第20話宝物

春の終わりと夏の始まりが入れ違いに続いた

今日は夏の始まりだ。

サラリと過ごしやすい大陸の空気に、夏の太陽が粒子を注ぐ

大気中で散乱した日の光の粒子が、リマの瞳には美しい青空と映って心を慰める

時折、この空の下につながる故郷の村を思う


***


大広間のリマは刺繍の糸をちょんと切って、ほっと一息ついた。集中の糸を解く。

心地よい疲労感と共に、布地と糸に収束していた意識が、大広間に戻ってくる。賑わい、食器の音。笑い声。


マトー様、まだかなあ


「衛星」の調節をしてくると言って、マトーは行ってしまった。もちろん離れるまえにおもいきりぎゅうっっと抱きしめられて、キスの雨嵐のあとに、である

どうやら「衛星」は毎日調整が必要らしい


マトーの帰りを心待ちにしている自分に、リマは気付いていない


身体中を包まれる体温がないと、なんとなく落ち着かない。そわそわするなあ。程度である

あの恐ろしい人から離れられれば、嬉しいはずだと思い込んでいるのだ


リマの前を、ひと際美しい青年が横切っていく。藍を孕んだ黒髪

ちらとリマの手元を見やるが、あまりに柳眉なので流し目のような色気を帯びてしまう

リマは思わずどきりとしてしまう


スライ様。


凛と美しい人。碧い人。どこかいつも憂いをたたえていて、この人も周りだけ空気はしんと冴えている気がするわ


ぺこっと会釈しようとして。リマは思わず二度見した。スッと背筋の良いスライ様の、その肩に…


鷹!?


鷹だ! 鷹が載っている。そこにいるのが当然という顔をしてスライの肩に陣取っている

大きくて威風堂々たるフォルム。鋭い爪。猛禽の王たる鋭い目つきがギロッとリマを睨む


マ、マトー様は狼で、スライ様は鷹、アスクレー様は……豚なのね


妙にしっくり来て納得してしまう


窓辺に身を寄せると、いそいそと鷹の足に丸めた紙片をくくるスライ。

いつもはぴりっと引き結んだ口の端に微笑みを浮かべて、どこかうきうき嬉しそうだ


「あの、スライ様、その鷹……はなんですか?」

「手紙だよ。恋人のソフィアに手紙を出すんだ」

スライが愛おしそうに鷹に口寄せる。さらりと紫の羽織が流れる


手紙!?


「て、手紙が出せるのですか!?」

思わず咳込むように尋ねるリマ

「あ、ああ……。出せるよ。」

張り詰めたリマに一瞬気圧されて


「……ついでだから国境沿いの村へも寄らせようか?」

湖底の瞳が揺れてふわっと笑う

「ほ、本当ですか!?」


ぱああ!!!


途端にリマの顔が光り輝く


「いいとも。しかし、もう少し離れてくれないか。私には恋人がいるし、何よりこんな笑顔を独占したと知られたら俺は殺される。」

苦笑いして一歩下がるスライ


手紙! 

手紙が出せる! 

私が無事だと伝えられる! みんなどんなに安心するかしら。


降ってわいたチャンスにリマは狂喜する。はやる気持ちをおさえられない

大変! マトー様が帰ってくる前に手紙を書かなきゃ!

スライに道具を借りて、リマは大急ぎで手紙を書いた。


インキを浸すのももどかしく一気書きする。勢いに任せて書いたのでとんでもない内容に逸れてしまい、一瞬スライ様に預けるのをためらう。だがこの機を逃せば無事を知らせる機会はないだろう。


