第18話 決意

 そして、また、説鬼と対峙するあの日がやってくる。本庄さんの遺したものが消えてゆく様を見てしまい僕は決意を固めていた。あれだけの才能を無かったものにする所業は許せない。そして、僕のちっぽけな頭でどれほど覚えていられるかは疑問だけど、生きている限りはずっと覚えていようと誓う。


 そのためにも僕は負けられない。もう、僕は一人の体じゃないのだから。あの孤独な探偵と、心優しくも罪を犯さざるを得なかった悲しい犯人と、それを生み出した類まれな作家の生き証人なのだ。そして、これ以上の浪費を僕は食い止めることが出来る。ならば、その力を行使しよう。


 最初は夢中だった。次には本音をいうと迷惑だと思った。社会の片隅で生きている僕が背負うには大きすぎる役割を果たさなければならない立場が辛い。どうして僕なんだという思いもある。だけど、ようやく、その責任を果たす覚悟のようなものが産まれた。


 僕にそんな勇気を奮い起させるように仕向けるだけのエネルギーを持った作品を創り出すことができた本庄さんに畏敬の念と感謝の気持ちが沸き起こる。今日生き延びることができたら紫苑さんに本庄さんのことを聞こう。そのためにも僕は説鬼に立ち向かおう。


 密かに意気込む僕をよそに、いつになくご機嫌なみゆうさん。今までアルバイトに来る時には見たこともないオシャレをしてきていて、足元もハイヒールを履いて来ていた。

「お。随分と今日はめかしこんでるね。この後予定でもあるの?」

「ええ。分かります?」


 お客さんとそんな会話をしているみゆうさんを見て僕は嘆息する。こんな履物じゃ万一の時に逃げられないじゃないか。僕は掃除とレジのチェックを終えた閉店後に厳重に言い渡した。


「スニーカーでもなんでもいいから走れるものに履き替えてきて」

「えー、なんで。せっかく今日の為に買ったのに」

「いざという時は最低でも10分間は必死で逃げなきゃいけないんだ。そんな靴じゃ走れないだろ」


「やだ。私はこのままがいい」

「じゃあ、僕はもう君の面倒はみれない。どこでも好きなところに行って、僕の見えない所で死んでくれ」

 僕は腹が立っていた。いつもは言わないような厳しい言葉が口をついて出る。


「悪いけど、僕だって生き延びられるかは運次第なんだ。今まではたまたま幸運に恵まれたけど、次回もそうだとは限らない。少しでも助かるように努力しないのなら迷惑なんだ。1時間だけ待ってあげる。それを超えたら僕は出かけちゃうからね」

 僕はみゆうさんの肩を押して店から追い出した。


 いくら非力な僕でも相手は身長と体重差がある女性。難なくとは言わないけれど店から追いだすことに成功した。心臓がどきどきするし罪悪感もひどい。だけど、これは彼女の為でもある。もし、僕のダイス運が悪かったときは僕には走って逃げることしかできないし、みゆうさんを守ることなんてできないのだから。


 みゆうさんを追いだしてから、家の戸締りを確認した。どうせ外に出れば蒸し暑さで汗をかくことは分かっていたけれど、シャワーを浴びてからスウェットに着替える。そして、入念に下半身の柔軟体操をして、大切なノートパソコンを納めてある鞄を取り出してくる。そしてグレープフルーツジュースをコップ一杯分飲んだ。


 準備が整いジョギングシューズの紐を絞めて時計を見ると、みゆうさんに言い渡した時間まであと5分ほど。その時、店の方の呼び鈴が鳴った。のぞき窓から確認するとラフな格好に着替えたみゆうさんが居る。ドアを開けるとみゆうさんはほっとした顔をした。足元もスニーカーに履き替えている。


「良かった。まだ居た。道路が混んでいてバスが遅れたから間に合わないかと思っちゃった」

 みゆうさんの前髪が汗でおでこに張り付いている。僕もほっとした。ああは言ったものの、僕が生き延びてみゆうさんが明日からアルバイトに来なくなったら自己嫌悪に陥るだろう。


 夕暮れ時の道を二人で歩いていく。ビルの窓に夕日が反射して眩しかった。空気は想像通りねっとりとして暑い。体にまとわりつくような湿気を含んでいた。全身がじっとりと汗をかいている。みゆうさんも無言で大人しく歩いている。しばらくすると、僕はまた、先日と同様に繁華街の路上に立っていた。


 夕日が沈み切るまでガードレールに腰掛けて待つ。みゆうさんも黙って僕の横に並んでいた。影がどんどん伸びていき、そして日が沈む。その瞬間に世界がくるんと頭上で回ったかのような違和感を感じた。僕はガードレールからぱっと身を起こして鞄のバックルをいじった。パカンと開く鞄。


 ノートパソコンの上には赤とオレンジのダイスがプカリと浮かんでいる。ゆっくりと回転するダイスはまるで宝石のように輝きを放っていた。

「きれい……」

 みゆうさんの呟きを合図に僕はダイスを手にする。しっかりと握って投げた2つのダイスは路上に転がって止まった。

 

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