第22話アスクレーの野望


時は少し遡って、まだ暖炉に泥炭の燃える冬のお話


スライとアスクレーが、寝室の隣のラウンジで杯を傾けている。


一つに結ってさらっと流した黒髪。湖底の藍の瞳、どこか憂いを纏った静かな青年がスライ。


対照的に、とろりと編まれた銀の髪、底の読めない銀の瞳、陽気に良くしゃべる青年がアスクレーだ


アスクレーはよく働いて役に立つが、間者の疑いが晴れ切っていない。というか真っ黒である

ゆえに、スライと、アスクレーは同じフロアで寝ている。


カラン、とスライが杯を揺らす


「お前が来るまでは広かったのに、部屋が一つになってしまった」

慌ただしく縮小を迫られたスライのベッドサイドテーブルに、恋人ソフィアの写真が笑う


「ぼくは狭いくらいの方が落ち着くけどなあ。ずっと僧寮の、三段ベッドだったし」

「うそだろ!?あのいびきで三段ベッド!?」


アスクレーの枕元は祭壇のよう、でーんと蛇の紋章が掲げられている


ゆったりとくつろぎ、杯を交わす美貌の青年二人。だが腹の内は穏やかではない

和やかだが腹の探り合いが続く


空いたアスクレーの杯にスライが琥珀の液をどぼどぼ注ぐ。

なまじ二人とも酒に強い分粘る粘る


「いい加減その腹に隠してるものを吐いたらどうなんだ。え? 本当の教会での身分は?」

鎌をかけるスライを、アスクレーの掴み所無い笑みがぬるりと避ける


「いやだなあ、しがないはぐれ司祭だよ。きみ、僕のまとう銀が目に入らないの?僕はお腹の中まで美しい銀だよ。ぼくのこの誠実な瞳!」

「お前の目は細すぎて胡散臭いんだよ」

「僕のチャームポイントにケチをつけないでくれるかなあ」


ぐいっと杯をあおる。一気だ。

挑発的にどぼどぼスライの杯をつぐ。今度はスライが一気


最終的にベロベロに酔ったアスクレーは全裸腹踊り、スライは床とお友達になって胃液を吐きつくすまで地獄の潰しあいは続く


藍と銀はこの城で一番相容れない組み合わせ


***


兄弟は上に十人いたはずだ。それしか覚えていない。


炎と煤の香。それが最初の記憶。燃え盛る故郷の香


次の記憶は清潔なハーブの香り。真っ白な教会の香


「あまり構えずに気楽に解くと言い。簡単なテストだ。教会で育つ子供は皆受ける……。」

穏やかな声が肩にかかる。


本当に驚くほど簡単だった。


周りの大人たちの顔色が変わる。アスクレーの周りにたちまち人だかりができる。


「神か!?」

「いいえ……これは……あとほんの少し。ほんの少し総てのパラメータが及んでいません」


教会のお偉い方が瞳を一瞬かがやかせ、そしてすぐに失望へと変わった。基準値に達しなければ無為も同じ。

つまり、出来損ない。


「だが使い道はある」

お偉方の一人が口を開いた


「極めて優れた身体を捧げてもらおう。本物を探すために…」


そこでアスクレーのおぼろげな記憶は途切れている


いくつか年月が廻った。アスクレーは極めて優秀だった。

頭一つ抜きんでて、誰もアスクレーにはかなわない

あらゆる知識と訓練が叩き込まれた。


何よりも何度も刷り込まれたことばは、神に尽くせ。神を探しだせ。

神に伴侶をあてがい、完璧な子をつくりだせ


やがて何の疑問も抱かなくなる。自分は神を探し出し、この身を尽くす。それこそが我が天命。

ああ、その時が待ち遠しい。


***


傅くべき主を仰ぎ見る、煌めく黄金の瞳


この男が神!?


