第14話雨の日2


それからマトーの城の恐ろしい伝説が広まるまではあっという間だった。


雪だるま式になだれ込む傭兵崩れ


マトーはしっかりとよく取りまとめた


己の欲望を知ると同時に、肉体は目覚ましく変貌する

身体は一回りも二回りも大きく

怯えた少年の瞳は獣の瞳へ


その身体の駆け抜けたあとには屍の山

どんな傷を受けてもたちどころに治る


罪の意識なく人を殺める盗賊の鏡

こんな言葉がぴったりだ。


化け物


それでもスライの前でだけは、時折少年に戻って甘える。


実の兄に慕うように。


怖い夢を見たとベッドに潜り込む。


スライにはそれがたまらない。

なんとか受け止めてやりたいと思う。


どんな暴虐な弟でも。



エリザは新しい恋人の仕打ちにすぐ音をあげた。

いや、まあ、よく耐えた方だろう


「酷いわ!もう耐えられない!」

エリザが寛ぐマトーに迫る


「酷い?一体何が不満なんだ?」

低く明瞭な声。一回りも二回りも成長したからだを、盛り上がる筋肉が覆っている。


「あなたが抱えているものよ!」


零れ落ちんばかりの女たち


「お前ひとりで足りるわけないだろう。いいじゃないか、ガウルの忘れ形見だから一番よくしてやっている」

「そんな理由だったの!?」

金切り声を上げるエリザ


「それ以外にどんな理由があるんだ!?」


「嫌よ! 私を愛していると言って!」


「はあ!?」

今度はマトーが素っ頓狂な声を上げる


「やっぱり! 私の事なんとも思っていないのね!? 私がどんな思いで貴方を選んだかも知らないで!私がどれだけあなたを愛しているかも知らないで! ああ! 耐えられないわ!」


一瞬、エリザが頭を掻きむしって……次の瞬間その手に鋭い光が灯る


短刀


それが何か判断する前に

ほぼ反射的にマトーの身体が動く

慣れ切った、敵を排除する動き

総てが終わった後で意識が戻る


エリザ? 


なぜ倒れている。


真っ赤だ


見事な太刀筋

ちがう、俺が……!


「エリザ!!!」


慌てて掻き抱く。だめだ。誰より知っている。


俺が仕留めた人間は助からない


血に濡れたエリザの唇が微かに震える

マトーの優れた耳には充分な吐息


「私ったら…馬鹿ね……あなたは……誰も愛せないの…ね……かわいそうな人。さようなら。愛して……た……」


腕の中で温もりが冷えて止まった


なぜ?


なぜだエリザ。


何もわからない

俺に教えてくれるんじゃなかったのか


涙もこぼれないのはなぜだ!

ただ茫然と立ち尽くす


こうしてマトーは実の親のように慕った二人を失くした

自らの手で止めを刺して


***


マトーは酒に酔わなくなった


いくら飲んでも酔えない

意識を紛らわすこともできなくなった


ひたすら退屈と殺戮の繰り返し

断末魔の悲鳴に心の安寧を求める


殺戮も過ぎれば武勲となる。


左の国の恐ろしい殺戮は、右の国にとっては英雄行為

あっという間に右の国から知らせが来た


偉大なるマトーに領地と勲章を!


マトーは跳ねつけた。


領主なんてまっぴらだ

誰かに飼われるなんて御免


どうしてもと乞われて、舞踏会にだけ冷やかしで行ってやる。


ガウルとエリザが憧れ焦れた城へ。


なるほど、贅の限りを尽くした宮殿。


何の感慨も抱かない

うつろな瞳で見事なステンドグラスを眺める。


――……すごおいステンドグラスがあるのよ。私見たいわ!


せめて、エリザが隣に居ればもう少し楽しいか?

なぜもう姿も思い出せないのだろう


***


それでもスライには甘えることができた。

心の内をさらけ出して、実の兄の様に。

わざと手を抜いて稽古をつけてもらう。

酔わない酒を一緒にかっくらう。


あの日までは


「こんどの街は……ちょっと、見逃してくれないか?」


斥候から帰ってきたスライが切り出す。


「どうして? 襲いやすい立地だし金持ちも多い」

「いやその……」


歯切れの悪い割には妙にうれしそうだ。胸に揺れるガーベラ


「じつは……恋人ができたんだ! 花屋の娘だ」


照れくさそうにはにかんで、頬を掻く


恋人!?


とん、と親しい人に胸を押されて

マトーは谷底に突き落とされたような気持になる


恋人ということは、スライは……スライも愛に捕らわれたのか!


あの、おぞましい愛というものを味わって!

遠くに行ってしまった!


くすぶってきた憎悪が一気に爆発する


――エリザ!愛している!

ガウルの言葉


――さようなら。愛してた……

エリザの言葉


愛、愛、みんな愛!!!

訳の分からぬ事を言う!


スライまで愛に奪われた!

俺の慕うものは皆去ってしまう!


愛とかいう、理解できないものの虜となって!

嫌だ!

スライまで失うのは嫌だ!!!


ごっ


スライは宙を飛んで強かに身体を打つ


何が起きたかわからない


実の弟の様に可愛がっているマトーを仰ぎ見る。

ねめつける冷酷な瞳


「よく考えればスライ、今まで随分偉そうな口をきいてきたじゃないか? この城で一番偉い俺に!」


凍えた声が降りかかる

最近では何をしても醒めたマトーが激昂している


冷徹で、残虐で、この世で最も優れた雄


「がっ!」


激しく頬を蹴りあげられて


スライにどうしようもない動揺が走る


なぜだ……


なぜ……なぜ自分は喜んでいる!!??


