(18)少女の願い

翌朝早く、何とも無しに辻杜先生と面会した。


「お前がこの時間から来るなんて、珍しいな」

丁度、早朝の一本に火を点けるところであった先生は、私の方に目をやると深く息を吐いた。


「カルビン先生のことか。それとも、霧峯のことか」


先生が前置きを全て廃して、単刀直入に話を切り出す。

普段は静かに話を聞いてから切り捨てる先生が最初から話を切り出してきた以上、私の表情は相当に酷いものであったのだろう。


「まあ、良いだろう。先ずはカルビン先生、否、キルキス家についてだ。カルビン先生のご両親であるキルキス夫妻は我々の世界では相応に名の知れた存在であった。夫であるラター・キルキスはアメリカでも屈指の技令銃の使い手で、俺も一緒に戦ったことがある。技令銃は銃弾に技令を籠めることでその弾道をある程度まで操作し、その威力を増幅させる攻撃方法なんだが、三キロ以上の距離を『直線』で維持できる銃士など他にいない。それ程の名士であった。だから、俺も驚いたもんだ、去年の九月に殺されたという情報を耳にした時には、な」


先生の声色に表情はない。

喜色は前面に浮かべるにも関わらず、悲しみは深い所へと隠しこんでしまう先生は、こんな時、表情を消してしまう。


「レベルは丁度、今のお前達より二回りほど上といったところか。それでも、並みの使い手であれば十分に撃退できる。だから考えたんだろうな、それよりもまた二回りはレベルの高い霧峯夫妻が襲ったと」

「先生、細かいことは分からないんですけど、霧峯の両親も技令士だったんですか」

「いや、父親は銃を得意とした体則士で、母親だけが時間技令の技令士だ。だが、この両親も九月に殺されたという話だ。霧峯が日本に戻ってきたのは、保護に成功した霧峯の祖父が結界の展開しやすい場所で護る為、という話だ」


霧峯の御祖父さんといえば、あの凄味の利いた老人であろう。

会ったのは一度きりであるが、


「孫娘を、瑞希を宜しく頼んだぞ」


などと言われたものだから、酷く強烈な印象が残ってしまっている。


「というより、先生に霧峯の両親云々の話をしましたか」

「いや。ただ、俺の知っている情報とお前が今来たということを考えれば、この流れで霧峯が襲われ、一人で追いかけて状況を知った二条里がどうしようもできずにいるというところだろうと察しが付く。そして、ここまで話したが、お前はどうするつもりだ」


先生が深々と息を吐くと、一面に白い煙が広がる。


「悪いが、俺が介入すればあのカルビンとかいう青二才を消し炭にして終わらせる。俺の生徒に手を出す以上、当然の仕打ちだからな」

「先生、平和裏に終わらせるという選択肢はないんですか」

「だから、お前が戦うんだろう。何、銃自体はそう大したモンじゃない。要は躱すか勢いを殺すか、だ。それよりも重要なのは、お前の身の振り方だ」

「身の振り方、ですか」


私が首を傾げると、先生がニヤついた表情でヒッヒとやや気色の悪い声を上げる。


「まあ、それが青春というものだよ、二条里君」

「何なんですか、それは。というよりも、じゃあ、どうすればいいんですか」

「そうだな。俺が何か教えるよりも、こっちの方が良いだろう。二条里、明日、霧峯とここに行ってこい。占い師なんだが、ただの占い師じゃない。そして、お前はもう少し考えろ。人に霧峯のことを聞くより先に、お前はもう少し周りを見てみろ。それで、状況を判断してみろ」


そう言うと、先生は煙草を灰皿に押し付け、私に背を向けた。

ただ、一枚の紙切れを残して。






翌日、例の如く部屋へと不法侵入してきた霧峯と、それに反応して飛び込んできた内田の二人を連れて例の占い師を訪ねることとした。

正直、こんなことよりもむしろ、次の闘いに向けての鍛錬をしたかったのではあるが、他ならぬ辻杜先生からの指示である以上、無下にする事などできなかった。


「でも、博貴が占いに行こう、なんてどういう風の吹き回しなのかなあ。そういうの苦手そうなのに」

「ええ。第一、占いというのは一種の技令による未来予知です。それ以上の意味はありません」


だから、霧峯と内田から良い様に言われようと、気にするつもりは毛頭ない。

仮令、内田がジト目で私を見ていようとも、仮令、霧峯が能天気に笑っていようとも、仮令、街行く人々に好奇の目で見られようと、指定されているメルカ築町近くのアパートの一室まで直走る。


