第十一話「狛犬入門」

 近年は相撲界にも学歴社会の波が押し寄せており、大学や高校で実績を積んでから入門するというパターンが一般化しつつある。

 一昔前までは

「中学卒業で入門した子は強くなる」

 という格言があったくらいだから、一般的とまではいえないにしても中学卒業と同時に入門する新弟子は今よりずっと多かった。第六十五代横綱貴乃花光司はその典型例だし、信じられない話ではあるが、第五十五代横綱北の湖敏満などは早くも中学在籍中に初土俵を踏んでいる。ただしこれは極端な例で、さすがに義務教育期間中ということもあり問題視する声もあったらしく、北の湖以後は入門の条件に「義務教育修了後」が明記されることとなった。

 さて狛犬翔司入門の経緯はというと、彼の場合も相撲界にも押し寄せる高学歴化と無縁ではなく、高校卒業後少し経ってから入門したクチであった。ただし、高卒の新弟子のほとんどがそうだったように、特に相撲部で鳴らしたとか、地元で怪童と知られた存在というわけではなかった。相撲に対する情熱が入門の道を選ばせたものでもなく、ただ他にいくところがなくやりたいこともなかったためにその道を選ばざるを得なかった、というのが入門の主たる理由だった。

 狛犬翔司こと廣田ひろたつかさは高校を卒業したあと、あてどもなくブラブラしていた。

 大学受験は選択肢のひとつではあったが、司少年の生来の怠惰は受験に堪えられるレベルではないことを彼自身がよく知っていた。彼は受験など端から諦めていた。

 進学しないとなると就職ということになるが、一年ほどの受験勉強にも耐えられない人間が、日々の労働になら勤しむことが出来る道理がない。コンビニや飲食店など、いくつかのアルバイトを転々としたがどれも長続きはしなかった。

 職を転々とした理由について、廣田は

「人間関係が煩わしかった」

「仕事がきつかった」

 と供述し、横河巡査部長を呆れさせている。

 転機は六カ月勤めたコンビニエンスストアを辞めたときだった。廣田の父親が怠惰な息子について会社の上司に相談したのがきっかけであった。

 相談を受けた上司は廣田司の父親に

「ところでその息子さんは、からは大きいのかね」

 と尋ねた。

 何を尋ねられているのか、上司の意図が読めない父親は何度か聞き返して、単純に息子の身体の大きさを尋ねているのだとようやく理解した。

「それはもう、誰に似たのか子供のころから大食で、身体が大きいのだけが取り柄なんです。あんなのが仕事もせず家でゴロゴロしてるのを見たら腹が立って、怒鳴り声のひとつも上げたくなりますよ」

「なるほどね。ところで、息子さんの身長と体重、いま分かる?」

 上司に尋ねられた廣田父は、その場で妻にラインを送っている。

「司の身長と体重教えて」

 妻からは

「身長は百八十センチちょうど。体重は百キロオーバー」

 と、我が息子の堂々たる体躯を小馬鹿にして茶化すような返信だ。

 廣田父は自身のスマホの画面を上司に示しながら

「……だそうです」

 と言った。

 上司は廣田父のスマホ画面を眺めながら

「ほぉ~」

 と、何やら分かったような分からないような呻り声を上げた。

 そんなことがあってからしばらく経った或る日、廣田父は上司に呼ばれた。

「こないだの件だけどね」

 上司の前置きにピンとくる様子のない廣田父。

「はて、なにかご下命頂いてましたかね」

 と思案顔である。

「なにを言っとるのかね。息子さんの件だよ」

「はあ……」

 息子の件で確かに上司に相談はしたが、それがいったいどうしたというのだろう。まさかコネで当社に就職させるとでもいうのだろうか。それならばあらかじめ断っておかねばならない。

「いやいや、うちのは私が言うのもなんですが、こらえ性がなく会社勤めなんかとてもとても……」

 その言葉を聞いていよいよ怪訝そうな表情になる上司。

「だからきみはなにを言っとるのかね。話をちゃんと最後まで聞きたまえ」

 廣田父は、そこからほとんど上の空であった。

 上司の知人が宮園親方と知己の間柄だったことから、その伝手を頼りきみの息子さんを宮園部屋に入門させるのはどうかという話を廣田父はほとんど一方的に聞かされて面食らった。

 廣田父は

「会社勤めも出来ない子に相撲部屋は無理でしょ」

 と断ったが、上司は

「今は新弟子が少なくて、どこの部屋も大切に扱ってくれるらしい。それに宮園部屋といえばあの横綱狛ヶ峰関も在籍している部屋だし、下手なことはせんよ。私の顔を立てると思って、体験入門でも良いから顔を出してはもらえんかね」

 と頼むものだから、廣田父はしぶしぶ承知した。

 降って湧いたような相撲部屋入門話に対して、司少年は断固拒否する姿勢であった。

 当然であろう。

 相撲など小学校の休み時間に友達同士で興じて以降、まともに取ったこともないのである。いくら人より身体が大きいからといっても、それは訓練してそうなったものではなくただ食っちゃ寝て怠惰な日々を送る中、培われたもので、大相撲の世界で通用する性質のものではないことなど百も承知の司少年なのであった。

 しかし廣田父もここは踏ん張りどころと腹を括った。

「どうしても断るって言うんなら、明日以降はアパートでも何でも借りて家を出て行ってくれ。高校まで出してやったんだからお前の子育てはもう終わったんだ」

 と半ば本気で突き付けて、強引に体験入門まで持っていったあたりは親としての執念であろう。

 相撲はおろか、まともなスポーツ経験もなかった廣田司少年であったが、体験入門で実際に締め込みを締めて稽古場に立ち、ちょんまげを頭にのせた力士を相手にすると面白いほど彼等を転がした。

「天才が来た!」

 稽古場に、横綱狛ヶ峰の感嘆が響いた。

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