第3話ターニングポイント
オレの寝たきりの人生が少しだけ変わった。
「おはよう、ハル君! 今日もいい天気だね!」
彩香はいつも決まった時間に、一人で見舞いにくる。
特に何をする訳ではない。
病室の花瓶の花を新しく変えたり、空気の入れ替えをしたり。
ベッドの横の椅子に座り、オレに一方的に話かけていくだけ。
内容は天気のこと、スポーツの結果、今流行っている食べ物のことなど。
本当にどうでもよい話ばかりだ。
「あっ、仕事の時間だ。じゃぁ、またね、ハルくん!」
滞在時間は短い。
決まった時間に、いつも立ち去っていく。
仕事に行く、と言って。
(彩香が仕事を? あの令嬢の彩香が?)
彼女の実家は、かなりの資産家。
不労所得だけでも彩香は、十分に裕福に暮らしていけるはず。
そんな彼女が仕事を?
何気なく疑問に思っていた。
だが、あまり気にしない。
何故ならアイツは裏がある女だからだ。
◇
それから更に日が経つ。
オレは病室を移ることになった。
特別な治療を受ける部屋に、移動になったのだ。
「ハル君、これから一緒に、頑張っていこうね……」
その日も彩香が、見舞いにきていた。
だが、この日の様子は、少しだけ変。
かなり思いつめた表情……決意と覚悟を決めた顔だった。
それにコイツは何を“頑張る”というのだ?
◇
その日からオレの毎日は変わった。
特別な治療を受けられるようになったのだ。
まだ身体を動かすことは出来ない。
だが前よりも視覚と聴覚は、良くなってきた。
特別な治療のお蔭で、体調が少しだけ回復してきたのだ。
これには流石のオレも、嬉しかった。
少しだけ人生が明るくなったのだ。
「ハリト君……」
そんな時でも彩香は、毎日のように見舞い来た。
いつものように、他愛のない話をしに。
だが――――最近の彼女の様子が、少し変だった。
具体的には分からない。
だが、やけに化粧の匂いが、濃くなったような気がする。
あとオレの手を握る、彼女の手が荒れてきたような気がした。
学生時代は絹のような柔肌は、最近はボロボロになってきたのだ。
「ハル君……頑張ろうね……一緒に……私も頑張るから」
最近の彩香は、いつもそう言い残して仕事に向かっていく。
いったい何のために、こんなにボロボロになるまで、働いているのであろう?
◇
――――それら二年の月日が流れる。
オレは相変わらず特別治療室にいた。
特に容態は回復していないが、悪化もしていない。
主治医は奇跡だと言っていた。
きっとこれも特別な治療のお蔭なのであろう。
そのため、最近のオレは気分が上向きだった。
(ああ……ありがたいな……あれ? でも、待てよ……?)
そんな、ある日のことだった。
今まで思考が麻痺していたオレは、“あること”に気が付く。
(この治療費は……いったい“誰が”支払っているんだ?)
それは、ふとした疑問。
だが、とても重要な疑問だった。
(何が起きているんだ……?)
何しろ特別治療には、莫大な治療費が必要になる。
だが、ここ二年間、オレは毎日のように受けていた。
天涯孤独の身なオレの治療費。
この二年間、いったい誰が支払いってきたのだろうか?
(あっ! ま、まさか……?)
その時だった。
一つの仮説にたどり着く。
あり得なさ過ぎて、今まで考えてもいなかった仮説を。
「あっ、ハル君。おはよう! 今日も天気イイね……」
そんな時、彩香がやってきた。
いつもの見舞いだ。
ん?
だが、今日の様子は、少しおかしい気がする。
声が……妙に元気がないのだ。
いったい、どうしたのだろうか?
いや、それよりも確かめたい。
オレの今の高額な治療費を、誰が払っているのか?
