第14話 強制連行

 僕は困った。目の前の女性に何と言って説明したらいいのか皆目見当がつかない。このまま逃げ出したいところだが、それもどうかと思いなおす。取りあえず手を差し伸べて立ち上がる手助けをした。非力な僕でもなんとか引っ張り上げられるほど小柄な女性だった。


 身長は150センチも無さそうで、童顔とあいまって中学生ぐらいにも見える。黄土色のひざ丈のスカートと白いシャツを着て、足にはこの暑いのにハーフブーツを履いていた。女性はこくりと頭を下げる。一応は礼のつもりなのだろう。ただ、その目には不審感が色濃く見えた。


 そりゃそうだろう。さっきのような経験をすれば周囲のすべてのものが怪しく見える。僕だって初めての時はもの凄く怖かった。今でもやっぱり怖い。女性は唇を震わせながらなんとか声を出す。

「ねえ。あなたもさっきの見たでしょ?」


「さっきのって?」

「とぼけないでよ。変な手足の長い化物が出てきて私を襲ったでしょ。あなた達が駆けてきて、化物が破裂して、もう一人のあなたが別の化物を刺して、それから消えちゃったじゃない」


 凄いな。気が動転しているのにこれだけ正確に説明できるんだ。僕なんかよりよっぽどしっかりしているのかもしれない。

「ええと。なんだったんだろうね。映画の撮影とかかな。ははは」

 僕はとぼけることにした。疲れているし、そもそも僕自身が全てを把握しているわけじゃない。


 あれはですね、説鬼といって未完作品の怨念の集合体が実体化したもので……。そんなことを言ったら絶対に頭のイカれた奴だと思われる。別に見ず知らずの女性に何と思われようとそれほど困らないが、通報されたりすると面倒くさい。

「それじゃ、用があるんで」


 僕はそそくさと立ち去ろうとする。そして、つんのめりそうになった。僕のスウェットの上着を何かが掴んでいる。

「ちょっと待ちなさいよ」

 女性は意外と行動力があった。


「あなた、全然驚いていないでしょ。どういうことなの?」

「いや。そんなことは無いよ。放してくれないかな」

「ちゃんと説明してくれないとイヤよ」

「そんなことを言っても」


 首だけ捻じ曲げて女性に向き直ると恐ろしい事を言い出した。

「痴漢って叫ぶわよ」

「え?」

「このまま逃げようとしたら大声で叫んでやるわ」

「ちょっと待ってくれよ。それが恩人に対する態度なのか」


 女性の目がキラリと輝く。

「ほら。やっぱり私がさっき襲われたことを覚えてるんじゃない」

 しまった。ついつい余計なことを言ってしまった。

「ねえ。教えてよ。あれは何だったのか」


 化粧っけの無い顔が僕を下からねめつける。僕の服を掴んでいる手が震えているのを感じた。必死なのだろう。一体なぜ襲われたのか? また同じことが起きるのか、それが分からなくて不安で仕方がないに違いない。目を赤くして、頬には汚れた跡がある。梃子でも動かぬ決意が見て取れた。


 僕は深いため息をつく。

「話せば長いことになるよ。それに信じられないと思う」

「信じるか信じないかは私が決めるわ」

「遅くなったら親御さんが心配するよ。未成年が遅くまで……」


 女性の頬が強張る。

「失礼ね。一応成人してるわよ」

「え?」

「本当に失礼ね。私はこれでも大学生よ」


 僕は女性に向き直る。童顔、幼児体型、すっぴん、全体的に洗練さに欠ける服装。どう見ても地味な中学生、せいぜい高校生にしか見えなかった。僕の視線に気づいたのか、女性はぷっと頬を膨らませる。顔に血の気が戻ってきた。どうやら僕は地雷を踏みぬいたらしい。


 若く見られるのなら嬉しいはずだろうにと思うが、どうも目の前の女性にとっては我慢がならないことのようだ。まあ、何が良くて何が悪いかは人それぞれ。僕は謝罪する。

「申し訳ない。女性の年齢は良く分からなくて。いずれにせよ、早く家に帰った方がいいと思うけど」


「そうはいかないわ。まあ、確かに立ち話ってわけにもいかないわね。来て」

 女性は僕の肘を掴んで歩き出す。

「ど、どこへ。僕は家に帰らなきゃいけない用事があるんだ」

 そう。紫苑さんが訪ねてくるかもしれないのだ。悪いけど付き合っていられない。


 女性は大きく息を吸い込む。

「ち……」

 僕は慌てて叫んだ。

「分かったよ。分かった。言うことを聞くから。でも、急いでいるんだ」


「だったら、手短に話せばいいわ」

 女性は有無を言わさずどこにでもあるハンバーガーショップに入っていく。アイスコーヒーを2つ注文するとそれを持って僕を2階へ追い立てる。端の方の2人掛けの席の奥側に僕を座らせると目の前にアイスコーヒーのカップをトンと置いた。


「おごりよ」

「それはどうも」

 さっき走ったせいで喉は乾いている。ストローでアイスコーヒーを一口飲んだ。焙煎しすぎでちょっと焦げ臭い。僕の店には遠く及ばないがそれでもまあまあの味だった。


「それじゃあ話して頂戴」

 女性はストローから口を離すと腕を組んで背もたれに寄りかかった。ここまでペースを握られっぱなしでちょっと腹がたった僕は少し驚かしてやることにする。

「ええと。あなた小説を書いてますよね」

 女性の目が大きく見開かれ頬を赤く染める。その姿はちょっとだけ可愛かった。

 

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