「それで博貴は、このような裏路地のアパートの一室に占い師がいるというのですね」


内田の棘のある言葉を飲み下して呼び鈴を押す。

古い県営アパートのような佇まいが、おどろおどろしさを増幅させる。

県営アパートのような佇まいが、日常性を回復させる。


「はい、お客様ですか」


だからこそ、奥から背の高い長髪の女性が出てきた瞬間には、思わず息を呑んでしまった。



三人で中に上がらせてもらう。

雰囲気自体は普通の襤褸アパートなのであるが、中にある水晶等の調度品がやはり、占い師の部屋なのだと痛感させる。


「こういったものを置いていた方が雰囲気が出るので、置くようにしている」


身も蓋もないことを直後に言われたのであるが。


「それで、誰から占うようにしよう。流石に、君達のような変り種を三人も同時に占うような真似はできないが」

「なら、言い出しっぺの私から占ってもらうよ。待ってる間に、後の順番を決めておいておくれ」

「うん、分かった」

「分かりました。ご武運を」


武運も何もないと思うのだが、二人に手を振ると、私は女性に誘われるまま奥の部屋へと導かれた。


「それで、君は何を占ってもらいたいのかな」


室内に焚かれた香が鼻を突く。

甘さと煙たさを孕んだ気が充満し、それだけで、異世界へと誘われたかのような感じを覚える。

だからこそ、そのまま引き摺られまいとしてやや挑発を意図して口を開いた。


「私は元々、占い等を信じるような者ではありません。ですから――」

「君なら、そう言うと思っていた。だから既に、君が霧峯君に向けられた殺意をどう躱すかを思案し、どうするべきかを尋ねてくると分かっていたから、その答えは準備ができている。今週の金曜の決戦に向けての指針を与えよう、二条里博貴君」


霧峯の名前が出た瞬間、私は完全に動揺してしまった。

未だ、霧峯の名前は一切出していない中での一幕である。

確かに、先生が先に来て全てを話していればあり得る話なのであろうが、先生に決戦の話はしていない。

である以上、その能力を認めざるを得なかった。


「共通の味方を引き寄せる。徒党を組んで決戦に挑む。技令は陰陽両極に苛まれると弱い。そして、霧峯君に事の真相を話す。それだけの条件が揃えば、三度の未来視で敗北に終わった君に勝機が出てくる」

「技令、って貴方も技令士なんですか」

「私は単に千里眼を有するだけだ。君のように戦うことはできない。技令士といっても、そこが君達とは違うところだ」


女性は悠然と言葉を吐く。

暗褐色の腰まであろうかという長髪が空間に重みを与え、しかし、透き通るような白色の肌と一点の光を灯す褐色の瞳が確かな存在を与えていた。


「君に話せることは以上だ。霧峯君を呼んできたまえ。また何か悩むことがあれば私の下に来るといい。言わずとも来ることになるだろうが」


淡々と終わりを告げた女性の言葉に、私は一礼して素直に席を立つ。

その時、女性はああとつぶやいて、


「申し遅れた。私はオピリス・ハイナー。また会おう」


と、やはり抑揚のない声で見送った。




控室に戻り、霧峯を案内してから内田と向かい合うようにして座る。

彼女は既にこの技令の気配を濃厚に感じているのか、先程から技令の放出を厭わず臨戦態勢に入っている。


「内田、すぐに臨戦態勢に入る癖は止めてくれ。幾つ命があってもそれだと持たない。それに、普通の技令を使った占い師だから大丈夫だ」

「ええ、そのように分かっていましても常に緊張を持っておくのが技令士の基本です。博貴の御人好しは分かりますが、逆にそれでは命が幾つあっても足りなくなるでしょう。それで、博貴はどのようなことを占ってもらったのですか」

「うーん、それは後で話すことにしよう。三人揃ってからの方が話し易いしな」

「そうですか。ではやはり、博貴が占ってもらったのは一昨日の戦闘に関する事だったのですね」


内田の不意打ちに、思わず声を漏らす。


「な、気付いてたのか」

「ええ。二人して技令の気配を出せば流石に気が付きます。何をどのようにされていたのかは存じませんが、恐らくカルビン先生と戦われたのでしょう。それも、私がいればエミリーを巻き込むと判断し、お二人だけで」


薄々感づいてはいたが、内田は今回の件について相当に立腹している。

昨日は兎も角、今日に至っても機嫌が悪そうだったので何か別の件で怒っているのかとも思っていたが、やはり、悪い予感は的中してしまった。


「ええ、ですから今回の件につきましては直接関与することはありませんので、どうぞ、御安心下さい。少なくとも、お二人で赴かれる戦いに参加することはありませんので、今回は応援に徹する事にしましょう」