「ふう……ちょっと疲れたから、座ってもいいかな、ハル君……」
元気のない声で、彩香は横の椅子に座り込む。
そしてオレの動かない手を握り、思つめた顔になる。
「ねぇ……ハル君……覚えてる? 私たちが子どもだった頃……」
今日の彩香は、本当にいつもと違う。
何故なら過去の話を、いきなりしたのだ。
この二年間、一度もしなかった、“昔の話”を口にしたのだ。
「ふふふ……子どもの頃は本当に楽しかったよね……毎日、ハル君と遊んで……本当に天国のようだったね……」
オレたちが幼稚園と小学生の時ことを、彩香は語り始める。
本当に嬉しそうに語っていた。
だが……声には力がなく、弱々しい。
「中学生の時も楽しかった……あの頃の私は、ハル君に素直になれなくて……ハル君もお菓子とマヨネーズご飯を、いつも食べていたね……」
話は中学生時代に移っていく。
まだ笑顔だった。
だが声は更に、弱くなっていく。
「高校生の時は……あの時は……あの日から……」
そこで彩香の声が止まる。
表情が曇っていく。
そして聞こえてきたのは、小さなすすり声。
彩香が、すすり泣きする音だった。
「ハル君……高校の時は……本当にごめんね……いつも……毎日……ハル君に対して……私は……」
彩香は泣いていた。
高校の時の話をしながら、大粒の涙を流している。
握っているオレの手に、ぼたぼたと流れ落ちてきた。
「ハル君……本当に……本当にごめんなさい……あの時の私は、色んなことに……追い詰められて……本当に壊れそうだったの……それをハル君にぶつけて……甘えて……うっ……」
もはや彩香の話は、涙で途切れ途切れ。
だがオレには、オレの心には聞こえていた。
彼女の手の温もりと共に。
「ふう……ごめんね。こんな言い訳っぽい話は、絶対にしないって決めていたのに。よし。これからもハル君のために、一生懸命に私は支えていくから……うっ?」
その時だった。
立ち上がろうとした彩香が、前のめりに倒れる。
オレの手を握ったまま、ベッドに上半身を倒れ込んできたのだ。
「あれ……なんか変だな……頭が痛い……それに寒気が……ああ、ハル君……のために……頑張って、罪滅ぼしをしないといけないのに……うっ……」
そう言い残して、彩香は動かなくなる。
ベッドに倒れ込んだまま、意識を失ってしまったのだ。
呼吸音も変な音。
明らかに普通の状態ではない。
(彩香⁉ どうした、彩香⁉)
だがオレは動くことが出来ない。
(彩香! 誰か! 彩香を助けてくれ!)
それどころか声だすことも、叫ぶこともでない。
(あっ……彩香の手が……冷たく……)
恐怖の感触だった。
握っていた彼女の手が、氷のように冷たくなってきたのだ。
(彩香! しっかりしろ! 誰か! 誰か来てくれ!)
オレは神に祈る
この幼馴染を助けてくれと。
◇
――――だが現実は非情であった。
彩香は息を引き取った。
定期検診の医者に見つかった時、彼女はすでに手遅れの状態だったのだ。
◇
それから数日が経つ。
看護師たちの噂話を聞いて、オレは真実を知る。
『特別治療の費用を二年間支払っていたのは、幼馴染の彩香だったこと』
『彼女が高額な治療費を支払うため、キツイ仕事を何個も掛け持ちしていたこと』
『そのため睡眠はほぼ皆無。そのため健康を害し、
――――彩香は……オレのために、無理をして死んでしまったのだ。
(うっ……彩香……本当にすまない……こんなオレのために……本当に……本当に……)
この二年間のことを思い出す。
毎日のように笑顔で来てくれた、彩香のことを。
仕事で無理をして、でも笑顔で毎日のように見舞いに、来てくれた馴染のことを。
(彩香……彩香……なんで、こんなオレのために……)
疑問が多すぎて、心が迷路にハマり込む。
絶望と後悔で、胸が張り裂けそうだった。
(くそっ……こんなことになるなら……ちゃんと彩香と……高校の時の彩香と、向きあえば良かった……勇気をだして……そして絶縁なんて、オレはしなればよかった……)
もはや後悔しかない。
何を懺悔しても、幼馴染は還って来ないのだ。
――――あっ!
