第4話 魔法の手

「飛び魚の渡りで判るものなの?」

「ああ。あいつらは基本的に暖かい空気のなかを泳ぐから、いまの季節は南か東へ向かうもんだ。北へ逆行してるってことは、南になにか大きな魔素の動きがあって逃げていくところだろう」

「南……」


《黒き魔法使い》復活を報せたというメイベルの友人は確か、南のほうに住んでいるのではなかったか。

 まさか、と眉を顰めたリディアの頭を、ザジは大きな右手でわし掴む。


「ま、うちにゃ凄腕魔法使いの先生がいっからな! 大丈夫だ」

「えぇぇ……でもうちの先生、魔法薬専門の引きこもりだからなぁ……」

「あー、そういやそうだったな」


 イルザークの魔法薬の効果は遠い王都まで評判が轟き、わざわざ訪ねてくる客も少なくない。ただし、オクの往診か、ベルトリカの森のなかでの材料採取以外、ほとんど外に出ず自室か書斎に引きこもって年がら年じゅう研究に没頭している人だ。

 もし《黒き魔法使い》に襲われたとして、華麗に撃退できるとは思えなかった。

 そもそも魔法とは本来、よりよい生活を送るための知恵と恩恵であって、人を傷つけるためのものではけっしてない。

 魔王軍や魔物の一部は、その本来の用途を曲げて他者を害する目的で魔法を使うため悪とされるのだ。


「困ったなぁ……。なんで悪い人たちはわざわざ悪いことをするんだろう?」

「哲学的だな。おれにもわからん」


 首を傾げながら次のパンを頬張るリディアの横で、ザジも難しい顔になって腕組みをする。

 と、そこで彼は思い出したかのように顔を上げた。


「忘れてた。リディアこれ、この前に編んでもらった腹巻の礼だ」


 ベンチの足元に置いたままだった紙袋を渡される。

 なかを開いて見てみると、色とりどりの毛糸玉がわんさか詰まっていた。優しい生成のものから、天海のような透き通る青、夏の濃い緑、朝焼けの金色など、十玉ほどありそうだ。中には凝った染め方でグラデーションのかかったものもある。


「わあ、いいの、こんなに」

「都の知り合いに頼んだから、届くまで時間がかかってな。またなんか編んでくれや」

「ありがとうザジ!」

「いやお礼なんだけどな?」


 都のものというだけあって質がいい。腹が冷えるとぼやいていたザジに編んでやった腹巻よりも余程上等なお礼だ。

 わぁい、と素直な声を上げて喜ぶリディアの横で、ザジは眩しいものでも見るかのように目を細めた。


「リディアのつくるもんはいいなぁ。魔法や薬なんかよりよっぽど効くぞ」

「ほんとに?」

「ああ、ほんと。お前がひとつひとつ丁寧に編んでくれたんだなぁってわかるから、市で既製品を買うよりずぅっと嬉しいし、効果があるよな」


 ザジは目元を弓なりに綻ばせて、リディアの小さな手を握る。


「こりゃ魔法の手だ。すごいよ、お前は」

「……魔法も魔術も使えなくても?」

「得意不得意はみんな色々あるもんだ。そのなかで積み重ねる努力こそが真の力だ。おれはもともと魔法が使えて、剣も得意だったけど、リディアみたいな編み物や刺繍はできんしな」

「髪と目のいろが変でも?」

「変てこたぁねぇだろ、なに言ってんだ。髪や目や肌のいろなんてみんな違うもんだ。アデルや先生の黒は、確かにちょっと珍しいけどさ」


 リディアは握られた手を見下ろした。

 よく見れば細かい傷がたくさん残る、無骨で硬い手。

 少しかさついていて、大きくて、強そうな手だ。左腕のない彼だけれど、右の掌ひとつでリディアの両手を包みこんでしまえる。


「大体、リディアの髪と目の色と、編み物が上手なのとなにか関係あんのか」

「……よく考えたら、ないね、あんまり」

「おう。よく考えなくても、あんまないだろ」


 顔を見合わせて、ふくくと笑みを零す。

 ザジのおおきな右手は次にリディアの頭に乗っかって、わしゃわしゃと髪を乱しながら撫で回した。


「パン食ったら戻れよ。《黒き》のこともあるし、あんま先生やアデルに心配かけんな」

「うん……」

「まっ、心配すんな。もしオクでなんかあったらこのザジ先生が久方ぶりに剣をとって戦ってやらぁ。イル先生の出番なんかないくらいに大活躍してやるよ」

「うん……いやいやいや、また腰やっちゃったら大変だから、無理しないでね」


 わしゃわしゃ、ぐしゃぐしゃ、しつこいくらいに頭を揺らされながら昼食を食べ終える。

 やっぱりジャンのマフィンは美味しかった。悔しいくらい。

 ジャン、おいしかったよ、学院でも頑張ってね、たまには帰ってきてパンを焼いてね。――彼の出発がいつだか詳しくは知らないけれど、発つ前にきちんとこれは伝えておこうと思った。


 帰れ帰れとザジに促されたので、リディアは毛糸の紙袋を抱えて立ち上がる。

 本当はアデルと顔を合わせるのがまだ気まずいからオクでふらふらしたいのだけれど、ココの不調は早めに伝えたほうがよいかもしれないと、リディアは渋々ベルトリカの森へ進路をとった。


 どこか大人しい様子でとぼとぼ歩いていく少女の後ろ姿を、ザジは目を細めて見送った。

 片割れと一緒にいるときよりも、その背中は華奢に見える。


「……南か」


 低くつぶやいて天海を仰ぐ。

 魔力を持たないリディアには感知できないが、今日は空気がざわめいていた。よくないものが近づいてきている。ザジの目に映る南の海は、空気中の魔素の色を受けてすこし濁っていた。

 そのザジの傍ら、つい先程までリディアが座っていたその場所に、北西から滑空してきた白い鳥が降り立った。

 視線を落としたザジの鋭い眼光を見つめ返し、鳥が嘴を開く。


「よい天気ですね」


 流暢に人語を喋る鳥に、ザジは剣呑な声で返した。


「よくない報せか、ゴラーナ」

「ええ。まことに残念なことに」

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