07 最も幸福な悪夢2

「何だ、ありゃ」


 仁の声が震えなかったのは奇跡に近い。

 宇宙空間では二千キロメートル何ていうのは僅かな距離だ。

 それでもその先にある物体を目視するのに苦労する筈の距離である。

 

 だというのに、今目の前にいる存在は埒外な程に大きい。

 実は目と鼻の先にいると言われて信じられる程に。

 

 細長い、ワームめいた見た目。

 灰色の体表は鈍く輝き、金属質を思わせる。

 それ自体は普段の奴らと変わらない。

 ただただサイズだけが圧倒的。

 

「あれも、ASIDなのか」


 初めて見るタイプだった。

 それは機体のライブラリでも同じらしく、該当データ無しと表示される。

 新種。それも巨大な。

 

『連絡船はこれより緊急オーバーライトを実行。当艦並びに護衛部隊は敵新種への陽動作戦を行う』


 管制官から伝えられた今後の指針。

 あんな巨大な相手に、単艦で挑むのは無謀にも程がある。

 挑むとしたら船団全てで。

 それも存亡をかけて戦うような相手だ。

 

 故にオーバーライト……つまりは空間跳躍による撤退は納得できる。

 しかし――。

 

『あんな奴相手に陽動って……どうすんだよ』


 これに尽きる。

 まだ生身で何時も会うタイプのASIDと戦う方がサイズ比的にはマシだ。


『っていうかさ、向こうが気付いていないに賭けたい所なんだけど』

『ああ、そうだと良いな……本当に』


 まさかその会話が聞こえていたわけでもないだろうが、その瞬間に敵が動いた。

 

『超大型種、エーテル反応増大! 攻撃来ます!』


 雨。

 仁はそう思った。

 空から降り注ぐ無数の水滴。

 例え小雨であっても、その全てを回避するなどと言うのは現実的では無い。

 ましてそれが豪雨ともなれば尚の事。

 

 超大型種の体表が輝いたと思った瞬間、数えきれない程のエーテルの光が星間空間を染め上げた。

 避け切れない。

 密度の高い弾幕に仁はそう悟った。

 

『艦首エーテルフィールド展開! 前進! 連絡船の前に出る! 艦載機は針路から退避しろ!』


 護衛艦が艦尾のスラスターを吹かしながら速度を上げる。

 艦首から展開されたエーテルの膜。

 敵の攻撃を防ぐためのシールドだ。

 それはこの場においても傘の役目を果たしてくれた。

 

 その陰に入ってどうにか攻撃を凌ぐ。

 

『うわ、すっげえ』

『これは回避するのは難しいな』


 安全地帯に入ったことで隊員たちの口も遭遇直後よりは軽くなる。

 

『連絡船は既に緊急オーバーライトを開始。空間座標確定まで残り三分。それまで凌ぎ切るぞ』

「……令」


 視線を連絡船へと向ける。

 護衛艦が盾になったからか。

 今のところ損傷はない。

 だが連絡船の防御能力はあくまで何時も会う昆虫型のASIDを想定したものだ。

 

 あんな攻撃の前に晒されたら五秒と持たない。

 何としても五分間守り切らなければと仁は決意を新たにする。

 

『……なあ、攻撃長くないか?』


 誰かがそう呟いた。

 長い。

 既に三十秒近くこの豪雨は続いている。

 

 ASIDも、仁たちの乗る機体も、戦艦も。

 全てはエーテルリアクターという機関から得られたエーテルを源としている。

 攻撃も防御も、機動も全てはそのリアクターから供給されたエーテルをやりくりして行う。

 

 そして当然、使えば使った分だけ減っていく。

 こんな大規模な攻撃、長く続く筈はないのだ。本来ならば。

 

『……! ダメです。エーテルフィールド、限界! 敵攻撃に備えてください!』


 我慢比べは超大型種に軍配が上がった。

 護衛艦が発生させていたフィールド。

 先に限界が来たのは守り手の側だ。

 

 これまで皆を守ってきた盾が消失する。

 

『来るぞ! 回避!』


 光線の一つ一つが既に仁たちの機体にとっては致命的な威力を孕んでいる。

 直撃さえしなければ一発は耐えられるだろう。

 だがその一発で動きを止められてしまえば次の瞬間にはハチの巣になるのは確定である。

 

 仁は必死になって逃げ道を探す。

 一見面の様だが、実際には時間差がある。

 ならば、どこかに弾幕の隙間がある筈だった。

 

 周囲を気にする余裕などない。

 一秒先の未来。

 そこを埋め尽くすのは光だけだとしても必死で機体を操る。

 

 縦横無尽に駆け巡る。

 脳が沸騰するかと思う程の綱渡り。

 

 次の瞬間にはミスをしたと悟った。

 

(回避スペースが!)


