第34話 予選

 心臓が高鳴る。

 緊張は、正直している。

 だけど、楽しくてしょうがない。

 頭が沸騰しそうだ。

 これではいけないと思い、レージは空を見上げる。

 一度だけ大きく息を吐く。


「よし、がんばろっ!」


 レージはこの瞬間が大好きだ。

 競技が始まる寸前のこの緊張感、そしてその中で見る青空。

 今日が晴れてて本当に良かった。

 競技前のルーティーンをすることで、さっきよりも随分と落ち着いたのがわかる。

 そして、慌ててスタートはせずにコースの確認をする。

 スタートするまでに60秒間の猶予がある。

 ファーストリングを飛抜するのに10秒ほどと考えれば、50秒は使えるわけだ。

 もちろん60秒を過ぎたら失格になるため、ある程度余裕を持たないといけないのだが。


「いこう、ロッテ。俺たちならできるよ」


 レージは手綱を少しきゅっと握り、ロッテに扶助を出した。

 小さくロッテは鳴き、そして加速する。

 レーザーレンジを使ってファーストリングに照準を合わせ、大きく旋回してファーストリングを綺麗に飛抜した。

 大丈夫、ロッテの調子は良い。

 飛抜した直後に体を起こし、次の赤いリングを目指す。

 無駄なく赤いリングを飛抜した。

 そして橙色のサードリングを飛抜後、リングとは逆方向にぐるっと旋回して、黄色のフォースリングも問題なくクリア。


「いいぞ! ロッテ!」


 上昇して急降下する形で黄緑色のフィフスリングを通過する。

 シックスリングは直線的位置にあり、その勢いのまま飛抜した。

 こういった直線的なリングの配置のことをダブルリングというそうだ。

 ダブルリングで重要なのは最初のリング。つまりこの場合はフィフスリングへのアプローチの仕方次第で難易度が大きく変わる。

 フィフスリングを飛抜する前にシックスリングと重なって見えていることがベストで、ズレている場合はリング間で微調整をしなければならない。

 レージとロッテはフィフスリングへのアプローチがとても綺麗に決まっていた。

 そして次は水色のセブンスリングだ。

 ここからは未知の領域。

 地上からしか位置を把握しておらず、シックスリングを通過してからどこに目線をやればいいのか、正確な位置を把握できていない。

 しかし、レージの目にはすぐに水色のリングを見つけられていた。


「よしっ」


 二番の選手が通っていたような経路をイメージして、セブンスリングへ向かう。

 ちょっと大回りになってしまったが、問題なく飛抜した。


「次は……あれ?」


 青いエイスリングが見当たらない。

 方向としては間違っていないと思うのだが……。

 レージは慌てて首を振り、視線を上下左右に動かす。

 地上から見た時は、セブンスリングの右上に位置しているように思っていた。

 一度、ロッテを止めてホバリングさせる。

 そして周囲を見渡して青いリングを探す。


「くそっ!」

「くぃーん!」


 焦るレージをなだめるように、ロッテが大きく鳴いた。


「ごめん、ロッテ。そうだよな。テルが言ってた。予選は接触さえなければゆっくりで大丈夫って」


 ここまでかなりスムーズに来れて貯金はあるはずだ。

 慌てずにゴールまで丁寧に行くことが、今は最優先だ。


「あった!」


 ゴールとなる黒いリングの向こう側に青いリングが見えた。

 地上からではこの位置関係をちゃんと把握できていなかった。

 やっぱり平面で考えてはダメなんだ。もっと立体として、空間として考えられるようにならないと。


「いこう!」


 レージはロッテに扶助を出すと、紫色のナインスリングを探しつつエイスリングへ向かった。

 丁寧にエイスリングを飛抜すると、ナインスリングもすぐに発見。

 大きく旋回してナインスリングを飛抜し、ゴールである黒いラストリングへ向かう。

 そして最後は少し加速して、ラストリングを飛抜した。

 ノーミス。

 接触をミスと定義するならノーミスだった。

 しかし、下見不足が露呈する結果となった。

 後は他の参加者の動向次第だ。


「レージ・ミナカミとシャルロッテの記録は105秒。現在のところ第二位です」


 二番の人が今のところトップで99秒。

 接触数がひとつにつき10秒加算されるルールにあって、79秒+20秒が二番の人の成績ということになる。

 つまり、レージのいる位置としては二接触と三接触の間くらいということだ。

 レージは地上から後の出番の競技を眺めていた。

 ちょうど、レージを騙した男の競技が終わるところだった。


「レージ、お疲れさま!」

「うん……」


 テルの労いに、元気なく頷く。


「大会委員の人から聞いたけど、下見に遅れたんだって?」

「あぁ、うん。第二会場に変更になったって聞いてさ」

「え! 誰がそんなこと言ったの!?」


 ちょうどそこへ、くすんだ緑色のドラゴンが出番を終えて降りてきた。


「なんとかゴールできたみたいで、運がいいな初心者くん」


 ひょろっとした男がドラゴンから降りるなり言い放つ。

 確かな悪意がそこにいる。しかし、レージは怒る気になれなかった。

 下見はできなかったが、コースの確認はできていた。

 もっとやれたはずなんだ。これは完全に自分の力不足だ。


「ちょっとライアン! どういうこと!?」

「そもそもテル! お前が怪我さえしなければリゼルさんのリベンジが果たせたんだ!」

「なに言って……?」


 突然の剣幕にテルも驚く。


「リゼルさんはお前へのリベンジに燃えていた。それなのに今年は全然大会に出てこない。ようやく出てきたかと思えばヴィンセントドラゴンファームから出場してくるのは、ついこの前乗り始めたばっかって噂のそこの男じゃないか! 舐めるのも大概にしろ! リゼルさんがどれだけがっかりしたかわかるか!」

