、博貴はお留守番ってことね」

「ええ。その分、瑞希隊への攻め側は防御陣地を越え辛いでしょうね」


内田も霧峯も好き勝手に感想を述べるが、正直なところ考える側は変化に即応できない点が不安である。

それに、山ノ井指揮下には水上、大崎指揮下には渡会があり一筋縄ではいかず、尹指揮下は能力不明者が多い。

単純に攻める訳にはいかなかった。


「まあ、いくら考えてもやってみないと分からないな。腹をくくるか」


私の一言に霧峯は笑い、内田は呆れる。

この対比がある意味ではペア決定の決め手であったのかもしれないなどと思いつつ、静かに揺れる外の枯葉に目をるのであった。

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