この感情は歓び?


あまりに唐突にスライに芽生えたもの


盲目的ともいえる、優れた雄への服従心


この男の心をかき乱している優越感

親しき弟への愛


総てがごたまぜになって倒錯へと変わる


「下僕の末席においてやる。今日からは俺に傅いて慈悲を乞え。女の為にな」


遠く断崖で狼が吠えている

泣き方を忘れたマトーの代わりに


その日から主従は一転した。仲の良い兄弟は下僕と主に


全く理不尽にマトーはスライを打つ。傅く頬を蹴る

母親の愛を試す幼子のように


けれども信じられないことにスライは幸せだったのだ


頭を垂れて。愛しい主のつま先に口づける


スライはマトーヘかしづくとき、腰がしびれるほどの陶酔を感じる。

忠義などとは程遠い下卑た欲望。


スライの欲望を知ってか知らずか、マトーはことさらスライを冷たく辛く扱った。

その度にスライは甘んじて靴の底をひたいに受け、丁寧に主の機嫌をとった。

愛する主人の為に


果てどない苦痛を感じたのはマトーの方である


なぜこうなった


そうだ、愛がいけない、愛などなければ……愛が憎い

愛など口走るものは殺してしまおう


***


マトーは16になった

若く猛る身体とは裏腹に、心は醒めている


焦りにも似た退屈。

手に入らないものなどない。はずなのに


どんなに欲望を満たしても渇く。

海水で渇きから逃れようとする漂流者のように。

必死で探しているのに何が欲しいのかさえわからない


ああ、この気持ちを誰か何とかしてくれ!


捕虜の中に不思議な男が混ざっていた


「マトーを出せー! あわせろー!!!」


妙にのんきな声でわあわあ喚いている

輝く銀の瞳に銀の髪。


司祭だ? 嘘だろう。

目が修羅場慣れしている。

間者か


「ああ! マトー様! わが主さま! 会いたかった!」


刃の下に引き出された男が傅く。倒れ伏さんばかり


「俺に会いたいと言うことは自殺願望でもあるのか」


「とんでもない!!!」

細い瞳をさらに糸の様に伸ばして、手を広げる


「あなた様に尽くすのが私の天命なのです。それまでは死ねません」


命乞いにしては迫真めいている


「何をしても満たされない? 退屈で退屈で死にそうだ! そんなときにはこのアスクレー!アスクレーにお任せ! お酒に酔えない? このお薬で解決!とっても気持ちがよくなります。まって!」


剣をクンと押し上げたマトーを押しとどめる


「いつも何かたえず炎がくすぶって、心が満たされぬでしょう?満月の狼のように背筋がざわざわする。自分は何かを探している、早く見つけねばならぬという焦燥…」


「なぜそれを…。」

心を当てられてドキリとする


「あなたが探しているのは宿命の女です!」

アスクレーが声を張る


「女に困ってなどいない!」


「いいえ、私が言っているのは生涯魂を捧げる女です。真実の愛! 古文書を読んで、自分でもお気づきになられておられるでしょう? 強靭な肉体。人智を超越した演算能力。たちどころに癒える傷。自分が神の福音であると!」


「はっ、神? 太古に失敗した人類強化実験のなれの果てだろう。教会が神話に仕立て上げただけだ」


「それを我らは一万年待ち望んだのです。」

「大陸を火の海にして?」


「……。あなたは教会が一万年血眼になって探した神の末裔。王になるのもこの世の全てを手に入れるのも思いのまま! 覇道をご用意して差し上げましょう。」


「そんなもんいらん。」


「あなたは支配者になられるべきです!」

「おれは残酷すぎやしないかね? 王冠の上には刃が吊るしてあるのでは?」

「……」

張り付いた笑顔のアスクレー


「図星だな。真の愛? そんなものはいらない。」


「いいえ、欲しくてたまらないはずです。言い知れぬ孤独に震えておられるのでしょう。」

「俺は孤独など感じない」

「あまりにも凍えてしまっては感覚が麻痺してしまうものでございます」

「……」

今度はマトーがやりこめられる


「真実の愛をお探しくださいませ。世界にたった一人。遺伝子に定められた愛を。一目でわかります。お身体がすべて書き換わってしまいますから。貴方は誰も愛せないのではない。ただ見つけていないだけ。ハズレの女とどんなに交わっても、ひとかけらの情も湧きません」

銀の瞳が金を覗きこむ


「真実の愛…」

ほろりと言葉がこぼれる


「そう!真実の愛」

アスクレーがにっこりほほ笑んだ


***


雨上がりの月がぽっかり落ちる

満月


スライ様のお話しが、今でも心にズキズキ響く

恐ろしいお話だったはずなのに

なんだかとても悲しくなった


「んー。こほん。つっ、月が綺麗だな」

そわそわ挙動不審なマトーが、さりげなさを装ってリマの横に滑り込む


並んで月を見上げる


「本当にきれいですね」


透き通った真空に洗われたような月


リマが捕らわれて一度目の満月


三度目の満月まで、私は生きていられるかしら?

ガウルもエリザさんも死んだ


明日生きていられるかわからないから今日の月が美しい



あんなにも月は美しかったか?


視覚とは目の中ではなく脳の中にあるもの

感動、彩り、驚き、嫉妬、あらゆるものが起動されていく


リマが隣にいるから世界が美しい


これからずっと一緒

退屈などどうして感じられよう


同じ月を見ているのに

想いは決して交わらない


(マトー様は悲しいお方だわ!)

不意にリマは胸がいっぱいになる

憐れみか、慈しみか、それとも愛にも似た気持ち……


--愛とは赦す事なのです……


罪に気づかなければ

許されることもない


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