「あ、あの、スライ様、絶対中を見ないでくださいね。絶対ですよ?」

「乙女の手紙を見るような野暮な真似はしないさ」

スライが薄く微笑んで、ピッと紙片を差し抜く。くるくると丸めて、鷹の足へ番える


「疑われるのは癪だ。今出してしまおう。」

スライが鷹を窓から放り投げるように放つ


ひょう


ゆるく鷹が旋回して大空に飛んでいく。やがて豆粒大になって山峰に消える

大空を自由に舞う鷹へ、羨望の眼差しを送りながらリマは見送った。


スライに向き直ってぺこぺことお辞儀する

「あの、ありがとうございます。本当にどう御礼すれば……」


「じゃあ、もっと笑ってやれ。マトーに」



「それはどういう…」


答えはなかった

スライはふわりと踵を返すと、手をひらひら振って去っていってしまった


***


森が好きだ。しんと浸みた空気が好きだ

深い森の空気がスライの肺を満たす

針葉樹を仰ぐように、緑の中から空の青へスライが手を伸ばす

葉に覆われ、狭い空から何かが舞い降りる


先ほど空へ消えたはずの鷹


翼を大きく振って滑空すると、スライの差し出した手へと舞い降りる。甘える様に耳朶を甘噛みする

しばらくスライは可愛い鷹の耳の裏をカリカリとかいてやっていたが、不意に瞳をあげる


「いるんだろ。」

木々の影に向かって呼びかける


かさりと枝葉を踏む音がして、大柄の男が姿をみせる。スライを睨む獣の瞳。森の奥から獣が忍び寄るよう。だがスライはひるまない


「盗み見は趣味が悪いぞ。マトー」

「この大嘘つき。その鷹はソフィアの家しか知らんだろう」

「嘘は盗賊の基本だろう?」

「リ、リマを騙して手紙を書かせるなんて……。澄ました顔して卑劣の塊のような男め。その上あんな、あんっな可愛い飛び切りの笑顔を……!!!!なぜおまえは生きているのだ。俺があんな笑顔を食らったら死んでしまうぞ。」

「なんだ、折角主様のために機転を利かせて手に入れてやったのに。好きな女の心のうちが記された最重要機密情報を。じゃあこの手紙は読まなくていいんだな。普通に郵便に出す」


スライが鷹の足から回収した紙片を、見せびらかすように掲げる。ひょいひょい揺らす。物欲しげなマトーの瞳が、ピタリとくっついて右に左にゆらゆら揺れる。餌を掲げられたわんこのよう。完全に「まて」だ


「ぐ。ぐぬぬぬぬ。読む…」

「え?なんて?」

「よこせ!!!!!」

マトーがスライへ飛びかかった!

「まて」もできない駄犬!!!


鷹が驚いて飛び上がる。バサバサと迷惑そうに羽を揺らすと、枝葉に身を落ち着けた


「検閲だ!こっ、これは決して邪な盗み見ではない……」

自分を言いくるめるようにブツブツ呟くマトー


震える指で紙片を開く


ああ、リマの手紙!リマの心の内が記された紙片……神々しい。光り輝くようだ

もちろんスライも覗き読まんと頬を寄せる。なかなかの野次馬根性である。むぎゅう。美貌の男二人が暑苦しく顔をよせる。

乙女の心が白日の下にさらされる


「おじさま、おばさま、お元気ですか?

ウィドー!私が御本を読んであげなくても一人できちんと眠れている?

猫のアドはもう夏毛になった? 犬のボウイは村長様の帽子をもう隠していない?


私がマトーさまの奴隷になってもうすぐ三月。気まぐれな月が何度も姿を変えて、もうすぐ三月が経とうとしています。きっとみんな物凄く心配していると思います。


マトーの城に捕らわれた者は三月の命と言われているものね。でも、私はもしかしたらまだ生かしてもらえるかもしれません。マトー様の気まぐれが続くまでは


どうしてか、私はあの人に気に入られているみたいなの。とても良くしてもらっています。時折私は、自分が奴隷であると忘れてしまいそうになってしまうわ


マトー様は伝説の通り恐ろしい方。毎日血塗れの剣で帰ってくるわ。血まみれで帰ってきたこともあります

でも私の前だとなんだか様子が違うの。


昨日などは私の為に木苺を籠一杯に摘んで来てくださったかと思えば、花房に顔をうずめて五枚のライラックを懸命に探すのです。あのマトーが!


