第一章 冬の嵐

(2)冬の向日葵

 何を間違ってしまったのだろうか。


 目の前には黄色いリボンをまとった長髪ちょうはつの少女が一人という状況。

 それ自体には問題はない。

 ただ、その少女が細身のナイフを投げながら攻めかかっているとすれば話は別である。

 鋭いのはその刃先だけではなく、投擲とうてきと共に発せられる音も同じである。

 放たれる寸前のきらめきを感じ取ることができなければ即死。

 そのような現実とは一切が異なる世界に迷い込んでしまっていた。




 全ての始まりは正月気分も覚めやらぬ一月四日の午前九時、新学期の始まりを前に、ノートと文具の一部が足りないことに気づき、街へと繰り出すことにした。

 数学の宿題に追われ、それでも、決して助けを求めようとしない内田を家に置いて散歩ついでに出かけたのであった。


 それがひょんな拍子ひょうに子供の頃よく遊んでいたさびれた神社に寄ってしまったところから事態がおかしなことになってしまった。

 本来、廃屋はいおくに等しいこの場所に人はいない。

 いたとしても痴呆ちほうの進んだ老人か、小学校に入る前後の子供ぐらいである。

 だが、今日はどうした事か一人の少女がそこにたたずんでいたのである。


「ねえ、君さ、どうしてここに来たの」


 事態を把握はあくするより先に、少女は飄々ひょうひょうと問いを投げかける。

 それだけで、脳の混乱は頂点に達しようとする。

 その脳の雑踏の中で私は少女が右手に数本のナイフを抱えているのを見逃さなかった。


「いや、なんとなくだけど、君こそ、何でそんな物騒ぶっそうな物持ってここにいるんだ」


 正直な私の一言に、しかし、目の前の少女は表情が一瞬で凍りついた。


「これが、見えるの」


 その瞬間、全てをさとった。

 禁忌きんきに触れてしまったのだと。


 それからは言葉よりも先に剣筋が耳に触れた。

 鋭く投擲とうてきされたナイフが、かわしてもなおこめかみ傍のかみを数本さらっていく。

 一撃がおのずから開戦の鐘となった。




 一月の空気が脳を活性させる。

 少女の閃光せんこうは音と光が合致せず、目も耳も決してあてにはならない。

 ただ、体則の強さと技令の流れだけを頼りにその筋を見定め、かわす。

 一撃がたとえ足の小指をかすめようとも致命傷になる。

 それ程鋭い一撃にさいまれながら、何とかこの事態の打破に向けて前を見据えていた。


「へえ、見えるんだ私の攻撃」


 少女のテンションは変わらない。

 猛烈もうれつな攻撃を加えているにもかかわらず、声は太陽のように明るい。

 旭日あさひが大地を晴らしてゆくかのような軽やかな舞は、ともすれば意識を持って行かれそうになる。

 リボンの輝きに思わず心を奪われそうになってしまう。

 それを必死に抑え込みながら、私はただひたすらに攻撃を防ぐ。


「ねぇ、どうして打ち込んでこないの」


 目の前にある死の恐怖が平然と尋ねる。

 だが、その招きには応じられない。

 少なくとも目の前の少女は「必殺」の一撃を、殺さぬように放ってきている。

 加えて、昨日の今日のように「あの感触」が残ってしまっている。

 そのような中で攻撃を加えられるほど、私も豪胆ごうたんではなかった。


鶴翼かくよく


 光陣で防壁を築く。

 だが、少女の一撃はその防壁を容赦ようしゃなくえぐってくる。

 一瞬で射抜かれるようなことはさすがにないが、二撃で陥落かんらく寸前になるのであるからたちが悪い。


 勝たずに勝利する方法はわずかしかない。

 そのわずかな可能性を見え、少女と対峙たいじする。


「悪いが、私は君と戦うことはできない」


 この一言に、それまで飄々ひょうひょうとしていた空気が凍る。

 えて踏み込んだ禁忌きんきは少女の深奥しんおうから何かを呼び起こしていた。


 少女の右腕に体則の気が集まる。

 渾身こんしん一擲いってきの思いがありありと伝わってくる。


