第四話「赦しの物語」

 大地を揺るがす咆哮に、呆気にとられる大般若孝。狛ヶ峰がその大般若からパイプ椅子を奪取する。そして猛然とこれで大般若孝を叩く。一発の重さは別格である。

「俺たちの闘いの場はここだ!」

 と言わんばかりに、大般若孝をリング内に叩き入れる狛ヶ峰。

 観客席からは拍手。

 そして遂に、狛ヶ峰が大般若孝を有刺鉄線に振ると、初っ端に大般若孝が狛ヶ峰を餌食にしたのとは逆の運命が大般若孝を襲った。

 激しく散る火花と火焔、立ち上る黒煙。そして、観客席からは悲鳴。

 だが大般若孝が不気味なのは、背中に食い込んだ有刺鉄線の痛みをまるで堪能するかのように、ぐいぐいとり、敢えてこれにもたれかかっているかのように見える点だ。

 浩太郎のように、初めてこのような試合を目にする者にも伝わる不気味さが、試合をしている当の本人には見えないものなのだろうか。狛ヶ峰が大般若孝に追撃を加えようと、助走をつけて襲い掛かる。

「ダメだー!」

 浩太郎の声が届くが早いか大般若孝の反応が早いか、大般若孝が身を伏せると、目の前から標的が消えた狛ヶ峰が有刺鉄線に飛び込む。

 この日三度目の爆破である。


 ちなみに爆薬は一辺につき二発分あり、この辺の爆薬はこれで尽きたことになる。一辺はスムーズな場外乱闘のために有刺鉄線がないので、残る爆薬は三発分という計算になるが、無論浩太郎は一辺につき二発分の爆薬云々の話は知らない。

 ただ、自らのヒーロー狛ヶ峰が、初めて浩太郎が目にする大般若孝なる不気味な敵に翻弄される姿を目にしながら、必死の声援を送るばかりだ。


 爆破によるダメージを再び負った狛ヶ峰。大般若孝が

「サンダーボルト!」

 と雄叫びを上げ、狛ヶ峰の頭を両の膝頭のあいだに挟み込む。

 大般若孝のフィニッシュホールド、サンダーボルトパワーボムを知らぬ浩太郎であっても、このように繰り出される次の技に、大般若孝自身が並々ならぬ自信を持っていることは伝わるものであり、そうであればこそ

「返せ狛ヶ峰!」

 と送る声援も一層力強い声になろうというものだ。そしてあたかもその声が届いたかのように、力を振り絞って頭を上げる狛ヶ峰。パワーボムの体勢に捉えられたが、リバースに成功。

 だが負ったダメージ、失ったスタミナともに大きく、追撃できない。

「狛ヶ峰頑張れ!」

 という浩太郎の叱咤。

 大般若に先んじて何とか立ち上がった狛ヶ峰が、今度は大般若孝をパワーボムの体勢に捉えると一気にこれを担ぎ上げ、その頂点で一瞬の溜め。大般若孝驚愕の表情。

 一閃、二階から落とすパワーボムが炸裂した。狛ヶ峰がプロレス入りした直後からそのフィニッシュホールドとしてさかんに喧伝されていた技が繰り出されたというだけあって、客席から歓声が沸く。

「返せ返せ!」

 がっちりと押さえ込まれた大般若孝であったが、ここはパワーボムという技の使い手として、そしプロレスラーとして遙かに先輩だという意地の為せる業か、かろうじてこれを返した。


 残り三発分の爆薬は余さず爆発し、互いにフィニッシュホールドを繰り出した両者。押さえ込んだ側はこれが最後と思い定め、押さえ込まれた側はともすれば折れそうになる心を奮い立たせて必死のキックアウトだ。

 レフェリーはそのたびにマットを叩き、観客はそれに合わせて共にカウントするが、三つに届くことがない。


 両者死力を尽くした闘い。

 声を限りの声援。

 インチキ? 真剣勝負?

 知らない。

 知らなくて良い。

 肉弾相打つ音。

 ミストとなって飛び散る汗。

 流れる血。

 床を伝って身体を震わせる衝撃。

 全部本物だ。嘘が、なにひとつない。


 その闘いを見せているのは誰だ。たったいまインチキ野郎と蔑んだ大般若孝と、そして自分を裏切り絶望させた元横綱。


 狛ヶ峰と大般若孝。いずれが勝っても負けても、もはや浩太郎にとってはどちらでも良かった。

 狛ヶ峰がなにを思って闘っているのか浩太郎は知らない。知らないが少なくとも浩太郎にとっては、狛ヶ峰がこのような死闘を敢えて自分の目の前で演じる理由について、死闘を闘うことによって八百長相撲の罪をあがなおうとしているもののように思われたし、大般若孝はそんな狛ヶ峰の相手を自ら買って出て、失われた大横綱の魂を復活させようとしているもののように思われた。

 いうなれば「魂の救命行為」とでも形容されるべき闘いであった。


 そして狛ヶ峰の大横綱としての魂は、間違いなく復活を遂げたのである。

「二人ともが、自分のために闘ってくれている」

 浩太郎にとってはそれのみが真実であった。

 だから勝敗などもうどうでも良かった。

 ただ、自分のために闘う両者へ、力いっぱいの声援を送ることの出来る幸せに、浩太郎の心はいま、満たされていたのであった。

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