毎夜、寝顔を盗み見ては、本当にこの人が恐ろしい伝説のマトーなのかと疑ってしまいます。

私はもう、何が善で何が悪なのか、麻痺してきてしまいました。


なぜでしょう、昨日、抱きしめられてキスを重ねた時に…私はあの人と花嵐の中で、永遠に二人きり置き去りにされてしまいたいと思いました。


マトー様にキスされると、胸が痛くなってしまいます。本当に胸がつかえて、体中が熱くて痛いのです

奴隷の分を超えて思い上がらぬよう精いっぱいです


私はこの頃、人の心には神でも御しえぬ欲望が灯ることを痛感しています。私の心なのに、自分でもどうしようもないのです。


何を書いているのかわからなくなってきたわ。とても急いで書いているの。随分恥ずかしいことを書いてしまったけれど、書き直す暇も無いの。マトー様の目が離れた隙に、咄嗟に書いているの


とにかく私の言いたいことは一つ

私は元気にやっています

心配しないでね!


追伸 いつもあなたたちと同じ空へ祈っています」


お、おおう、これは意外にも、過激な内容……。

検閲官の反応やいかに

スライはマトーの顔をちらと伺い見て、自分まで赤面しそうになる


な、なんて凄い顔をするんだ、マトー


真っ赤だ


大粒の涙が零れ落ちんばかりに瞳は潤み切って、瞳孔はまん丸。頬っぺたから耳の裏まで真っ赤で、夕日に照らされた子供のよう

口元はふにゃけてへにゃへにゃ。目元は垂れてうるうる。

すごい、小さな紙切れ一つでここまでひとは溶けられる。スライは感嘆する


「ふふふ。スライよ。俺はどうやら、嫌われていないらしい。リマは俺とキスすると胸が痛いらしいぞ!!!!! 俺と同じ!!!!! ああっ! リマ、キューーーート!!!! ふははは、はふはふはふはふ!!!!!」


マトーが鼻の穴を膨らませて勝ち誇る。何だろう、とてつもなくうざい

「おいマトー、堪能したらちゃんと手紙を出してやるんだぞ」

「はふはふ、ああーーー、リマ!!! なんて可愛らしい文字だろう!ちょんっと点を斜めに打つところが可愛い。文字まで愛しい。輝いている」


聞こえちゃいない

あほらし。ほっとこ。

はやくくっつけばいいのに

枝葉から鷹を回収すると、スライはてくてく歩きだす


腰が抜けて、コロンと転がったまま、それでも手紙を熟読し続けるマトーを置き去りにして


「ふ、ふふ、ふ。へへへ。」


森の奥に不気味な笑い声がこだまする


***


月のない空に満天の星を窓が切り取る

吊るされたラベンダーの穂束から、甘い香りがほどけ漂う


世界中で一番愛しい花を膝に載せて、掻き抱く

花びらを傷めぬようにそっと。指先で黒髪を梳る


「リマ……俺のキスは嫌か?」


潤んだ瞳が少女を捕らえる。もう何度も繰り返されたやりとり


「いいえ、……いやじゃない、です……」

マトーの腕の中で、ふるふると小さくかぶりを振って、リマが弱弱しく呟く


本当は少し、嫌だと思っているのだろうか……。リマの嫌がることはしたくないけれど、確かめる勇気はない


リマは断れない。自分は奴隷だと思っているから。信じられない事に! 

主人の立場を利用する俺は卑怯者だろうか。いやだがしかし、嫌だと言われたらその場で心臓停止して死んでしまう自信がある。凄くある


リマの両ほほを抱いてすくう。リマが察して、きゅっ、と目を閉じて主人の口づけを受け入れんと構える。大きなマトーの掌に包まれて、真っ白な花の蕾のよう


ああ!なんて可愛いキス待ちがお!きゅーと!永遠に眺めていたい。

この衝動さえなければ。


「んん」


柔らかい唇に触れた途端、マトーのタガが吹っ飛ぶ。

一気にぐうっと奥へ舌が潜る。たまらなくなって激しく貪ってしまう。

ああ、優しくついばもうとおもっていたのに。


リマ……


これほど唇を重ねて……、全て俺のものになったと思ったのに。

それなのにリマは俺の事を何とも思っていない‼ 

恐ろしい奴隷の主人としか……

くそ!

