第十九話「狛ヶ峰デビュー戦」

 この日の大般若興行がいつもと違ったのは、普段入ることのないテレビカメラがそこかしこに入ってきていたことであった。それもそのはずで、八百長相撲の末に力士殺害事件の原因を作って世間から雲隠れしていたあの狛ヶ峰が、プロレスラーとしてデビューすることが、唐突に発表されたからである。

 それだけでも十分にセンセーショナルだというのに、その闘いの舞台が、全国プロレスや真日本プロレスといった、いわゆるメジャー団体などではなくして、あろうことか大般若興行だというのが、さらに世間を騒がせる要因となった。大般若興行はやはり、世間ではキワモノ扱いされていることが、この一点でも理解できようというものである。

 しかも後楽園ホールのような屋根付きの会場ではない。大商物流センター駐車場特設リング、つまり露天のリングで行われる一地方興行でのデビューである。

「あの大横綱が邪道のリングに」

「堕ちた綱の権威」

 そのような見出しが週刊誌に踊るなか、執り行われた狛ヶ峰のデビュー戦。

 ただ、そのデビュー戦は過去の横綱レスラーがメインイベント級でデビューしたのとは異なり、狛ヶ峰たっての希望で第一試合から登場する異例のマッチメイクであった。

 狛ヶ峰が大般若興行のマットに上がったのは、いうまでもなく大般若孝が狛ヶ峰への挑戦をぶち上げたからである。本来であれば大般若孝が狛ヶ峰のもとにたどり着く形式でシリーズを進めていくべきであったが、その計画は来たるべき狛ヶ峰戦に向けた査定試合ともいえる玄龍天一郎とのタッグマッチで実質的に終了したといって良く、今は立場が逆転し、プロレスラーとして大般若興行に弟子入りした狛ヶ峰が、新人レスラーとして修行し直し、かえって大般若孝のもとにたどり着く、という当初想定していたものとは真逆のストーリーラインが、狛ヶ峰の強い希望で実現することとなったわけである。

 これまで何度も説明してきたとおり、大般若興行にはテレビ局などという大口のスポンサーはない。つまりテレビ放送もないわけだから、いくらストーリーラインを組んだとしてもよほどコアなファンでもなければ追いきれないというのが本当のところであった。なので、狛ヶ峰と大般若孝の対戦に繋がるストーリーラインが当初の想定と真逆になったことについてアレやコレやと文句を付けるような客もなく、大般若興行の第一試合は、テレビカメラが多数入っているという一点以外は特に普段となんの変化もなく行われることとなった。

「それでは本日の第一試合を行います。青コーナーより、狛ヶ峰、ファットマン・フジヤマ組の入場」

 リングアナのコールに続き、ファットマン・フジヤマの入場テーマがラジカセで流される。露天興行でのお馴染みのやり方だ。ちなみに余程コアなファンでもなければ大般若興行のストーリーラインなど追っていないと前述した。その点は入場テーマに関しても同じで、大般若興行において入場テーマが知られているレスラーは大般若孝の「ワイルドシング」だけだといって良い。

 なので観客のほとんどは、いま流されているテーマ曲がファットマン・フジヤマのものか狛ヶ峰のものか知る由もなかったのだが、実はここでも狛ヶ峰たっての希望で、彼には入場テーマなるものは依然準備されてはいなかったのだ。そういったものはプロレスラーとして大を成してから改めて準備すれば良いのだとするあたり、横綱として星を買いまくっていた往時から心を入れ替えた証左であろう。

 兎も角もリング上に対戦相手である田中ハードコア、マッチョ山下組を迎えた狛ヶ峰ファットマン・フジヤマ組は、狛ヶ峰を先陣と定めて試合開始を待つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る