(3)少女

 翌朝、私はおぼろげな頭を抱えて起床し、シャワーを浴びた後、寂しく残された置手紙を確認して一人で炬燵こたつへと潜り込んだ。戦闘の翌日だけあって、疲労は足に来てしまっている。幸いなことにまだ冬休み中であるため学校生活に異常はないものの、異常な気怠けだるさが全身を支配していた。

 しかし、思い返すほどに納得も理解もいかない。突如とつじょとして襲われ、それが原因で叱られ、一日を潰されたのである。それに、一歩間違えば即死するような攻撃を与えられ続け、その結末は少女の笑顔だったのである。これが愉快ゆかい犯であるのならばすんなりと受け入れられるのであろうが、私を助けようとした時点でそういう訳でもなさそうであった。要は訳もなく襲われ、純粋に損をしただけでしかなかった。


 それにしても、と思う。どうにも最近の私は女の子に狙われる機会が多いようである。少なくとも、この三ヶ月で話すようになった女の子が増えたが、そのいずれもが、一度は何らかの戦いを交えている。因果いんがなのかなんなのかは分からないが、因果いんがな話である。炬燵こたつに潜り休日のおぼろげな頭でそう思うと、少しだけ悲しくなってしまった。

 ふと、呼び鈴が鳴る。


「マジか、寒いのにな」


 重い腰を上げる。今日は母親が仕事、内田も図書館へ行っている。必然的に、出るのは私だ。まあ、土曜の昼前の時間だ。きっと何かのセールスか何かだろうと高をくくって、そのままの格好で出ることにする。


「はいはい、ちょっと待ってください」


 戸を開ける。


「隣に引っ越してきた霧峯きりみねです」






 互いに、呆然となった。


 目の前にいたのは、昨日、私に戦いを挑んできた少女であった。顔はよく覚えている。あの、強い印象の黄色いリボンも健在だ。ただ、昨夜とは違って、手には武器ではなく菓子折りか何かを持っている。何もかもが、異質だ。

 ただ、互いに敵意はない。既に戦いは決着している。問題はそこではないのである。


「わ、わざわざ、ご、ご丁寧に」


 冬の寒さが身にみる。こんなことであれば、寝癖ねぐせを直しておくべきであった。少なくとも目の前の少女は、この世にも奇妙な髪型かみがたを見て言葉を失っている側面もあるのだろう。幸いであったのは、着替えていたことであった。危うく、半纏はんてん寝巻ねまききという最悪な格好かっこう対峙たいじするところであった。


「ちょっと、何、その髪型かみがた


 少女が笑う。私は少しだけほっとすると同時に、自分に少しだけ嫌気が差した。




 とりあえず、そのまま帰すのもなんだろうということで、少女を家に上げることにした。


「ちょっと、待ってて」


 部屋に入れて、急いで髪型かみがたを直す。半分は濡れねずみのような感じであるが、あの髪型かみがたよりはいいだろう。その上で、急いで紅茶とクッキーを準備する。レモンを浮べ、部屋へと戻った。


「へぇ、君の部屋って意外と整理されてるんだね」


 入るなり、少女に言われる。不意に顔が熱くなった。悟られぬよう、急いで紅茶を出してクッキーを真ん中に置く。思えば、この部屋に女の子を入れるのは内田で慣れているはずなのだが、少しだけずかしかったのだ。


「でも、いきなり来た女の子を自分の部屋に入れるなんて、結構な度胸よね」


 失言する。確かにそうだ。リビングが朝から散らかっていたのを思い出しての行いだったのだが、異常と言えば異常だ。やはり、内田がいるせいで、少しだけ感覚が狂っている。


「ホントに、君って面白いね」

「悪かったな、何も考えてなくて」

「ううん。これでも褒めてるの。だって、昨日は襲われた相手をこんなに簡単に迎えるなんて、普通の人ならできないでしょ」


 ああ、確かにそうだ。内田から散々さんざんに言われているが、どうにも私の行動は軽率けいそつなようだ。もう、この部屋には居場所がないような気がして、自分の存在が小さくなってゆくのが分かる。目の前にははずむように笑う少女。こんな状況でも、まあ、いいかと思ってしまう自分が悲しい。


「ま、そんな相手の出した飲み物を何の警戒もなく飲んでる私も同じなんだけどね」


 ああ、確かにそうだ。なんだかんだと言いながら、この少女も、昨夜の敵が誘うままにその部屋へと入り、素直に出すものを飲んでいる。内田であれば、この光景を見てあきれるだろう。少なくとも、昨日の敵意からさっすれば、内田との間に、ここで世界大戦級の戦が起きてもおかしくはない。唯一ゆいいつの救いは、内田が図書館に出かけた以上、午後六時までは帰宅しないということであった。