その時だった。
オレは“感じた”。
(そうか……オレも“死ぬ”のか……もうすぐ……)
感じたのは“自分の死期”。
巨大な絶望に襲われて、自分の最期が、すぐそこまで押し寄せてきたのだ。
(くそっ……もう一度、彩香に、謝りたかったな……いや、“やり直したかった”な……この後悔だらけの人生を……うっ……ああ……闇と……光が……)
そしてオレは暗闇に包まれる。
――――こうしてオレの人生は、後悔と懺悔のまま幕を閉じたのであった。
◇
◇
(うっ……ここは……)
しばらくして、オレは意識を取り戻す。
(眩しいな……ここは天国か? いや、地獄か……?)
そう思う。
何故なら、つい先ほどのオレは死を迎えた。
驚くほど、よく覚えてる。
(ここが“死後の世界”か……随分と変な場所だな……上に電灯があって、アイドルのポスターを張っていて、ふかふかのベッドに寝転んでいて……まるで中学生のオレの部屋みたい……だ⁉)
その時、オレは起き上がる。
死後の世界ではないことに、気が付いたのだ。
「なっ……生きている? オレは⁉ というか、なんだ、ここは⁉」
起き上がった先は、見覚えがある部屋だった。
ここはオレの部屋。
幼馴染の豪邸の敷地内にある、離れの部屋なのだ。
「何でこんな所に……オレは夢を見ているのか? えっ?」
立ち上がって視線を、全身用の鏡むける。
そこに映っていたのは、ふくよかな若者。
これは若い時の自分……中高高校ぐらいの“オレ”だったのだ。
「な、何が起きているんだ⁉ オレに⁉」
まさかの出来ごとに、状況がつかめない。
「いったい今は……そうだ!」
机の上のスマホに、手をかける。
急いでカレンダー機能で、今の年代を確かめる。
「あっ……間違いない……オレは、『十五歳の自分』に、戻っているのか……!」
そしてオレは全て察した。
自分が中学三年の頃に、逆行転生していることに。
「でも、どうして? いや、今は悩んでいても仕方がない! 早く確かめに。行かないと!」
オレは急いで部屋を飛び出す。
向かうは目の前の豪邸、その二階。
一番端にある幼馴染……彩香の部屋だ。
全力で二階に階段を上り、ノックもせずに扉を開ける。
「彩香! いるか⁉」
「キャー⁉」
部屋の中にいたのは半裸の少女。
着替え中で、下着姿の彩香だった。
「な、なに、いきなり入ってくるのよ! この変態! 私の裸を見たいなら、ちゃんと言ってよね……って、そうじゃいんだから! もう、このバカ春人!」
この言いよう……間違いない、幼馴染の彩香だ。
しかもパワハラになる前の、ツンデレな中三の時の彩香だった。
「ちょっと、なにガン見してきているのよ! この変態! スケベ!」
彩香は身体を隠しながら、オレのことをクッションで叩いてくる。
「あっはは……そうか……元気だな、彩香……そうか生きていたのか、彩香……」
「ちょっと、叩かれて、何笑ってんのよ? 怖いんだけど!」
「あっはは……そうだな……ご、ごめん、じゃあ!」
そしてオレは部屋を飛び出していく。
顔を見られないようにして。
(彩香……良かった……)
何故なら見られたくなかった。
自分が流している大粒の涙を。
(よかった……本当に良かった、生きていてくれて……)
これで本当に確認できた。
オレは十五歳の時に……“まだ間に合う時期”に転生したことを。
「ふう……よし!」
涙を拭きとり、決意する。
オレは覚悟を決めた。
(今度こそは……彩香を助ける。闇落ちした原因を見つけ出して、必ず幸せにしてやるんだ!)
これは今回のオレの人生で、最大で唯一無二の目標。
(さて、そうと決まったら、さっそく“作戦”を立てないとな!)
こうしてツンデレ幼馴染を助けるために、オレの新たな人生は幕を上げるのであった。
パワハラな幼馴染を絶縁、でも闇落ちの真実を知り、オレは転生学園で彼女を救う ハーーナ殿下@コミカライズ連載中 @haanadenka
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