第23話 悪魔

「ああ。なるほど。やらし~い」

 みゆうさんは語尾を伸ばしながら変な目で僕を見る。そういう目はやめてもらえないかな。何か悪いことをしている気になってくるじゃないか。

「何が?」


「もちろん、マスターがです」

 みゆうさんは最近は僕のことをマスターと呼ぶ。もちろん喫茶店の経営者マスターという意味だ。命の危険があるという弱みに付け込んで、ご主人様と呼ばせているわけじゃない。


 僕にそんな図々しさというか狡さはないし、みゆうさんもそんなことを言ったとしても唯々諾々と従うタイプじゃない。現にうっかり踏んでしまった靴底の犬の糞でも見るような目で僕のことを見ている。いったい僕が何をしたというのだろう?


 何と切り返していいものか言葉を探していると向こうから切り込んできた。

「ずっと私と一緒に居たいから、私が一人で安全かどうか聞かなかったんですね?!」

 ずるっ。僕は盛大にずっこけた。


「どうして僕がそんなことをしなければならないんだよっ」

 つい声が大きくなる。

「だって、私みたいな若い子と接点をもてるなんて、おじさんには滅多にないチャンスじゃないですか。あわよくばとか考えてますよね?」


 僕は首振り機能の壊れた扇風機よろしく顔を左右に動かした。

「ないない。そんな気は全然ないよ。それにおじさんはひどく無い?」

「その発言、むしろこっちが凄く傷つくんですけど。マスターごときにそんな態度を取られるなんて。あ、25過ぎたらおじさんじゃないですか。マスターはもうすぐ30ですし」


「し、失礼な。もうすぐって、まだ2年近くあるんだぞ」

「やっぱりおじさんじゃないですか。それとも、おっさんがいいですか?」

「そんなことを言うけど、君が執着してた男だって、僕と同い年ぐらいの設定なんだぞ。もし、再会できたらおじさんと呼ぶのかい?」


 僕はしてやったりという声を出した。しかし、そんなことではみゆうさんをやり込めることなどできもしないのだった。

「あら。かっこいい人は別ですから。まあ、年上なのは事実なので、オジサマかしら。きゃは」


 きゃは、じゃねえよ。口には出せないので心の中で毒づく。

「話がずれたけど、みゆうさんのことを聞けなかったのは悪かった。次回機会があれば聞くよ。というより、ここに来て直接本人から聞けばよかったのに」

 みゆうさんは耳の辺りの髪の毛を指に巻き付けてくるくるしていた。


 しばらく巻き付けては解きを繰り返していたけれど、拗ねたような声を出す。

「だって、あの女の人、私には妙に冷たくないですか? 若いぴちぴちした私に嫉妬しているというのは分かりますけど、あまりにあからさまというか、あそこまでの態度を取ることはないと思いません?」


「そうかなあ。気のせいだと思うけど」

「マスターはあの人に鼻毛まで抜かれてますからね」

「それこそ、言い過ぎじゃないか」

「だって、マスター、でれでれじゃないですか」


 ここはきっちりとくぎを刺しておこう。

「それは誤解だよ。僕の命に係わる情報を持ってるんだから、気になるのは当然だろ。別に惚れたとか腫れたとかそういうんじゃないよ」

「ふーん。もったいない」


「何がもったいないのさ?」

「あの女の人、紫苑さん。絶対マスターに気がありますよ」

「え?」

 僕は思わず声のトーンが上がる。


「マスターのところに毎月律義に顔を出すわけですよね」

「そりゃ、僕にあのパソコンを渡した責任を感じているんじゃないか」

「それだけとは思えないんですよねえ。なんていうか、同じ女のカンというか、絶対マスターのこと想ってますよ」


「そ、そうかな」

 僕は期待を込めた声を出してしまう。

「そうですよ。男の人が一人で暮らしているところに夜に訪ねてくるんでしょ? それはもうOKってことです」


 僕はつばを飲み込む。

「お、オーケーってつまり……」

「もう、おじさんなのにそんなところで純情ぶらなくっても。つまり、そういうことですよ。えーやだなあ。今まで分かってなかったんですか? きっと紫苑さんも毎回がっかりしていると思いますよ」


 僕はみゆうさんの言葉を吟味する。確かに僕には女の人の気持ちなんて良くわからない。ただ男性の考えていることならある程度は分かると思う。とするならば、同性のみゆうさんが言うことはあながち的外れということは無いのではないだろうか。今まで紫苑さんがさっと席を立っていたのは僕に痺れを切らしていたということなのか?


 ああ。きっと紫苑さんは僕のことを情けない男だと思っていたんだろうな。もっと早く教えてもらっていれば僕だって……。僕だって何ができたというのだろう。ぎゅっと抱きしめる? いやいや、それは僕には無理だ。しかし、それを彼女が望んでいるのだとしたら僕はそれに応えなきゃいけないな。


 ふと気が付くと、みゆうさんがニヤニヤ笑いながら僕のことを見ていた。

「な、なんですか?」

「んー。やっぱり悪いから教えてあげますね」

「何を?」


 みゆうさんは舌をぺろっと出す。

「紫苑さんがマスターに惚れてるって話、あれ嘘なんで本気にしないでくださいね。それで行動して玉砕して世をはかなまれても寝覚めが悪いんで」

 ケラケラ笑うみゆうさんを見ていると次回は見捨ててようかな、とちょっと考えたりしてしまった。


 


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