神というよりは魔王ではないか、いいや、獣か。なぜこんな残虐な男が僕より優れているのだ


貼り付けた笑顔の下で値踏みする。ひれ伏すにたるだろうか…。

それとも喉をかき切るべきか。

退屈そうな男の瞳の底に取り入る。極上の笑みを捧げてやる


「私の持てる知のすべてをお授けいたしましょう。わが主さま。貴方の退屈を紛らわせてご覧に見せましょう」


特上の銀が金に媚びる

どんなに磨いても銀は敵わない


***


アスクレーはマトーの腹心の部下の座をすぐ手に入れた

媚をうって相手に取り入ることは得意だ

美しく整えた容姿は、常に相手の心に入り込むため磨き上げている


窓のない衛星調整室を、人工の青い光が照らす

背もたれにだらんともたれて、見るともなしに主が球体スクリーンを眺めている


なるほど、この男は自分が思っていたよりはるかに優秀だ

いつも退屈そうに、斜に構えて、女遊びばかりしている。童貞のアスクレーをからかって、女をあてがおうとする


それなのに、アスクレーが長年かけて詰め込んだ英知を、半年で飲み込んでしまった


僕が死に物狂いで体得した知識を、片手間の遊び半分で……

ぐっと喉にあがる黒いものに蓋をして、主に特上の笑みを捧げる


「マトー様、衛星の暗号解析を手伝おうか?」

「ああ、それならもう解いた」

顔を上げもしないマトー


「は? だってなにも痕跡が……」

「見て解いた、なんとなくで」


「なんとなく!?」

「なんとなく見たらわかるようになった」


頬杖をつき、胡乱気にペラペラ本を捲るマトー

毎日変わる量子コンピュータの暗号をひらめきで解読している!?


そんなバカな。

そんなの滅茶苦茶だ、ありえない。いや現にあり得ている。悪夢のようだ

だめだ、逆立ちしたってこの男にはかなわない……

アスクレーの自尊心は打ち砕かれる。


神……


簡単に口にしてきた言葉を、今初めて飲み込んだ気がして

アスクレーは呆然と立ち尽くす

初めて覚えた感情に戸惑っているのだ


嫉妬。


銀の中にどろりと真黒な塊が湧く

一つ瞬きしてマトーが瞳を上げる。ふっと黄金の瞳が揺らぐ。


「なんだアスクレー、呆けて、俺がどんだけ凄いかちゃんとわかっているんだな。お前だけだ。俺を心地よくするのは。お前と居ると退屈しない」


微かな微笑み、


だがそれだけで、アスクレーは雷撃に打たれたような気がした


一面黄金の海に叩き込まれる。心の銀も黒もたちまち昇華して染まる

まるで恋のよう、いや、恋などとは比べようもない!


強烈な雄に惹きつけられる狂信


ああ、この男こそが神!思い描いていた神とは程遠いが、なぜこんなにも心が打ち震えるのか…。


「わが神、主さま……」

ほろりと言葉が漏れる


罪の名も分からぬまま許しを請いたい、縛って吊るされて鞭うたれたい

自然と身体が動いて傅く……


アスクレーが至高の陶酔に身を委ねようとした、


そのとき!


どごっ!!!


「へぶっ!」

アスクレーの頬骨を固くて丸い塊が抉った!


膝だ!


スライの膝だ!!!!


わけもわからぬままアスクレーは吹っ飛ぶ。脳がグルグル揺れる


「こちらにおられましたか我が主さま!」

いま正にアスクレーが膝まづかんとしていた場所に滑り込んで、スライが傅く

ぜーぜー息が上がっている


なにしやがるこいつ!!!!


ごろんごろん無様に床を転がりながら、憤慨するアスクレー

「スライ」

マトーがつと顔を上げる

「目障りだ」


どごっ


思い切りスライを靴底で蹴り上げる

スライの頬が容赦なく抉られる、整った顔が苦痛に歪む


だがその時……

床の上からアスクレーは、確かに見た。見間違いではない。スライはその時確かに……


笑ったのだ。


フッと唇をゆがめて薄く笑った。

アスクレーに向けて


昨日までならば、到底理解できなかったに違いない、

だが今のアスクレーにはすべてが判ってしまった。


倒錯の笑み!

そしてアスクレーへの宣戦布告


――アスクレーよ、マトーに傅くのはこの私ただひとり、お前なんかに渡さない……この靴底は俺のもの!