完全に怒っている。

無表情を通り越した幽かな笑みは、この薄暗い空間と相まって見事な重圧を与える。

少なくとも、一昨晩の早計を反省するには十分な力を備えていた。

ただ、このままの状況で安易に謝っただけでは事態は好転しない。

である以上、とりあえずこの重たい空間を解放するため、話題を逸らすことに集中することとした。


「その件については悪かった。今度からはきちんと相談する。で、話は変わるけど、内田は何を占ってもらうつもりなんだ。付いてきてるんだから、何か占ってもらうんだろ」

「いえ、何も占って頂くつもりはありません。ただ、占術を主とする技令士というものを見たかったものですから、私は付いて来たまでです」

「でも、それなら何か占ってもらった方が良いだろ。そっちの方が技令士としての能力を見られるんだから」

「ええ。でしたら、明日の天気でも占っていただきましょう。確実に当てられれば、それだけで十分な能力ですから」

「その天気を見るだけでも、私の小遣いが千円も飛んでいくんだけどな」

「それくらいは授業料として妥当な金額でしょう」


その授業料を払うのは私なのだが、などと思ってはいても、この状況でそれを言うことなど流石にできなかった。

ただ、全力ながらか細い声ではい、と答えるのが精一杯であり、霧峯が戻ってくるまではご機嫌斜めの内田と無言で相対するしかなかった。


「ごめん、ごめん、遅くなっちゃった」


故に、霧峯に選手交代した瞬間、私は脱力してしまった。


「うーん、やっぱり占いってすごいよね、って、だいじょうぶ、博貴」

「ああ、一応な。で、霧峯はどうだったんだ、占い」

「うん。それで、ちょっと聞いてほしいことがあるの」


少女はそう明るく言うと、ご自由に御飲み下さいとある冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いでから席に着いた。


「聞いて欲しい事って、何か大切なことなのか」

「うん。私のお父さんとお母さんがいないことと、博貴に手伝ってほしいことかな」


突然の告白に、私は思わずハーブティを持ったまま固まってしまった。少女の様子は普段と変わらない。

それでも、その後に出てくるであろう話は、明らかに太陽のような輝きで話せる内容ではない。

それでも、少女は笑顔そのままに続けた。


「私のお父さんとお母さんね、去年の九月十一日に殺されたの。すごく強い、技令士に襲われて、負けちゃって」


少女の手に持った黄色いプラスチック・コップの中で色の薄い白が穏やかに広がっている。

ただ真っ直ぐに私の瞳を見詰めながら、その笑顔を崩さず少女は続ける。


「すっごく悲しくて、その時は私も泣いちゃったんだけど、後からおじいちゃんに、お父さんとお母さんが私を守ってくれたって聞いて。だから私、戦うことにしたの。すっごくつらくて、すっごく大変でも、お父さんとお母さんのために戦うことにしたの」


少女の口調は変わらない。

ただ、変化しているのは私の方だ。当人から改めて聞くと、重みが違う。

何よりも、悲しい現実を話しながら霧峯は笑顔を保っている。

それも、自暴自棄になった笑顔ではなく、どこか、遥か遠くを見据えているかのような笑顔を。


「で、私に仇討の手伝いをしろって、言いたいのか」

「えっ、どうして」


どうしてもなにも、彼女がそういう意志で戦っていたからである。

二ヶ月前、ハバリートと対した内田は一族の仇を討つ為剣をとり、その為に戦って、怒りの傀儡になった。

だからこそ、そのような悲劇を看過することはできない。

そう、私はハーブティを皿に置いてから、目の前の少女を真っ直ぐに見据えた。


「仇討ちなら、私は霧峯とは戦えない。討つ時の怒りとその後の遺恨が延々と残るだけだ。だから、霧峯がそんな目的の為に戦うなら、私は、戦っても止める」


呆気にとられたような表情の霧峯に明確な意思を伝える。

が、私の決死の言葉は少女の笑い声によって一発で消し飛ばされた。


「な、何で笑うんだ」

「ううん、やっぱりこんなお願いできるのって、博貴と水無香ちゃんぐらいだなって、思って」

「こんな、お願いって」

「うん、お父さんとお母さんを殺されたのは悔しいけど、私がするのはこらしめて、もう戦わないようにさせるところまで。だから、博貴には私といっしょに、戦いを止めるために戦ってほしいのと、私が怒ってしかえししようとした時に私を止めてほしいの」


呆気に取られ、笑った。

少女の眩むばかりの輝きと、意志の籠った真っ直ぐな笑顔に、私は笑ってしまった。


「霧峯、本当に良いのか、それで」

「うん。だって、悲しいのは私とおじいちゃんで終わりにしなくちゃ、みんなが笑顔になれないでしょ。だから、博貴には悪いんだけど、いっしょに戦ってほしいの」


鳥越苦労というのはこういうのを言うのだろう。

何のことはない。

この少女は真っ直ぐに未来だけを見据え、その先にある笑顔だけを望んでいるのだ。

だからこそ、自分が滑稽であった。

矮小に思えた。

少なくとも、真実を知ってから少女と真正面に向き合うことなく、勝手に怖気づいていた自分に嫌気が差した。

そして、この太陽のような少女を心底から支えたいと、私は一気にハーブティを飲み干してから願った。


「なら、私も協力させて欲しい。私は霧峯の為にも皆の為にも全力で戦って、この悲しみの連鎖を止めてみせる」

「うん、ありがとう、博貴」


笑顔で私の言葉に頷くと、少女はコップに口を付け、


「うん、脂肪ゼロの牛乳って美味しくないね」


と、舌をペロッと出しながら笑った。

内田が占いを終えて顔を真っ赤にして出てきたのは、丁度、その瞬間であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る