08 買い物

 肩を揺すられる。

 小さな手。

 一体誰の物か。夢うつつの仁には分からない。

 

「じん、じん」


 自分の名を呼ぶ声。

 目を開ける。

 

 令とそっくりな顔に、一瞬驚き、銀の髪を見てそれが澪の物だと気付く。

 

「……澪? どうした。トイレか?」


 寝惚け眼を擦りながらそう言うと、澪は首を横に振る。

 

「じん、うかされてた」

「浮かされてた?」


 どういう意味だろうと首を傾げる。

 澪も「あれ、何か違うな」という顔をしていた。

 

「あ、うなされていた、か?」

「そう。それそれ」


 うなされていた、と言われて先ほどまで見ていた夢を思い出す。

 婚約者、令と戦友たちを失ったあの日。

 

 今はもう、夢の中でしか会えない人たち。

 

「こわい夢見た?」

「まさか」


 澪の頭を撫でる。

 逆の手が胸から下げている指輪に触れる。

 

「とびっきりの良い夢だったさ」


 そう言うと澪は心底不思議そうな顔をしていたが、すぐに睡魔に負けたのだろう。

 頭がフラフラとしだす。

 

 ベッドの上に寝かしつけると素直に目を閉じた。

 

「ほら。まだ朝まで時間があるから寝てな」

「うん……」


 ここしばらく、夜中に警報が鳴り叩き起こされることが続いた。

 まだ澪もこの家に慣れたとは言えないだろうが、それでもシェルターよりはよく眠れるはずだった。

 

「……ほんと、どうなってんだろうな」


 まず、大前提としてASIDとの遭遇件数はそう多い物では無い。

 移民船団自体がASIDが生息していると思われる宙域を避けて進んでいるからだ。

 

 生息域を調べるために定期的に遠征隊が出撃し、調査を行っている。

 万一、大規模な群れを見つけた場合は回避か殲滅かを選ぶことになる。

 船団自体の進路を変えるのにも多大なエネルギーを消費してしまう。

 巨大なだけあって、動かすだけでも一苦労なのだ。

 

 仁が最後に出撃した二週間前の戦闘は、そうした調査から逃れた群れが船団と接触した事で生じた物だ。

 

 一週間前に目撃した人型ASIDによる襲撃。

 流石に船団も一週間前の戦闘の補充が済んでいなかった。

 

 緊急オーバーライトは船団の備蓄エーテルを食いつぶす最後の手段だ。

 人的資源の損失よりもエネルギーの損失を上層部は選んだのだろう。

 

 誤算は、その後も追撃が続く事だ。

 既に二度、船団は襲われている。

 今度は防衛軍も迎撃態勢を整えているので防衛線が突破されるような事態にはなっていない。

 反面、相手を殲滅できているわけでもないため、襲撃は繰り返されている。

 

「早く、振り切れると良いんだけどな」


 体力のある仁は良いのだが、澪は日中寝不足で辛そうな時がある。

 環境が変わってただでさえ疲れているのだろうから可哀そうでもある。

 

 こんな襲撃は早く止まって欲しい物だった。

 

 翌朝、目覚めた二人は朝食のキューブフードを口にする。

 

 澪も玄妙な顔をしながら飲み込む。

 せめてもの抵抗なのか。

 果汁100%と書かれたオレンジジュースを飲んで口直しをしていた。

 

 仁もコーヒーを飲んで一息入れる。

 ふと気が付くと澪がじっと仁の手元を見つめている。

 

「どうした、澪」

「その黒いの美味しい?」

「俺には美味しいけど」


 澪には苦いと思う。そういうよりも早く、澪は仁のカップに口を付ける。

 そして案の定渋面を作った。

 

「苦い……」

「止める前に飲むから。それから、人の物を勝手に食べたり飲んだりするのはお行儀が悪いからやめなさい」

「はーい……」


 口に合わない物を呑んだ挙句に小言を言われるのは少々可哀そうな気もした。

 が、悪いことをしてもそれを指摘されない事の方が可哀そうだというのが仁の持論だ。

 

「さて、今日はどうするか……」


 ここ数日、シェルターにいるとき以外は澪の生活に必要な物を買っていたので買い物は大体済んだ。

 後は嗜好品の類と――。

 

「そういえば……」


 生活必需品だけ買っていて、子供の好きそうな玩具の類は買っていなかった。

 その事に気付いて仁は澪に聞こえない様に軽く舌打ちする。

 

 これまでの二週間で、澪は比較的物欲の無い子供のような気がしていた。

 だがそんな筈は無いだろうと仁は己を振り返って思う。

 ただ我慢が得意なだけだという事に思い至らなかった。

 

「よし、澪。今日は買い物に行くぞ」


 そうと決まれば仁の行動は早い。

 網膜に投影した移民船内の広域マップ。

 おもちゃ屋を検索し、評判を調べる。

 

 大概の買い物は通販で済ませられる船内で、敢えて店舗を構えている店というのは何かしらウリがある。

 

 仁が選んだここは船団内――果ては別船団も含めた、ありとあらゆるぬいぐるみが展示されている店だった。

 