頭に声が響く。びっくりするほど目と目で会話できる


な、何てやつだ!!僕が心からマトーに屈服した瞬間、割って入るなんて!何という嗅覚!ああ、ぼくの至福の時間!!!その場所は僕が跪く場だ、ゆるせない、ゴキブリめ、駆逐してやる!!!


カーン!


美貌の男二人の間にバチバチ火花が散る

ああ、かくしてここに、マトー城NO1下僕決定戦の火ぶたが切って落とされたのである!


***


男たちの戦いは苛烈を極めた

どちらかがマトーに傅こうものなら、すかさずけりを入れて吹っ飛ばす。足の小指を踏んづける

隙を捕らえてはみぞおちにエルボーをくらわす。膝かっくんして倒れたところに靴底乱打


アスクレーの可愛がっている猛毒ヒキガエルを豚の餌にする。スライの鷹を焼き鳥にする。アスクレーの怪しいハーブ園を焼畑(何人かラリる)すれば、報復にアスクレーはスライの恋文を公開音読後、暖炉にて焚書


驚くほど低次元な戦い


「もう我慢できない!!!くそぼけ」

「それはこっちのセリフだ!!!くずかす」


どごっ


最終的に二人の争いは原始的な殴り合いに帰結した

両者お綺麗な顔にクロスカウンターがめり込む!

ごろんごろんもみ合って見苦しく床を転がる


「い、一体何をいがみ合っとるんだ? 仲良くしろ」

騒ぎを聞きつけてマトーがやってくる。さすがに呆れて仲裁に回る


きっ!!!


ボロボロになった二人が元凶を睨む。目が血走っている。


「じゃあ聞くけどね! 僕とこの変態どっちがだいじなの!?」

「はあ!?」

「マっ、マトー…様!まさかこんなぽっと出の新入りスパイが私より大事だと言わないだろ…ですよね!?」


ずいっとスライが寄る


「はああ!?」

「マトー!僕こそが君の最高のパートナー!こんな鬱屈したむっつり変態なんて視界に入れないで!」


ずずいっとアスクレーが詰め寄る


「さあ!選んで!NO1下僕を!!!」

ぐいぐいっと迫るスライとアスクレー。


「どちらが腹心の下僕なんだ!私と、この銀蛇野郎のどちらが大事なのか!?」


「そ……それはスラ……」

一瞬、マトーが反射的に口走りかけて慌てて口をつぐむ。目を逸らす


「…っ、アスクレーだ!!!アスクレーに決まっているだろう!!!知に秀で優秀で何より俺の機嫌を取るのがうまい!こそこそ恋人と内通してるどこかのくそ馬鹿とは段違いだ」


言うや否や、てやっ!とスライを蹴りつけるマトー。思わず均衡を崩して膝まづくスライ。

見上げれば、勝ち誇ったアスクレーの瞳。ちゃっかりと腕の中に納まって、見せつける様にマトーの胸にすりすりしているではないか!!!この世で一番憎たらしい銀!!! 


「むふん」

「くっ……!」

な、なんたる屈辱!!! 私を見降ろしていいのはマトーだけだ!マトーもマトーだ!私の目の前でアスクレーを優遇するなんて、なんて根性曲がりなんだマトー!! たまらん


あまりの屈辱にスライはビリビリ痺れてしまう。思わず腰まで痺れる恍惚に何とか耐える。

さすがマトー至上主義の屈辱フェチ、骨の髄まで変態である。


こうしてマトー城NO1下僕争奪合戦という、史上類を見ない低次元な争いはアスクレーの勝利に終わった


かに見えた


その夜……

勝利の余韻の心地よさにたゆたいながら、アスクレーは眠りに落ちた




断崖に遠く鳴く狼の遠吠えで、アスクレーはふと目を覚ます

月明かりに青く照らされた部屋の奥から、低く絞った声が響く

「おい、起きろ……スラ……」


マトー? 


マトーの声だ。

どうしてスライの部屋にいるのだろう

内偵としての本能が、アスクレーの銀の瞳に光を宿す

息を消し、忍び足でスライの部屋へと向かう


眩しいほど月の光に満たされたスライの寝室

大きな背を丸めて、枕元に傅くようにマトーが身を寄せている。スライの肩をゆすっている

。普段からは想像もつかぬ、小さく弱弱しい声


「おい、起きろスライ、怖い夢を見た……」

「むにゃ? はにゃ。愛してるよ、ソフィア……ぐう。」

「……!! 一生寝てろ、コノヤロー!!!!」


どごっ!!!

