第十三話「刺殺の動機」

 殺人罪の法定刑をごく事務的に狛犬に告げた横河は、供述調書の作成に没頭していた。昨日のうちに取り調べていた入門に至る身上を書面化するためであった。

 俗に「ヨンパチ」といわれるように、捜査機関が被疑者の身柄を拘束出来る時間的制限は基本的には四十八時間に限定されている。捜査機関はこの期限内に捜査を終結して被疑者を送検するか釈放するかを判断しなければならない。

 但しこれには例外があって、四十八時間以内に捜査が終結しないような場合は裁判官に勾留請求して身柄拘束の期間を延長出来る仕組みになっており、事件が重大であればあるほどこの例外規定が準用された。

 本件の場合、狛犬が兄弟子狛王を刺殺した動機については比較的すんなりと供述を得られると見込まれたが、狛犬の供述が真実かどうかを他の部屋関係者から聞き取りしなければならない裏付け捜査が捜査の長期化を予感させる要素ではあった。事件の社会的反響も大きく、四十八時間で被疑者狛犬を釈放出来るような事件では到底ない。

 捜査方針は「急がず焦らずじっくりと」であった。動機の取り調べは勾留が決定した後に予定されていた。

 なので横河は犯行の動機に関わる取り調べを急がなかった。

 

 パソコンの画面を覗き込んで目を凝らす横河巡査部長。思い詰めたような表情の狛犬に目が行かない。狛犬は両手の拳を固く握りしめて両膝の上に置いていた。その両の拳が震えている。

 狛犬が鼻をすすり始めた。

「なんだ、また泣いてんのか」

 横河巡査部長がパソコン画面から視線を外し呆れたように狛犬の顔を見ると、感極まったような狛犬の表情。

 その叫びは、溜まりに溜まったマグマが火口から噴出する様を思い起こさせるものであった。

「刑事さん! 俺死にたくないっす!」

 狛犬の叫びに圧倒される横河。唖然とするばかりで返す言葉がない。そんな横河に狛犬がたたみかける。

「俺死刑になりたくないっす!」

 横河は

「分かった分かった。まず落ち着け」

 と宥めるのが精いっぱいだ。

 殺人罪の法定刑を告げたことで、自分は死刑になるものと狛犬が早合点したらしかった。

「死刑になるのに落ち着いてられないっす!」

 狛犬はついに机に突っ伏して人目も憚らずわんわんと泣き始めた。

 焦る横河。なんとか狛犬を落ち着かせなければならない。

「待て待て、死刑ありきじゃないんだから」

「でも兄弟子殺しちゃったから多分死刑っす! もう駄目だ!」

「なんでだよ。お前、これまでなんか悪いことして警察に捕まったことあるか?」

「今回が初めてっす」

「だろ? 今回の事件だって反省してるんだろ?」

「はい」

「全部正直に話してくれてるんじゃないのか? 嘘なんか吐かないだろ?」

「……」

「なあ、吐かないだろ?」

「……はい。……全部正直に言います」

「だろ? 反省してるから全部正直に話してくれるんじゃないのか? 泣いてばかりじゃ話もなにも出来ないじゃないか。いまお前に出来る精いっぱいの償いは泣くことじゃなくて正直に全部話すことなんじゃないのか?」

「……はい。死刑にならないなら全部正直に話します」

「じゃ、ちょっと落ち着けや」

 横河に宥められてようやく激情が治まりつつある狛犬。鼻をすすりながらポツリとひと言言った。

「霧乃山関に注射を持ちかけて、断られました」


 何のことか理解できない様子の横河。

「霧乃山って、大関の?」

「はい」

「注射ってなに?」

「八百長っす」

「……」

 狛犬の話が事件の動機にどんな関わりがあるのか一向に読めない横河。だがここは遮らずにじっくりと聞いてやらねばならない。

 横河は質問した。

「霧乃山に八百長持ちかけたってこと? 誰が?」

「横綱っす」

 さほど大相撲に詳しくない横河巡査部長でも、ときの横綱が狛ヶ峰と江戸錦であることくらいは知っていた。宮園部屋に所属する狛犬が「横綱」と呼ぶ以上は、部屋の横綱狛ヶ峰を指しているのであろう。

「狛ヶ峰が霧乃山に八百長持ちかけて断られたってこと?」

「そうっす」

「で、それと今回の事件、どう関係するの?」

 横河が事務机に身を乗り出すようにして訊いた。

「俺、狛王先輩に言われて支度部屋の霧乃山関のところに行きました。そこで霧乃山関の付け人の浦風さんに注射の話して、俺が支度部屋の隅っこで浦風さんと霧乃山関が話してるの見てたら、霧乃山関ずっと首を横に振ってるんです」

「それ見てどう思った?」

「ああ、断られたなって思いました。浦風さんこっちに来て、やっぱり『しないって大関言ってます』って。

 優勝がかかる一番だったから、横綱の方でも二百準備してたのに断られて、もうどうすれば良いんだって……」

「二百ってなに」

「二百万円です」

「お金で勝敗の売り買いしてたってこと?」

「そうっす。で、俺、中日なかびに連山関とも注射の話しに行ったんですけど、ここでも断られて、その次の日の朝稽古でかわいがられて……」

 そこまで言うと狛犬は言葉に詰まってまたしくしくと泣き始めた。

 相撲にさほど詳しくない横河も、狛犬の話しぶりから「かわいがる」という言葉がネガティブな意味合いで使われていることが理解できた。

 要するに狛ヶ峰は、連山に八百長を断られた腹いせに付け人の狛犬を稽古場でしごいたということらしい。

 横河が

「それは、直接横綱に厳しく稽古をつけられたってこと?」

 と訊くと、狛犬は力なく首を横に振って

「横綱はそんなことしないっす。狛王さんに言って、狛王さんを使ってボコボコに……」

 とこたえた。

「だから狛王を刺したということ?」

「はい」

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