リマ。愛している。

心が欲しい

苦しい。想い伝わらぬことがこんなに苦しいことだとは。

俺が心地よいだけではだめだ…リマを虜にしたい!


思わず切ない吐息が漏れる、必死に何か探すようにマトーの舌が探る。リマの心に触れるように。リマの一番感じる場所を探る


「マトーさ、ま……」

くにゃりと腕の檻に脱力して、吐息の様にリマが呟く。甘いマトーの脳をとろかす声


ああ!そんなに可愛く呼ばれたら!止まれない。こんなことをしたらリマに嫌われてしまうかもしれないのに!


……本当に嫌がっているのか?

なんて甘い声で俺を呼ぶんだ!

瞳はトロトロに溶けて、頬は真っ赤で、可愛い。たまらない


すきだ

衝動が言葉になって喉から出そうになる


「リマ……す……」

だがそこでぐっと胸がつかえて、言葉は嗚咽に似た吐息へ変わる。


――好きだ、愛してる。


どうして言えないんだろう。

喉でキュッと詰まる。胸のに渦巻く想いが重すぎて言えない。

この苦しい胸の内を洗いざらい打ち明けてしまいたい。楽になりたい。それとももっと苦しくなる?


「マトー様?」

唇を離したまま動きを止めたマトーに、リマがとろんととけた瞳で問いかける。まるで次のキスを待っているよう。


ああリマ、

こらえ性のないマトーが深く深くまた口づける


だめだ、何も考えられなくなる。難しいことはもうわからない。リマリマリマ。リマの小さくて柔らかくて熱い舌……甘くてたまらない


気持ちいい。好きな女に口づけることがこんなに蕩けるものだとは。


溺れていく

これが女に溺れると言う事か


ずるずると脱力するままにソファへと崩れていく


ねろ、れる、とぷ


何度も何度も執拗に唇を重ねる。欲望と渇望がないまぜになって、頭が真っ白になっていく


マトーの情熱が欲を帯びて一気に膨れ上がる。発作的に強く抱きしめる。リマの小さな手を包む。ぎゅっと指を絡ませる


――リマとしたい。


女は抱かれた男を好きになると言う。体からこじ開けてしまいたい。そんな邪な思いもある


――駄目だ!


想い通わぬまま愛しい女を抱けはしない!! 男らしくプロポーズを決め、両想いになり、結婚するまでは我慢だ!! 俺はリマを世界一大事にするのだ!!!!


そして夫婦となった暁にはもう朝から晩まで深く深く深く愛を確かめ合って……ふふ、ふ。ふ。


思わずキスしながらマトーの口がへにゃっとふにゃけかける。フライング甚だしい


リマ、美味しい。甘い。その頬も耳たぶもつま先もすべて俺のもの。


ああ、確かに結婚まではキスだけ……に、留めるつもりだが。


耳を食むくらいはいいだろうか。首筋を唇で撫でるだけ。少しだけ舌で味あわせて……


「んっ」


リマが小さく上ずる。無意識にマトーの背中に爪をたてて、もう片手は頭を抱え抱く。マトーの鼻梁が柔らかな肌に押し付けられる


リマの芳香が鼻孔を満たす。マトーの心に幸せと恍惚が駆け巡って弾ける


「くぅっ」


べりべり、マトーの頭の中に音が響く。理性のはがれる音

もうだめだ。リマがいけないんだ。そんな可愛い声で鳴くから……。なんだその手は。がっつり俺の頭を抑え込んで!逃げられないじゃないか!


はたから見ればマトーが思い切りリマを押し倒して、貪っているようにしか見えないのだが、真に逃げられないのはマトーの方である


リマの太ももに指をかけて開く


マトーの唇はどんどん深みへ。キスだけという免罪符でどこまで淫らに落ちるのか



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