第20話 大入道見参

 眼鏡の女性は咄嗟に鞄を掲げた。ザンっという音が響き渡る。弾き飛ばされた女性が僕の体にぶつかった。流れた爪が掠ったのだろうか、左腕から少し血が流れている。女性を支えきれずに倒れた僕の脇から光が立ち上る。夢中でバックルを外して、浮かび上がったダイスを掴んで投げた。


 ダイスは僕らと説鬼の間で止まる。赤は5、オレンジは7。出目は57だった。混ざり合ったバーミリオンの光球はどんどん膨れ上がる。いつもより大きく膨れ上がって5メートルを超えた。僕らに肉薄していた説鬼たちを押しのけて膨らみ切ると弾けて消える。


 そこには身長が6メートルもあろうかという巨人が立っていた。真っ白い肌に逞しい肩、そしてその手には僕の体の太さもあろうかという錫杖を握っている。僕はほっとしてヘナヘナとなった。登場ではないけれど、彼女なら説鬼たちを蹴散らすことは間違いない。


 僕は眼鏡の女性を助け起こす。その手にはまだドーナツが握られていた。僕が視線をそちらに向けるとちょっと恥ずかしそうな顔をする。

「だって、せっかく篤が買ってくれたものだしね」

 ああ。そうだった。


 彼女はドーナツ店で彼氏とデート中なんだったっけ。名前はええと。

「そうじゃなくても食べ物は粗末にしちゃいけないわよね」

 そう言いながら鞄を確認する女性の左腕にはそこそこ目立つ傷がついていた。

「大丈夫ですか?」

「へーき。へーき」


 女性は手を目の前で振る。

「これぐらいならすぐ治っちゃうから。あなたが無事ならね」

 そう言って片目をつぶる。そこへみゆうさんが割り込んできた。

「いい雰囲気のところ悪いんだけど、あれは何なの? 圧倒的じゃない」


 指さす先では最後の説鬼が錫杖によって文字通りぺちゃんこに潰されているところだった。ぐちゃあ。路上に肉塊の破片と血漿が広がる。僕の胃から何かがせりあがって来るので必死に飲み込んだ。そんな状態なのに女性2人は表面上はなんともない。


 大入道は僕らを振り返ると血まみれの錫杖を振り上げ、僕らに向かって構えると今にも振り下ろそうとした。

「ちょ、ちょっと、まって。え。あれ、味方じゃないの?」

 みゆうさんが悲鳴をあげ、頭を抱えてしゃがみ込む。僕はごくんと酸っぱいものを飲み下すとたしなめた。


「こら。悪戯がすぎるぞ」

 とたんに大入道は姿を消すと真っ白な一頭の狐に姿を変える。

「堪忍してや。これは私らの性分みたいなもんや」

 ころころと笑う。


「え? え? 狐がしゃべってる?」

 みゆうさんは可哀そうに顎が外れそうな顔をしていた。

「お嬢ちゃん、そんな顔しとったら女ぶりがようけさがるで」

 白狐は笑い転げる。そして、鼻をくんくんさせた。


「ありゃ。そこまで驚かせてしもうたかや。殿御の前やというにほんに申しわけないなあ」

 何のことだかさっぱりわからないが、みゆうさんは顔を真っ赤にしている。その様子を眺めていた眼鏡の女性がパンと手を打った。


「それじゃあ、私はそろそろ帰らなきゃ。篤が待ってるからね。逃げ回るだけだったけど少しは役に立てたかな?」

 僕は首がもげる勢いで縦にふる。

「もちろんだよ。あの通りに逃げ込まなかったら、そして、僕を庇ってくれなかったら……」


「お役に立てたなら何より。そんな顔しないでよ。ちゃんと私は篤の元に帰れるんだから。それで、私の神さま。今度もし機会があったら、ドーナツだけじゃなくて、ちゃんとした食事を食べさせてよね」

 女性はウインクをするとしぼんで消える。


「太郎丸さまがお待っておるから、私もここらでおさらばじゃ。生意気な軍大夫は待っておらんでいいのだがの」

 白狐はくるりと身を翻すと深い編み笠を被った女性の姿になる。

「よう働いたゆえ、今宵はたんと太郎丸さまに愛でてもらわなぬとなあ」

 笠を持ち上げると何かを期待するような流し目を送るとこちらも消えた。


 しゃがみこんでいるみゆうさんに近づこうとすると拒絶される。

「こっちにこないで」

「えーと。手を貸そうとしただけなんだけど」

「自分で立てるわ」


 みゆうさんが立ち上がると周囲に人影が現れ始める。僕はみゆうさんを引っ張って道の端に寄った。自転車がチリンチリンとベルを鳴らして通り過ぎる。それに向かってクラクションを鳴らす自動車。町中の喧騒が戻って来て、僕は大きく息を吐いた。


 今回は危なかった。眼鏡の女性の機転が無かったらどうなっていたか分からない。それに僕を庇って怪我をさせてしまった。僕がもうちょっとちゃんと走ることができたなら、もっと余裕をもって2回目のダイスを振ることが出来たはずだ。それでも、2回目はあの悪戯好きの白狐百合が出てきてよかった。


 安堵の思いを噛みしめている横でみゆうさんが唇を噛みしめていた。その口からぼそぼそとした言葉が漏れる。

「どうして私には居ないのに、あの二人には彼氏が居んのよ。まったくもう」

 そこかよ、という言葉を僕は飲み込んで、口に出してはこう言った。

「それじゃ、帰ろうか」

 

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