 無い。

 どこに行っても逃げ場がない。

 せめてあと0.1秒。それだけの猶予があれば道が見つけられる。

 

「おおお!」


 叫びながら左手から伸びたエーテルダガーを光線目掛けて振るう。

 一瞬の拮抗。

 強引に掴み取る0.1秒。

 

 左腕の損傷と引き換えに仁は命を繋いだ。

 

 一体どれだけの時間そうしていただろう。

 漸く攻撃が止んだ時には全身が汗まみれになっていた。

 

「連絡船は……」


 まず気にしたのは令の安否。

 見れば護衛艦が艦体を盾にしたのか。

 奇跡的に無傷だった。

 

 その代償として護衛艦は無残な姿を晒す。

 あちこちに大穴を生じさせ、周囲に船内の物資をまき散らしている。

 その中に、人型が混ざっているのは意識して見ないようにした。

 

『……くっ。三人やられたか』


 隊長の悔しそうな声に仁は慌ててレーダーを確認する。

 十二機いたジークフリート中隊。

 それが今は九機に数を減らしていた。

 

 一歩間違えれば、仁が四機目になっていたかもしれない。

 

『敵、超大型種、エーテル反応増大! また今の攻撃を繰り返すつもりです!』

『残り時間は!』

『80秒!』


 その答えに仁は驚きに目を見開く。

 永遠にも思えたあの時間が僅か四十秒程度の物でしかなかった。

 そして同時にこうも思った。

 

 何とかなる。

 護衛艦も再度エーテルフィールドを展開する準備が整った。

 中隊は今度は連絡船と同じく護衛艦の艦体を盾にすればいい。

 今と同じ攻撃。被害は出るだろうが撃沈までには至らない。

 

 連絡船がオーバーライトしたら、護衛艦もすぐに後を追えばいい。

 

『エーテル反応更に増大! 来ます! 艦首エーテルフィールド展開!』


 管制官の言葉に合わせて隊長が声を張り上げる。


『全機! 護衛艦の陰に入れ! 後部ハッチより収用を開始する!』


 超大型種の先端が光り輝いた。

 さっきと違うと仁が思った刹那。

 

 極大の光の帯が護衛艦を貫いた。

 

「……えっ?」


 間の抜けた声が仁の口から漏れる。

 エーテルフィールドは展開されていた。

 それを水で濡らしたティッシュ紙よりも容易く貫いた敵の攻撃。

 斜め下から入り込むように通過していった光線は、言うまでもなく破滅的な結果をもたらした。

 

 船体の七割以上を失った船が、沈まない筈がない。

 爆発は無い。

 着弾した勢いのまま、連絡船の後方へと流されていく護衛艦。

 その残骸を、仁は信じられない思いで見送る。

 

『全機! 連絡船に取り付け! 置き去りにされたら先ず助からんぞ!』


 その声に仁は正気を取り戻す。


 視界の端のモニタに、残り時間が表示される。

 残り20秒。

 連絡船のオーバーライトに相乗りしなければ、ジークフリート中隊はこの宙域に置いてきぼりだ。

 

 デブリとなった護衛艦の残骸が、仁の進路を塞ぐ。

 その隙間を掻い潜る様にして連絡船へと肉薄する。

 連絡船も生み出されたデブリで僅かに損傷しているようだった。

 その周辺が揺らいで見えるのはオーバーライトの兆候だ。

 

「っ!」


 一つ、連絡船への直撃コースを取るデブリを見つけた。

 当たったら最悪、オーバーライトにも影響が出る。

 

 判断は一瞬。

 切り裂き蹴り飛ばすのも一瞬。

 

 だがその一瞬の分、仁の機体は出遅れた。


 その中。

 声が聞こえた。

 

『仁!』


 先ほどの通信を使ったのだろう。

 令の切羽詰まった声。

 大丈夫と返す余裕もない。

 

 残り1秒。

 ギリギリ間に合う。

 

 残り0秒。

 オーバーライトが開始される。

 その影響範囲に、仁の機体も滑り込んだ。

 

 誰も警告しなかった。

 誰もそちらに視線を向ける余裕などなかった。

 

 超大型種の先端が再び輝きを宿す。

 エーテルの奔流が、連絡船を貫く。

 その余波が仁の機体を溶かす。

 

 その瞬間に、連絡船周囲の空間は別の空間へと上書きされた。

 

 静かだと仁は思う。

 宇宙を漂う仁のレイヴンは最早原型をとどめていない。

 装甲が一度融解し、表面を泡立たせる。

 四肢も失い、最早戦闘などは確実に不可能だった。

 

「こちらジークフリート中隊所属、東郷仁。応答せよ」


 口元から、血が零れた。

 

「機体損傷大……救援を求む」


 視線をどうにか身体へと向けると、操縦服とコックピットがまるで溶接されたようにドロドロに溶けて固まっていた。

 その下の肉体がどうなっているのか。

 想像もしたくない。

 

 だが今もっと想像したくない事がある。

 

「隊長。応答してください。みんな……誰かいないのか」


 返事はない。

 レーダーに、周囲の反応が無いことは確認している。

 きっとそれは機体が壊れたせいだと自分に言い聞かせる。

 オーバーライトの直前に見えた光景は気のせいだと己も騙せない嘘を吐く。

 

「令……大丈夫か?」


 先ほどまで繋がっていた通信。

 今は何も返さない。

 

「誰か、応答してくれ」

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