第7話 お節介フクロウ

 シュリカは朝焼け色の双眸をぱちくりと瞬かせた。

 目の前で魔法薬を調合する友人がたったいま発した言葉が信じられなかった。


「……けんか?」

「ああ」

「リディアとアデルが?」

「うむ」

「あの明るく朗らかでお日さまを絵にしたようなアデル大好きリディアと、穏やかで静かで月の子のようなリディア大好きアデルが?」

「しつこい」


 しゅっ、と茹で終わったばかりの赤ジゼの葉が飛んできた。生のままで食べられる葉野菜だが、熱した状態で色素が付着すればなにをどうやっても落ちない危険な代物である。

 上体を逸らして間一髪避けたシュリカは、それでも信じがたかったのでもう一度「本当に?」と首を傾げた。

 イルザークは指先で鍋やへらを操りながら「ほんとうに」とうなずく。


 面倒なことになったからちょっと来い──という内容の報せを受けたシュリカは、六年前の「瀕死のこどもを拾ったからちょっと来い」以来のイルザークからの呼び出しに飛び上がらんばかりに驚き、実際フクロウ姿になって飛んで駆けつけた。

 シュリカが居を構える町から西に山を越え、谷を越え、日鳴き鳥の声を一度挟んだ昼下がり、いつも通り調合室に顔を見せると今日はイルザークに迎えられたのだ。

 ベルトリカの森に再び〈穴〉が開いたこと、リディアをもとの世界に戻すための自浄作用であろうこと、そして帰ってきたあとの弟子二人のやりとり。

 フクロウ姿のまま窓の桟に腰を落ち着けているシュリカは思わずため息をついていた。


「……で、当のふたりはどうしてる?」

「昨日は一日中部屋に籠もって編み物をするのと勉強をするので分かれていたな」

「なるほど」

「今日は二人とも町へ」

「悲しいほど行動パターンがだだ被りだな。……いや、大方家を出たリディアをアデルが追っかけたってとこか?」

「であろう」


 イルザークの指先が背後の薬棚へ向いた。ひとりでに棚の戸が開き、抽斗がすっと抜けて、干したイラクサの根が空気中を泳いで鍋のなかに消えていく。同じような仕草を何度か繰り返して、必要な材料を鍋にぶち込み終えると、自立した箆が中身を掻き混ぜはじめた。


 薬の調合というのは、特に魔法薬ともなると作業には細心の注意が払われるものだが、いつ見てもイルザークの作業は雑だ。

 なかには一定の温度を超えただけで発火するようなものや、ちょっと粉末を吸っただけで卒倒するようなものもあるというのに、実にぞんざいである。

 これで効き目は国内随一なのだから文句は言えないが。


「それにしてもあの二人がけんかとは。……珍しいこともあるもんだなぁ」


 首だけを回してベルトリカの森を見渡したシュリカは、どこにあるとも知らない〈穴〉の存在を感知しようと目を凝らした。

 イルザークが人除けの陣を施したというから判りにくかったが、確かにオクの町に近いあたりでおかしな澱みを感じる。そこだけぽっかりと魔素が抜け落ちた、文字通り世界の穴。


「いいのか、外をうろつかせても。例の《黒き魔法使い》の使い魔、おれもさっき見かけたぞ」

「なにかあればオルガを呼ぶだろう」

「なにかあってからじゃ遅いだろうに。リディアは身を守るすべがない、アデルには逃げる足がない……」


 先日からこちら、なぜ師匠のイルザークでなく自分のほうがこどもたちの心配をしているのか不思議でならない。

 シュリカが再びくどくどと友人を説教しようとしたとき、は、とイルザークの横顔に視線をやった。


「おまえまさか、《黒き魔法使い》の正体に心当たりでもあるのか?」

「…………」

「黙るってことはそうなんだな」


 思えば鷹揚に過ぎた構えの友人をもっと疑うべきだった。

 イルザークは精霊や神々と契約を交わす魔法使いとして、嘘はつかないが、ほんとうのこともまた言わないことが多い。

 ばさばさと羽根を散らかしながら調合室のなかを飛び回り「てんめぇ」「誰なんだよおい言え」「この石頭」と罵ると、イルザークはあからさまに鬱陶しげな顔になった。


「……むかし、弟子入りしにきたのを断っただけだ」

「逆恨みじゃねえか!」

「いまは表向き魔法教会でよろしくやっていたようだから放っている」

「放っておくなっ! 大問題だろうが!」


 あの只人のこともたち以外で弟子などほとんどとったことがない、とったとしても長続きしなかったイルザークなので、断った部分に関して追及するのは無駄だ。魔法使いはすべて登録の義務がある魔法教会に対しても、そう愛着のあるたちでないことは知っている。だが、放っておかれては困る。

 イルザークの頭の上に着地したシュリカがばしばしと翼で叩きまくると、彼はぞんざいな手つきでフクロウの首根っこを掴んで引きずり下ろした。

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