「おー」


 オレンジ色のワンピースを着せられた澪が瞳を輝かせる。

 初めて見る大量のぬいぐるみに興奮しているのは確かめる必要も無く分かる。

 

「じんじん、もこもこが一杯!」

「ぬいぐるみ、な。ぬいぐるみ」

「ぬいぐるみ、一杯!」


 言い直しながら澪は仁にも同じ物を見てと指さして左袖を引っ張る。

 

「しかし本当に多いな……」


 エントランスには展示スペースに敷き詰める様にして並べられたぬいぐるみの数々。

 奥に目を向ければ多くの棚に多様なぬいぐるみが並べられている。

 

「……ASIDのもあるのか」


 誰が買うんだこれ、と仁は表情を顰めた。

 流石に数は少ないようだったが正直、神経を疑う。

 メーカーの名前を見るとバイロンカンパニーとあった。

 どこかで聞いたことがある様な、無いような名前である。

 

「じん、あっち行こう!」

「ああ、待て待て。一人で勝手に行っちゃ駄目だ」


 待ちきれないとばかりに先に進む澪を仁は追いかける。

 店内は広い。おまけにぬいぐるみの棚で視界も悪い。

 逸れたら苦労しそうだった。

 

「離れちゃだめだぞ?」

「分かった!」


 真面目そうな顔をして澪が左手を上げて了解を示す。

 大丈夫だろうかと仁は思う。

 まあ今までも聞き分け良かったし大丈夫だろうと直ぐに楽観視していた。


「じん、これは何?」

「あーライオンかな?」

「じゃあこれは?」

「ゾウだな」

「これは?」

「メトセトポポロン」


 母星に住んでいて、移民船団で復元された動物から移民の旅の中で発見された別惑星由来の固有種まで。

 時には仁も知らないようなマイナーな生き物のぬいぐるみが並んでいる。

 

 ふと見渡せば仁が先日まで乗っていたアサルトフレーム、レイヴンのぬいぐるみさえもあった。

 

「……女の子が喜ぶのか、これ?」


 男の子が買うのならばフルアクションフィギュアだとかに走りそうなので今一需要が分からない。

 とは言え、自分の命を預けた物だ。無関心ではいられない。

 

「なあ、澪。こんなのはどうだ?」


 左隣にいる筈の澪に、そう尋ねてみる。


「……?」


 しかしそこに居たのは、見覚えのない女の子。

 誰、みたいな顔をして見上げている。

 

 右を見る。いない。

 もう一回左を見る。いない。

 

「は、逸れた……!」


 仁は僅かに表情を青ざめさせる。

 ぬいぐるみを棚に戻し、慌てて探し出す。

 仁が駆けだして約30秒後。

 澪が戻ってきた。

 

 天井知らずのテンションに乗せられてフラフラと彷徨いだした澪。

 途中で仁の言いつけを思い出して戻ってきたのである。

 

「じん、いない……?」


 間違えたかな、と澪は周囲を見渡す。

 

「うん、一緒」


 96秒前の光景と一致したことを確認して澪は首を傾げた。

 

「どこ行ったんだろう?」


 んーと澪は仁と交わした会話を思い出す。

 

『迷子になったら、そこから動かずにジッとしてるんだぞ』

『迷子って何?』

『迷子っていうのは……一緒に居た人と逸れちゃったときの事だ』

『分かった! 迷子になったらじっとしてる』


 そこまで思い出した澪は目を見開いた。

 

「大変……じん、迷子」


 自分が迷子になったという発想は無いのであった。

 

「探さなくちゃ」


 きっと仁はジッとしているはずだと根拠のない自信に包まれて澪は再び動き出す。

 棚と棚の間を練り歩く。

 しかし澪の身長ではまだ棚の高さに隠れてしまう。

 探す効率は良いとは言えなかった。

 更に澪を惑わす要因。

 

「おーかわいい……」


 道中のぬいぐるみに気を取られて時折足を止めていた。

 置かれたサンプルを手に取って抱えたりしていると時間を取られる。

 そもそもの話としてまだ未就学児である澪の歩幅は小さい。

 探索は遅々として進んでいなかった。

 

 ――仁としてはほとんど動かれていないのでありがたい話ではあったのだが。

 

「これは、何だろう……」


 脚が一杯あるぬいぐるみを見て、澪は仁に尋ねようとした。

 そこで澪は仁が迷子になっていることを思い出し、今の自分の使命も思い出した。

 

「そうだ、じんを探さないと」


 ぬいぐるみを棚に戻そうとするが、上手く入らない。

 一度手にした後、奥の方が崩れて埋まってしまったのだが澪の位置からではそれが見えていない。

 無理やり押し込もうとして、入りきらずにぬいぐるみが弾き出されてきた。

 

 それを受け止めて澪はしりもちを着く。

 

「むむむ」


 表情を変えずに唸る。

 気持ちとしては何て奴だ、この私を手古摺らせるとは、とでも言いたい所だった。

 

「大丈夫ですか?」


 唸ったまま転がっている澪へ、頭上から声をかけられた。

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