「ぐえっ!!!」



しーん




再び、月の光の静寂のみとなる


「???」


アスクレーは這うように歩を進める、スライの寝室へ

月の光の下に露わになるにつれ、ざあっと、血の気が引いていく

だがもう止まれない、足が勝手に動いて枕元へと向かう


ああ、そんな!うそだ、ありえない、

月の底でアスクレーの見たもの


美貌の男二人が淡い月の光に頬を寄せて眠っている


白目をむいて気絶し、泡を吹きながら昏倒しているスライ

の、腕枕で、すややかな寝息を立てて眠っているマトー


地獄のような光景


「あ、あわわ、う、うわあああああああああ!!!!!!!!!」


内偵の本分もかなぐり捨てて、月夜にアスクレーの絶叫が響く

だが、スライはおろかマトーすら目を覚まさない

すやすや心地よさそうに眠っている

盗賊にあるまじき眠りの深さ、それほどにまでスライの腕枕は快眠仕様なのか


ああ、この時のアスクレーの打ちのめされた、惨めな気持ち!!! 筆舌に尽くしがたい。あまりに悔しすぎて一周回って快感を感じたほどである、この倒錯の世界、理解したら負けである。


***


朝、


スライの意識が地上に戻ったとき、マトーは痕跡すら残さずに消えていた


「うう、なんかみぞおち痛い」

朝食を食べながら、不思議そうに腹を摩るスライ

そのみぞおちに見事なボディブローが決まっていた事は、アスクレーのみぞ知る


「おはようアスクレー」

マトーが声をかけて肩をポンと撫でる。スライには声もかけない。

虫けらでも見る視線を放って去って行く。昨日は同じ枕で眠っていたくせに!


「うう、異常なやつらめ。変態だ。う、羨ましい……くなんてないんだからね!」

自分のことを棚に上げて怖気を覚えるアスクレー

「ふ、ふん!負けてなんていないんだからね!」

スライの頬へ、グリーンピースをピシピシぶつける

「? 食べ物で遊ぶなよ……」


「僕に勝った気でいるなよ」

「は?」

どごっ!と立ち上がるアスクレー。ビシッ!とスライに人差し指を突き付ける。


「今は!今は負けを認めてやる!だけどね、目先の勝利なんて僕は欲しくない!僕の壮大な夢を教えてやる!僕の狙いは彼の子供さ!完璧な神の子!スライなんかには絶対渡さない!!!!!」


ぐっ、と手を握りしめる


「そうだ、マトーなんか神の片割れさ。僕の狙いは子孫!マトーが神の伴侶を得て、完璧な子供が産まれたら、抱え込んで何もかもあれもこれも教え込んで……もちろん毎晩縛ってぶってもらってふふふ、たーのしい夢がとまらなぁい……」


アスクレーの銀の瞳が完全に飛んでいる。彼の意識は今、遥か未来なのだ。勝手に幸せな未来を夢想して、アスクレーの幸せ(他人の)家族計画はぐるぐるめぐる。妄執とも呼ぶべき愛が彼の瞳にメラメラ燃える。ああ、下僕魂ここに極まれり。


「おい、やめろ、無垢な子供にまでお前の業を押し付けるな。変なトラウマ植えつけたらどうするんだ」

「君だって傅いて蹴られてみたくはないかい?可愛いミニチュアのマトーに! お馬さんごっこなんかどう……」

「うっ」


「おい、俺は結婚なんかせん、子供なんて作らんぞ」

『作ってもらわないと困る!!!!!』

完全に大人の欲にまみれた会話である


哀れ、未来の子供を大陸一、二を争う変態に狙われていると知らぬのは、マトーただ一人である


「まっててね、未来の可愛い僕の子羊!!!!」


アスクレーの野望は地獄の業火よりも激しく燃えるのであった



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リマとマトー 東山ゆう @cro24915

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