 目の前の少女は、そんな私の思考をよそに明るく紅茶を飲んでいる。どうにも、息が詰まる。


「そういえばこの部屋って、私の部屋の目の前なのね。着替え中とか、のぞかないでよ」


 ちょっと悪戯いたずらっぽく少女は言う。そこに、悪意はない。ただただ少女はたのしそうにするだけだ。ただただ自分は平生へいぜいを失うだけだ。

 時計の音が騒がしい。

 このままでは、色々と心苦しいので、私も意を決して話題を振ることにした。


「そういえば、学校はこの校区にするのか。一応、転入者だと他も選択肢があったはずだけど」

「うん、君と同じ中学校に行くつもり。朝から上り坂はきついけど、近い方がいいから」


 君と同じ、と言われて不意を突かれた。この少女は魔法のように言葉を操るようだ。これも、悪気はなさそうなのだから、始末に困る。


「でも、もう少し早く来れたら、修学旅行は一緒に行けたのにな」

「ん、今年は修学旅行は二月に延期になってるから大丈夫だ。ただ、テストが悪かったら、自由行動の二日目はホテルに缶詰めにするって先生が言ってたけどな」

「へぇ、そのテストっていつ」

「二月の建国記念日の後だな。まあ、三分の一は許すって言ってたけど」


 一瞬で、少女の目の輝きにかげりが差す。成績には自信がないのかもしれない。


「私じゃちょっと厳しいかな。前の学校でも、頑張って半分ギリギリだったから。君はどう」

「私は・・・・・・」


 言葉に詰まる。ここで、嘘をく事もできはするのだが、したところで、現実は一週間以内には明らかになる以上、意味がない。とはいえ、現実をげるのは戦う以上に気が引けた。


「さん」

「三十番ぐらいとか」

「いや、三番以内」


 少女が目を丸くする。だが、事実なのだから仕方がない。元はといえば、私には勉強以外の取り得がなかったのである。スポーツでは負けても何も思わない自分だったが、ことテストではそう簡単に負けられなかったのである。事実なのだから仕方がない。


「でも、逆に考えれば、君に教えてもらえばいいんだよね。どうせ、徒歩十秒で来れるんだから」


 少女の目は外に向いている。確かに、屋根伝いに来れば徒歩十秒でしかない。


「ね、勉強教えて」


 ここで拒否を選択するのは容易たやすい。

 ただ、目の前の夢見る少女に、それをげることができるほど、私は残酷ざんこくな人間ではなかった。


「まあ、それくらいならいいけど。ただ、私の得意科目は数学と理科だから、少しきついかもしれないぞ」

「それくらい、修行を考えれば楽勝。旅行がたのしくなるなら、がんばる」


 少女が微笑ほほえむ。この真直ぐな目に、私という人間は弱いのだ。それにしても、何か違和感がある。こう、前提条件として、おかしいことが。

 外を見る。冬というのに、太陽が明るい。電線は緊張しているのか、真直まっすぐに張り詰めいている。着る物を持たない木が、わずかに震えるのを見つめていると、ふと、声が合った。


「あ、名前」


 二人で、笑った。たがいに自己紹介がまだだったのだ。考えれば、これほど異常なこともない。自己紹介よりも先に、戦闘と会話と約束を交わしているのである。我ながら、迂闊うかつなものだ。


「表札見たと思うから、苗字みょうじは分かると思うが、私は二条里にじょうり博貴ひろたか

「私は霧峯きりみね瑞希みずき。よろしくね」


 たがいに、手を差し出す。真直まっすぐに見つめ合い、素直すなお微笑ほほえむ。手を握り締めた瞬間、ぬくもりが、伝わった。


「博貴、大丈夫ですか」


 刹那せつな、部屋のドアが豪快な音と共に打ち破られた。


「昨日は逃しましたが、昨日、博貴を襲った以上、誇りにかけて、今日は討ちます」


 既に、内田は抜刀ばっとうしている。外から見れば、修羅場しゅらばなのだろうな、と、少しだけ冷めた目でこの現状を見詰めざるを得なかった。


「あ、君、この子と付き合ってたんだ」


 そんな中で、霧峯は笑顔で言った。


「そのようなこと、絶対にあり得ません。このような危機意識のないような人と、私が付き合うわけないでしょう」


 内田が全力で否定する。その様子を見ながら、霧峯はこちらに微笑ほほえむ。この少女は泰然たいぜんとしているのだ。それに、この一言で内田からは殺気が消えた。天性の才能なのだろう。霧峯はたった一言で、この場から毒気どっけを抜いてしまったのである。ただ、殺気こそ消えたものの、内田の怒りは収まっていない。それでも、この少女は微笑ほほえんで内田に向かった。