「女の子だからって、ナメないでよね。ヒット・アタック」


 二つの点が同時に放たれる。

 神速を以って送り出された光はそのいずれもが急所へ向かう。

 上か、下か。

 その二者択一の中で、私は上体を左にらした。


「えっ」


 驚愕きょうがくの声。


「ちょっと、大丈夫」


 私の腹部をとらえた一刀は深々とこの身にめり込んでいる。力が抜ける。

 ナイフのをとり、うずくまる。


「そんな、おなかに当たるなんて」


 慌てる少女の声と駆け寄る音。

 れたこうべの奥に近づくのが分かる。

 その数を確かに数え、七つとなった時、私は跳んだ。


「ちょっと、何のつもり」

「それは私の台詞せりふだと思うんだが」


 腹部より抜き取ったナイフを少女の喉元のどもとに突き付ける。

 少女の背後には魚鱗ぎょりん陣。

 光の壁とやいばとにはさまれた少女には降参以外の手は残されていなかった。


「はぁ、助けなきゃって思ったのが間違いだったのね」

「いや、間違いじゃないさ」


 事実、私の詠唱が一瞬でも遅れていれば腹部が貫かれていたのは間違いない。


「でも、おなかは大丈夫なの。完全にとらえてたじゃない」

「ああ。あの一瞬で腹部一点に時間技令を発動させて刃をその内部に入れてしまったからな。賭けだったが、これ以外に方法はなかった」

「方法がないって、私に勝つ方法なら他にもあったんじゃないの」

「いや、君を傷つけずに勝つ方法はこれしかなかった。君が私を心配して駆け寄ってくる可能性は五分五分だったが、それまで含めて賭けだった」


 そう、少女と戦う方法ならいくらでもあった。

 だが、傷つけずに済む方法は大博打だいばくち以外にはなかったのであった。


 少女が力を抜く。

 それを確認して、私もまたナイフを外し、陣を払った。


「あーあ、何でこんなのに負けちゃったんだろ」


 少女が残念そうな、しかし、とびぬけて明るい声で言う。

 その跳ねるような声に私は少しだけ耳が熱くなった。


「でも、司書だから当然よね」

「え、司書だと言ったか、私は」

「ううん。そんなの持ってる剣を見れば分かるよ」


 言われてみれば、確かにこの少女の第一投を受けてからは司書の剣を構え、迫りくるナイフを一部は打ち払っていた。


「それに、そんなに強い技力を出してたんじゃ、目立つに決まってるじゃない」

「いや、それは仕方がないというか、なんというか」


 最近では内田から技力の気配を内部に押し込める方法を教わっているのだが、それでも、中々技力を隠すのは上手くいっていない。

 もう二週間ほど練習すればいいだろうとのことであったが、その前にわざわいは降り注いでいた。


 その時、一陣の風が隣でたたずむ木をかすかに揺らした。


「本当は色々聞きたいんだけど、それはまたにするね」

「え、ちょっと」

「じゃあ、またね。おかしな技令士さん」


 黄色い少女の微笑ほほえみと、消失と、彼女の登場はほぼ同時であった。




 それから、私は完全に立腹した内田と共に街へと赴くこととなった。


「全く、博貴はなぜ一人で技令源に赴くような自殺行為をされたんですか」


 どうやら、話によると私があの場所へと向かってしまったのは、無意識的に技令の誘導に乗ってしまったためだったようである。

 そして、私が謎の少女に襲われたことを話すと内田は完全に激昂げっこうし、


「そのような不届き者は速やかに成敗するべきです」


と、そのままけ出してしまった。

 正直なところ、私としては終わった事なのでそのままにしておきたかったのであるが、怒れる彼女をしずめるために、結局は丸一日市内をけ回るのであった。


 夜、疲れ果てて怒りも大分静まった内田と共に帰宅し、私はそのまま眠りにいた。

 その夢はひどく高貴な男の、砂漠における雄姿であった。

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