「知らないわよ! 私だって出たかったんだし! それとレージに悪質な偽情報を教えるのとどう関係してるっていうの!」

「俺は――!」


 ライアンの言葉はそこで止まった。

 いつの間にか現れたリゼルが、静かにライアンの肩に手を乗せていたからだ。


「どういうことだ?」

「いや、リゼルさん! 俺はリゼルさんを失望させたあいつに恥をかかせたくて……!」

「余計なことを……」


 ハァとため息を吐き、リゼルはライアンの前に立ち、テルとレージを睨みつける。


「連れが余計なことをした、すまない。結果を変えることはできないが、なにか償おう」

「なんで、リゼルさん!」

「恥をかいたのは誰だ! 失望させたのは誰だ! 竜騎士を目指すなら決着は空で決めればいいだろう!」

「くっ……」


 意外だった。

 リゼルはクールで嫌なやつだと思っていた。


「いや、いいんだ。完全に俺の力不足だった。本当に悔しいよ」


 レージは拳を握りしめた。

 この言葉に嘘はない。

 他人のせいにしても何も解決しない。

 確かにライアンには悪意があった。でも、こんな低俗な悪意なんて飲み干して、その上に行くことができたはずなんだ。

 だからこそ、リゼルの正々堂々とした言葉は響いた。

 なんとなくだけど、リゼルと戦ってみたいとレージは思う。


「レージ・ミナカミといったか。初心者の割にはまあまあ乗れていた。俺も舐めていて悪かった」


 若干、まだ舐めているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 とはいえ突っかかったら話がややこしくなる。


「初心者なのは本当だし、舐められて当然だよ。結果も伴わなかったわけだし……」

「ふん、まだ結果はわからない。今のところ十位。俺が一位になるのが確定とすると十一位。残り十人で五人分の余裕がある」


 フォローしたいのか自慢したいのかどっちかにしてくれ。

 結果がわからないって言ってるのに自分は一位なのかよ。

 ってツッコミどころが多すぎる!


「そうだよレージ。まだわからないよ!」

「レージ、なかなかおもしろいやつだな。上がってこいよ」


 そう言うと、リゼルは去っていった。そろそろ出番なのだろう。

 ライアンは俯きながらリゼルの後を付いていく。

 リゼルはクールで嫌なやつだった。

 ただ、卑劣ではなかった。


「ねぇテル。リゼルは俺のことをなんでおもしろいやつって言ったのかな?」

「レージ、それは言わない約束だよ。格好つけたい年頃なんだから」


 リゼルのキャラによって、レージの怒りや悔しさはどこかへいってしまった。

 もはや、なるようにしかならない。

 順調に大会は進行し、いよいよ残り二人。

 現在の順位は十五位。かなりギリギリのところにいる。

 次の人のタイムが106秒以上なら予選通過が確定する。

 なんとも複雑だ。

 レージは他人の失敗を祈りたくなんかなかった。

 相対的な戦いなのはわかっている。でも他者の介入があったとはいえ、自分の力不足が露呈したのは事実で、その上で他人の失敗を願うというのはプライドが許せないのだ。

 そう思うと、その人の競技を見られず、視線をロッテへ移した。


「ロッテ、俺が迷っちゃってごめんな」

「くぃん」

「次はもっとしっかりするから」


 ロッテを撫でながら、今一度自分の反省点を整理していた。

 本来、ここまで自分を追い込むような思考をする必要はないだろう。

 しかし、レージがこれまで馬術の大会で良い成績を残してこられたのは、こうした自己責任を負い、貪欲に、そしてストイックに馬術に向き合ってきた賜物である。それは騎竜においても例外ではない。

 競技前はポジティブに。競技中もポジティブに。競技後はネガティブに。それがレージの基本的な思考回路だ。


「ただいまのグルージ・バレンティンとドンガッツの記録は108秒。現在のところ第十六位です」

「やった! レージやったよ! 予選通過だよ!」


 両手を挙げてはしゃぐテル。

 それに対してレージは、ふぅっと大きく息をついた。競技後の自分ではどうにもできないという不安や緊張から解放されて、一安心といった感じだ。


「よかった、まだ優勝のチャンスはあるってことだね」

「そうそう! ここからはトーナメントで、一対一のノックアウト方式だよ。とにかく負ければおしまい、勝てば次って感じ!」

「うん、ここからは負けないよ!」


 結局最終競技者のタイムは85秒となり、レージは十六位で決勝トーナメント進出となった。


「元々そうだけど、ここからは対戦相手全員が明確に格上。ロッテ、やってやろうな!」


 頭の中をポジティブに切り替える。

 次があるなら反省を活かすチャンスがあるということ。


「がんばろっ」


 小さく握りこぶしを作って、レージは歩き出した。

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