第二十話「取材攻勢」

 激しいフラッシュが焚かれるなか、北乃花理事長と横綱狛ヶ峰が並んで深々と頭を下げる。


 十秒……、二十秒経過。


 二人とも頭を上げようとしない。

 このまま頭を下げ続け、次に顔を上げたときには雲霞の如く押し寄せた報道陣が忽然と消え去ってくれはしまいか。

 そんな有り得ない出来事を願っているようにさえ見える両者。


 三十秒。


 ようやく理事長が顔を上げ、次いで狛ヶ峰が報道陣に顔を向けた。

「報道陣の皆様方にはお集まりいただきまことにありがとうございます。この度は、このような形で世間をお騒がせし、申し訳ございません。

 過日、愛知県警捜査第一課及び愛知県中警察署刑事第一課連名で広報されました序二段力士狛犬による狛王刺殺事件の犯行動機につきまして、協会として内部調査した結果をご説明申し上げます」

 北乃花理事長が例によって汗みどろになりながら切りだした。

「最初に明確に申し上げたいことは、捜査機関より広報されました横綱狛ヶ峰による平幕力士連山及び大関霧乃山への八百長の打診については、明確にこういった事実はなかったとの結論に達した、ということであります。

 広報によりますと狛犬は先に執り行われました名古屋場所中日、平幕力士連山に八百長相撲を持ち掛けたとあります。

 連山はこれを断り狛ヶ峰は真剣勝負によって連山を破ったものの、八百長の打診を断られたことにフラストレーションを募らせ、弟弟子狛王に命じて星の売買に失敗した狛犬に対し制裁まがいの稽古を強いたことが、狛王を刺殺する直接的な動機となったと広報されております。

 協会と致しましては証言の重大性に鑑み捜査機関からの事情聴取ののち、捜査に支障のない範囲で横綱狛ヶ峰はじめ関係者全てから聞き取り調査を実施致しました結果、中日なかびに狛ヶ峰側から連山側に対して八百長を持ちかけた事実及び翌日の稽古で狛犬に対し制裁が加えられた事実双方について認定するに至りませんでした」

 狛犬の証言と、これを広報した内容を真っ向から否定する北乃花理事長。

 震える手でメモを読み上げ、視線を報道陣に向けると同時に申し合わせたようなフラッシュとシャッター音の雨あられ。

「続きまして十四日目、大関霧乃山に対し、横綱狛ヶ峰から八百長の打診があったという内容について調査結果をご報告致します。

 横綱狛ヶ峰及び大関霧乃山、更に霧乃山の付け人より事実関係について聞き取りを致しましたところ、いずれもそのような事実はなかった旨で説明は一致しており、十四日目の取組においても八百長の打診があったと認められる証拠を得るには至りませんでした。

 協会と致しましては本件刺殺事件で世間をお騒がせしている以上、捜査には全面的に協力する所存ではございますが、今回広報された内容につきまして協会内部で調査した結果が、捜査機関の広報した内容と齟齬を来した点については慚愧の念に耐えません。

 以上が内部調査の結果でございます。

 それでは質疑応答の時間を設けますので、挙手にてご質問願います」

 北乃花理事長がそのように告げると記者のほとんど全員が挙手した。

読書よみかきの前田です。

 協会の内部調査の結果、狛犬の証言については事実と認められなかったという内容ですが、調査はどのような方法で行いましたか」

「聞き取りであります」

「ありがとうございます。

 先年の大相撲八百長問題の際は、元々の疑惑の出所が力士の所有する携帯電話のメールでしたが、今回の調査では関係する力士の携帯電話を解析する等の方法は取りましたか」

 聞き取りだけで済ませたのか、と暗に詰る質問である。

 理事長は

「ただいまのご質問にお答えいたします。

 前田記者が仰った先の八百長問題の後、再発防止策として携帯電話を控え室に持ち込むことを禁止しており、これは東西の控え室を繋ぐ通路に配置する親方衆によって厳格に監視する等の方法により厳正に行われております。

 既に対策が取られておりますので、控えに持ち込むことがそもそも不可能である個々の力士の携帯電話の解析については必要がないとの判断に基づき、調査は主として聞き取りにより進めたものであります」

 事前の想定問答のとおりにこたえた。

あさひの志水です。

 とどのつまり協会としては狛犬がありもしない八百長打診と制裁まがいの稽古を犯行の動機に挙げたと考えてらっしゃるようですけれども、それでは狛犬がそのような、一種の誣告ともいえる供述を捜査機関に対してした理由について、理事長は何か思い当たる節はございますでしょうか。

 内部調査の結果も踏まえてお願いします」

「宮園親方より聞き取りを致しましたところ、狛犬はこれまで二度、部屋から脱走する騒ぎを起こしているそうです。相撲に対する取り組み姿勢、私生活などは良好とはいえず、まあ水が合わないとでも言いましょうか、絶えず指導が必要で相撲界独特の生活様式になじめなかった点は確かにあったと思います。

 その点に関して不満を募らせたことが、事実ではない八百長証言につながったのではないかと考えております」

 証拠がないという一点において、協会側は強気であった。

 これに対して旭の志水が続ける。

「では、狛犬が嘘をいているという認識でよろしいでしょうか」

「こと八百長問題に関しては、真実を語っていないと認識しております」

 揚げ足を取られまいと巧みに言い回しを変える理事長。殺人事件の容疑者とはいえ協会内では明らかに弱者である狛犬を嘘つき呼ばわりするなどして必要以上にこき下ろすようなことがない。世間からのバッシングを恐れて慎重になっているのだ。

 一般紙の記者による質問が終わったころには既に一時間ほどが経過していた。北乃花理事長も狛ヶ峰も汗だくだ。しかし理事長は、いつもなら歯牙にもかけぬスポーツ紙の記者の質問にまで答えるつもりであった。

「はい、次あなた」

「ありがとうございます。京スポの堂垣です。横綱に質問よろしいでしょうか」

 突然の指名に全身をびくつかせる狛ヶ峰。

「……はい」

 返事がよどむ。

「中日の取組で横綱は連山関に対して張り手を見舞ってます。これまで横綱の取り口に張り手が見られなかったわけではありませんが、ほとんどの場合、左の張り手は右からのカチ上げの布石として繰り出していたように見受けます。

 あまつさえですね、張り手一発で相手を昏倒させてしまうような取り口は過去の横綱には見られなかった取り口でありまして、この点、八百長を断られた腹いせという側面が確かにあったのではないかと私ども考えますけれども、いかがでしょう」

「……ありませんでした」

「八百長を断られた腹いせではないと」

「……はい」

「実は先日ですね、連山関にちょっとお話を伺う機会があったんですけれども、そのとき連山関の口から直接聞いた話をここで横綱に質問させてもらってよろしいでしょうか」

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