「昨日は驚かせてごめんね。私は霧峯瑞希。この隣に昨日引っ越してきたの。よろしく」


 霧峯が差し出した手を、内田はにらみつける。怒りで髪の毛が逆立ちそうなほど、その表情は険しい。その内田と対して、霧峯は微笑ほほえむのを止めない。はたから見れば滑稽こっけいな光景なのだが、ここで笑えば家が吹き飛ぶので、笑うに笑うことができない。私のひたいを汗のしたたるのが分かる。この緊迫の空間を、やがて、内田が引きいた。


「分かりました。二条里も許しているようです。今日のところはここで止めておきましょう。ですが、次は許しません」

「大丈夫。もうしないから、安心して」

「内田水無香です。私はこの隣の部屋にいますから、博貴に何かあれば、容赦ようしゃしません。覚えておいて下さい」

「オッケー。博貴を襲わなかったらいいのね」


 霧峯の答えに、内田はうなずきながらも少しほおふくらませている。ご立腹りっぷくなのは明らかだ。それでも、わずかに気が落ち着いているのを確認して、私は少しだけ安堵あんどした。

 台所からカップをもう一つ持ってきて紅茶をれる。少しだけ、手が震えた。思えば、自分の部屋に女の子が二人もいるのである。夢、としか考えることのできない出来事であった。


「そういえば、博貴と水無香ちゃんって、一緒に暮らしてるの。同棲どうせいとか」


 そんな時に、霧峯が思わぬ一言を投げかける。危うく、カップをひっくり返すところであった。


「まあ、一緒に暮らしてるのは事実なんだが、母親が両親を亡くした内田を引き取ったんだ。まあ、二ヶ月ぐらい前の話なんだが、ちょうど、父親は単身赴任で姉も彼氏と同棲してるからトントン拍子に進められたんだよな」

「へぇ。って、水無香ちゃんのそんな話、博貴が話していいの。結構、デリケートな話じゃない」

「別に気にしませんから」


 内田は不躾ぶしつけにしつけに言う。しかし、確かに配慮の足りない一言でもあった。


「って、そういやいつの間に私の呼び方が決まってるんだ」

「えっ、だって水無香ちゃんが博貴って呼んでたからみんなそう呼んでるのかなって」

「いや、内田は私の母親と分けるためにそう呼んでるんだ」

「ふーん。そうなんだ。ま、でも、呼んじゃったからいいでしょ。ね」

「ま、確かにそうだな」


 と、口では言うが、今から学校に行くのが少々怖い。既に、内田や川澄と付き合いがあるのである。ここで、霧峯から下の名前で呼ばれようものなら、男子からの冷ややかな目が集中するのではないかという恐怖がたくしい想像力によってき上がっている。ただ、唯一ゆいいつの救いはこの少女に悪気わるぎがなく、大して問題も起きずに済むだろうという一抹いちまつ幻想げんそうがあることであった。


「そういや、内田は図書館行ってきたんだよな。何を借りてきたんだ」


 内田が、あ、というほうけた声を上げる。


「そうでした。借りていた本を忘れていたのでした。また、行ってきます」


 内田が慌しく紅茶を飲み干し、出て行く。霧峯は穏やかに紅茶を含む。隣の部屋からわずかに物音がしたかと思うと、再びドアが開き、内田が顔を出した。


「私は図書館に戻りますが、博貴にもしもの事があれば、地獄じごくの底まで追い続けますので、そのつもりでいてください」

「はーい。安心して行ってきてね、水無香ちゃん」


 内田は一度、霧峯をにらむと再び慌しく出て行った。空間に、私と霧峯が残される。


「素敵な子ね、水無香ちゃんって」


 思わず、苦笑いしてしまった。敵意と好意とが、この空間を支配していたのだ。皮肉である。


「そういや、はら減ったな。折角せっかくだから、何か食べて行くか」

「え、そんな、迷惑でしょ」

「いや。一人で食うより、二人の方が楽しいからな。まあ、私が作ったご飯なんか食べたくないって言うんなら、話は別だけどな」


 霧峯は笑った。この少女といると、色々なことが小さなことに見えてしまう。私は嬉々ききとして昼食を作り、霧峯の前に出した。




 少女は飯を二合食べた。ごく、自然であった。

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