第8話 魔力は失血を補えない

 リディアはかばんのなかから〈鳥〉を二つ取り出し、ジャンの手に握らせた。文句を言いながらも魔力を籠めてくれた彼の手から、朱色に変化した鳥が一羽、二羽と順に飛び立っていく。


 その間に続けて取りだしたのは、調合室から取ってきた薬だった。

 咳止め、風邪、肺炎、心臓、眩暈や頭痛や胃痛に効くもの──ラベルを見ながら五本ほど握った瞬間、ジャンが急に立ち止まって視界ががくんと揺れる。


 狙いを定める余裕もなかったが、進行方向にやはり姿を現したローブの男に向かって、リディアは薬瓶を投擲した。


「いと慈悲深き炎の神ラウラ──」


 男の黒い炎が、あまりにばからしいとでも言いたげに、リディアの投げた瓶を燃やし溶かす。委細構わず、リディアはもう五本、今度はもう少し慎重に狙って投げつけた。

 同時にジャンが、炎の神ラウラの加護を受けた炎へさらに自分の魔力を織り交ぜた魔法を完成させる。


「──かの禍つ男を悉く燃やし尽くせっ!!」


 ジャンは天才だ。いつも粗暴で口が悪いから引き算してしまうが、魔法の才能は突出していた。普通の子どもは学院で自分の魔力を変質させる技術を学ぶところを、彼はすでに半ば身につけるところまできている。

 先程リディアの窮地を救ったよりも数倍大きな炎は熱で薬瓶を割り、なかの薬に通うイルザークの魔力を呑んで、大きく爆発し、まるで飴でも舐めるように男を燃やした。


「…………は?」


 魔法を放ったジャンのほうが呆けるほどの威力。

 その肩から下ろしてもらい、リディアはじっと燃え盛る炎を見つめた。


「魔法薬には原材料となる植物や魔物、そして作り手の魔力が通う……」


 呆けたままのジャンが視線を向けてくる。


「だから魔力の相性が合わない人には魔法薬は毒になるし、正しい用法・容量を守らなかった場合は逆に命を脅かすこともある。そのうえ心臓と肺の魔法薬に使用されているニビタチバナの樹液は可燃性が高く、一定の温度以上の炎に触れると急速に爆発する……! いつも爆発させてるわたしが言うんだから間違いない」

「威張るな」


 炎は徐々に小さくなっていく。

 ローブの男がもがき苦しむ様子が観察できるようになってきたところで、リディアはジャンの腕を引いた。

 自分の放った魔法が何倍にも爆発した驚きからいまだ帰ってこない彼を導くかたちで、まだうごうごと蠢いている黒焦げの塊の横を素早く通り抜けて、再び逃走を開始。

 同時に「……ああああああこのくそ餓鬼どもがぁぁぁ!」――背後から怨嗟の声が聴こえてくる。


「やっぱりだめだったー!!」

「なんで生きてんだよあいつ!!」

「だって魔力の大きさはそのまま体の頑丈さだもん! ジャンの魔力じゃ勝てるわけないよ!!」


 逃げる先は決まっていた。間違ってもオクの町の民に被害が及ばぬよう、ベルトリカの森だ。

 六年間顔を突き合わせてけんかしたり遊んだりした相手の実力。魔術のセンスさえない自分の無力。そして六年間を過ごしたベルトリカの森、即ちリディアの庭という土地的有利。オルガの存在。イルザークや討伐隊が駆けつけるまでの時間稼ぎ。


「ジャンこれ! 先生のとこ飛ばして!」


 調合室からくすねてきた〈鳥〉の最後のひとつだ。

 先程の炎がジャンの最大火力だったことは間違いない。げんに彼は大きく肩で息をしながら並走しているが、ぎゅっと歯を噛み締めてリディアの手から木彫りの鳥を引っ手繰った。

 その手からイルザークのもとへ、鳥が羽ばたいていく。

 行く先を追うように一瞬だけ目で追った。

 その空隙に、隣を走っていたはずのジャンの姿が視界から消える。慌てて振り返ると地面にすっ転んでいた。


「ジャンなにしてるの!?」


 さすがに疲れたのだろうかと手を掴むが、足元に視線をやったリディアは口の端から悲鳴を上げた。

 彼の脹脛は両足とも血で濡れていた。


「うそ、なんで」

「いっ……けよバカリディア! 逃げろ!!」


 思わずジャンの手を離して血だまりに手をつく。切断は、されていない。けれどざっくりと刃物で斬りつけたような裂傷から血が絶えず噴き出していた。筋肉、腱、もしかしたら骨に達しているかもしれない。

 もう立てない。

 血が流れ過ぎれば人は死ぬ。

 まだ魔法使いとして未熟なジャンでは。


 リディアの脳裡に白い世界が過ぎった。冬枯れの森。白い幕に覆われた大地。

 こども二人ぶんの足跡と、まるで道標のように残る、片割れの血。

 赤い血は、白に交じって薄紅いろになり、雪を融かす。


「リディア、バカなにやってんだ走れ!!」


 地に這う彼の振り回した腕に押されてぺたりと尻餅をついた。

 その肩に、ぽん、と気安く壊疽に侵された手が添えられる。


「大丈夫だよ」


 黒いローブの男は、先程炎に呑まれたのが夢であったかのように、穏やかな声でリディアを宥めた。


「手当てすればすぐに治るから。いまは痛いだろうけどね」


 纏う闇も、僅かに覗く肌も、傷ひとつない。


「きみはこの町の子どもかな? 女の子を守るために頑張って、涙も悲鳴も零さないで偉かったね。その年にしてすでに魔力の変質も身につけているとはすごい才能だ。王都の《バルバディア魔法学院》でその術を磨けば、いつかもっと優秀な魔法使いになれるよ」


 場違いにもジャンを褒める。自らの優勢を確信しての余裕だ。

 かすかに地面が振動している。地を這うジャンや、ぺたりと座り込んだリディアにくらいしか感じないほどの微小な揺れだった。この黒い魔法使いは気づいていないらしい。或いは、気づいていても気にしていないのか。

 ――これは。

オクの柔らかな色合いの石畳をそっと指先で撫でると、リディアはちいさく唇を動かした。


「どうしてわたしを殺しに来たの……?」

「うん、正確にはイルザークどのの弟子二人を殺しに来たんだけれどね」


 弟子二人、という言葉にジャンが眉を上げた。顔色が悪い。額に脂汗が浮かんでいる。すぐに止血しなければ危ない。魔力は失血を補えない。

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