第二十一話「連山の証言」

 堂垣記者の顔を睨む北乃花理事長の目に、不安と苛立ちがない交ぜになったような光が宿る。

(突然何を言い出すんだ)

 とでも言わんばかりの表情だ。

 担当医からは再起不能にも等しい宣告を受け自暴自棄になっていた連山を、理事長は完全に根締め出来ずに終わっている。憤然として理事長室をあとにした連山が、その足で京スポ記者と接触していたとするならば。京スポの堂垣に対して注射相撲打診の実態を暴露していたならば。

 そう考えると理事長は気が気ではなかった。

 最悪の場合、協会弁護士とともに練った想定問答は無駄に終わり、目論見の全てが崩壊しかねない新事態の発生であった。

「ちょっと、ちょっと待って下さい」

 理事長が慌てて堂垣の質問を遮る。

「ちょっと、何点か確認させて下さい」

 理事長の取り乱した様子に却って圧倒される堂垣。理事長から記者へのまさかの逆質問である。

「どうぞ……」

 と促す堂垣。

「連山とはいつコンタクトを取りましたか」

「それを聞いてどうなさるおつもりでしょう」

「一応、現役力士が独自にマスコミ対応することは禁じてますから」

「それを理由に不利益処分を科す可能性もあるということですか」

「内規違反ですので」

「では申し上げますが、私先ほど連山関と申し上げましたが、本人は既に引退するつもりだそうです」

「……」

 驚愕のあまり二の句を次ぐことが出来ない理事長。いや、理事長だけではない。この場に集う報道陣全てが、京スポ記者の発言に驚きを隠せないでいた。一同からざわめきが起こる。

「……引退届は受理しておりません」

 絞り出すように答える理事長。

「まだ出してませんからね。でも本人はもう辞める気ですよ。その連山さんがね……」

「待ってくれ! そんな話、ここでされても困る」

「理事長ちょっと黙っててもらえませんか。横綱に質問してるんですけどね」

「それどころじゃないよ。連山の引退だなんて初耳だよ。本当なら正規の手続きを経て……」

「記者会見の後にして下さい。会見を強引に打ち切ろうとしているように見えます」

 堂垣が殺し文句のようなひと言を発したことで、理事長は黙らねばならなくなった。

「連山さんからは、明らかに横綱狛ヶ峰関から注射の打診があったという証言を得ています。

 最初三十と言ってきて、断ったら次は五十になっていた。でも俺はそういうのやれないからって断ったら、本割で張り手が飛んできてやられた。

 膝は駄目になって復帰も出来ないと医者から言われた以上、引退するしかないが、なんでこういうことになったかははっきりさせておきたいから本当のことを言うことにしたって連山さんが言ってましたよ」

 堂垣は理事長が遮る暇を与えないが如く、一気にまくし立てた。

 三十や五十というのは星の売買で提示された金額のことであろう。連山が堂垣記者経由であきらかにした内容は、これまで狛犬以外の角界関係者がひた隠しに隠して喋らなかった事実をはじめて曝露した点において画期であった。狛犬の供述を裏付ける、関係者から得られた初めての証言だ。

「横綱どうです。これ聞いて、なんか思うところありませんか」

 想定外の展開に凍りつく狛ヶ峰。目の焦点は合わず、中空を漂うのみである。

「横綱?」

 堂垣が答えを急かす。

「……やってません」

 ようやくひと言答えた横綱。優勝インタビューのときのような張りが、その声にはなかった。

「やってませんって、何を」

「注射なんてやってません」

「でも横綱、これだけ生々しい証言が出て来て、狛犬の供述を裏付けちゃってるじゃないですか。

 やっぱり連山さんも嘘を吐いているというんでしょうか?」

「いえ……はい」

「どっち」

「やってないです」

 狛ヶ峰が動揺するあまり、問答にならなくなっていた。

「時間が来ましたのでこのあたりで打ち切りたいと思います」

 広報担当の理事が強引に会見を打ち切ろうとする。

「質問答えてませんよ!」

「京スポ記者の話は本当なんですか!」

「世間納得しませんよこんなんじゃ!」

 継続を望む記者からは怒号が飛んだが理事長と狛ヶ峰は揃って頭を下げ、そそくさと会見場から退出してしまった。

 会見を打ち切って奥へと引っ込んだ理事長と狛ヶ峰。理事長は縮こまる狛ヶ峰に言った。

「もうお終いだ!」

 と。

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