第8話 ふたりの択ぶこと
「研究の内容が内容だった。誰にも言わないでおいてやるから帰れと言ったのだ。先日教会の者としてうちに顔を出したがあの使い魔と魔力が似ていた」
「……似ていた、ってことは違う可能性もあるってことか?」
「否。あれはどちらかというと混じっているな。本人と、他の者と。魔王軍のなかのどれかに唆されて魔力を借りて《黒き》を名乗っているのだろう」
ぽいっとシュリカを放り投げて腕組みをしたイルザークは、ぐるぐると鍋のなかを掻き混ぜる箆に視線を落とす。
「魔王第一麾下の《黒き魔法使い》はもはや亡い」
シュリカは一瞬だけ呼吸を止めた。
そのことを知る者は上位の魔法使いのなかにももう数名しか残っていない。
最初からイルザークもシュリカも今回名乗りを上げた者が贋物であることはわかっていた。
そのことが恐らくイルザークの鷹揚な態度にもつながっている。
「贋物ごときに割く時間はない」
「おまえ、リディアとアデルが狙われたとしてもそんな悠長なことを言えるのか」
魔法使いへの弟子入りというものは本来そう簡単なものではない。
イルザークが弟子を断る理由に研究内容を挙げたということは、教会の方針や天海のくじらの定めに逆らうようなものだったのだろう。
魔王軍の残党とつながってその配下を名乗るような輩だ。
弟子たちの存在を知れば、自分を断っておいてなぜ只人の餓鬼など――と、そう考える可能性だってじゅうぶんにある。
責めるような目つきになったシュリカを一瞥すると、彼は人差し指をついと動かして、鍋の中身を空の瓶に詰めはじめた。
とうめいに近い水色の薬。魔法薬は純度が高いほど色が澄み、出来の悪いほど濁った粘性の液体になる。
国内最高峰の魔法薬をぞんざいに瓶詰していきながら、イルザークは長いまつげを伏せた。
「……永遠の封印など存在せぬ。魔王はいつか甦る。元より不可避であるならばそのときまでに可能な限り手足を切り落としておかねばならぬ」
瓶詰された十本のうち、五本は行儀よく棚のなかに自ら並び、五本は紐で一まとめにされて巾着袋のなかに収まった。
シュリカの依頼ぶんであるその五本をフクロウの頸にかけると、イルザークは調合に使った鍋を浄化していく。
「近々討伐隊を組んで追う予定になっている。まずは贋物に第一麾下を名乗らせる阿呆を炙り出す。小物などはあとで潰しておけばよい」
「……教会のお偉いさんもそういう方針なのか?」
「当然だ。むしろいまは泳がせるべきだ」
「あの子たちは、囮か」
刺々しい声音になった自覚があったのに、イルザークは「ああ」と、思いもよらなかったという風に目を丸くした。
「成る程そういう手もあるな」
(そういう手もあるな。──じゃないだろう、このすっとこどっこい!)
友人づきあいの云百年を超えるシュリカにさえこの黒ずくめの考えることはよくわからない。
あの只人のこどもたちは一体どうやってこれと意思疎通をはかっているのだろう。なにかコツでもあるならぜひ伝授していただきたいものだ。
それでも云百年の腐れ縁を切らないままでいるのは、夜から生まれ落ちたようなこの男の、誰よりも人間くさい側面を見捨てられないからだ。
「……知らねーぞ俺は、リディアとアデルが囮にされたことに怒って二人揃ってもとの世界に帰るって言いだしても」
「それはそれで、ふたりの択ぶことだ」
イルザークの横顔は寡黙だった。
もしふたりが自分に対して失望してこの家を旅立つことを決めてもそれはそれ。
それ以上でも、それ以下でもないという声音にシュリカは首を竦める。囮云々は抜きにしても、確かにその通りだからだ。
択ぶのはあのふたりだ。
きれいになった器具が調合台に落ち着いたとき、イルザークが窓の外を向いた。
続いてシュリカがそちらへ首を回すと、先程まで彼が腰を下ろしていた窓の桟に、一羽の白い鳥が降り立った。
純白の羽毛の胸には、天界神ラフラーを象徴する太陽と、魔力の象徴である苹果の樹を模した魔法教会の紋章が、濃い藍色に浮かんでいる。
「シュリカどのもいらっしゃるのか」
口を開いた白い鳥から聴こえた声にシュリカはぎょっと目を見開いた。
「ゴラーナ大賢者どの……」
魔法教会に所属する魔法士たちには、その魔力や研究や功績によって階級が付与される。
基本的には下から〈魔法使い〉〈魔道士〉〈魔導師〉の三つで、最上位のなかでも最も功徳ある魔法使いが他の〈魔導師〉から推挙されて〈大賢者〉となる。この白い鳥を遣わしたゴラーナ大賢者は二十年前の魔王封印の立役者である英雄一行の仲間で、並みの人間にはすでに伝説や神話級の人物でもあった。
しかし、イルザークはイルザークだった。
「なんの用だ、ゴラーナ」
シュリカは即座に人型をとって知己の頭を後ろから引っ叩いた。いくらゴラーナが〈魔導師〉だった頃からのつきあいといってもこれはない。
この国で最高位に就く魔法使いは「ほほほ」と楽しそうに笑った。
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