第15話ラベンダー味のキス


瞬く間に日々が過ぎた

戸惑いは日常になじんで

やがて主人の無事を心から出迎えるように

床に放られる剣にもすっかり慣れた


雄々しいと思う時すらある


マトーの戦いはより深く激しいものへ。標的は村から街へ。街から砦へ。兵士はより屈強で手強く

殺しても殺しても蟻のように湧いてくる


だからもう武器の見せ惜しみなどしない


鉛玉で思い切り撃ち抜く


日暮れまでには戻る、と言った通りに

メグロマ炭鉱はあっという間に堕ちた。

鳥かごのカナリアは死なずに済んだ


メグロマ炭鉱


そう、左の国の心臓部が! たった半日で落ちたのだ

兵力は何倍も差があったのに!


けれども、ダイナマイトと、容赦ない機関銃に、どうやって剣で抗えよう?

まさに文明のレベルが違うのだ


虫けらが神に踏みつぶされるのと同じ


圧倒的な装備の差がここまで戦局を左右するとは


これは虐殺じゃないのか?


屍の山の前でスライはおののく

いくら、殺らなければ殺られるとは言え……


屍山を築いた主が振り返って笑う


キラキラ夕暮れに煌めく瞳

「あー、とっとと帰ってひとっ風呂浴びたいなあ。スライ、頬にすすがついとるぞ」


***


かつてない大勝利の後はもちろん大騒ぎだ

猛った心を打ち上げて夜通し大騒ぎ

明日この世が終わらんばかり

乱れ飛ぶ乾杯

テーブルにスライディング決めるバカ


い、今までだって毎日物凄いお祭り騒ぎだと思っていたけれど

まだまだ余力を残していたのだわ


「イエァー!リマちゃん、乾杯!!」

マアリが勝手に杯を押し付ける

なみなみ注がれた琥珀のジョッキがガチンとなる


「あっ!」


パッと奪われてマトーの喉ぼとけがごくごく鳴る。見事な一気。


「リマは飲んだらだめだ」

口を拭うとぶっきらぼうに告げる


喧騒は怒気をはらんで来た。腕自慢の男たちが取っ組み合いを始める。歓声。賭け。男と一緒に吹っ飛ぶ鍋


と思えば一方では、全く気にせず音楽を奏でる一団。


旋律と怒号の調和。

スライの見事なフルートの音。


まるでその一角だけ切り取られたかのように美し…


「おい、やめろ!私の旋律で見苦しい真似を始めるな!」

気持ちよくストリップしだしたアスクレーを慌てて止める


もうめちゃくちゃだ。一体誰が何をしているのかわからない。

思い切り叫ばないとすぐ隣にだって届かない。騒いで騒いで笑って泣いて


歓声も悲鳴も怒号も夜に溶けて…

やがてその夜も白んで朝日に座を譲る


***


朝。


「ん……」

リマは、柔らかな光に瞼をくすぐられて目を覚ました



「……はっ!?」

辺りを見回して、一瞬、世界の終末かと疑う


死屍累々

みんな幸せそうな顔で夢の中


マアリがすぐ隣ですうすう寝ている


マトーの腕に抱かれて


「リマ、起きたか。」

低い声がすぐ耳元を擽る


……!?


瞬間、自分を包むぬくもりに気付く


硬くてごつごつ、太いマトーの腕の中!

マアリを抱いてもう一方の腕

頬はぎゅっと厚い胸板に押し付けられて


「マッ、マトー様!?」


「おはよう…」

憔悴しきった顔のマトーが弱々しく微笑む


「どっ、どうして!?」

「いや、酔っ払いマアリがこうやって寝ろとわあわあ騒ぐから…はは、は」


もちろん一睡もできなかったマトーである


「これはダメだな……」


二人してしっちゃかめっちゃかの広間を見回す


朝食になりそうなものなどない。

シチューには長靴が生えているし、料理長に至っては頭から鍋に埋まっている。


この朝、身を起こせたのは、酒に酔えぬマトーと、アルコールを禁止されたリマだけ


「食堂で何か作ろう。こっちだ、」

マトーの大きな背中について、散乱する皿を避けながら歩く


***


通された食堂でリマは絶句する


息も忘れる絶景


一面のガラス張りに、青く雄大な絶景が広がっている


空の青、森の青、煌めく湖の青に、白く浮かぶ雲


遥か地平に万年雪を抱いた山峰


マトーの居室の小さな窓とは大違い


体が空中に放り出されたよう


こおんなに大きなガラス、雨嵐にさらされて割れないのかしら?

割れてないからここにはまってるんだわ


「よーし、さすがにここまでは食い荒らされとらんな。よしよし。リマ、少し待ってろ。」

マトーが腕をまくってフライパンを握る


えっ、何か作ろうって、マトー様がお料理するの!?


えっ、なんで!?


こういう時って奴隷が料理するものじゃないの!?


リマ心の叫びなど全く意に介さずに、さくさく料理しだしてしまうマトー


薪もくべずにカチカチすると、青い炎がぼっとつく

卵を片手でカパカパ割ってじゅー

たちまち厚切りベーコンの焼けるいい匂い。完璧な焦げ目


フライパンを華麗に回す

見事なトロトロオムレツ


「とろとろバターにお日様たまご、スパイスは恋心。あの子の舌鼓のためさ。美味しくならんとぶっ殺す」

微妙に物騒なお歌を歌っている

少し調子っぱずれなのがおかしい


不思議な形の鍋がシューシュー鳴る。あっという間にほぐれた肉がよそわれる


「牛頬肉の赤ワイン煮込み。昨日酒が飲めなくて不服そうだったからな、これならアルコールも飛んで大丈夫だろう」

にっこり笑顔を添えて、見事な朝食の出来上がり


「ど、どうかな、料理は久しぶりにしたんだけど口に合うか」

固唾をのんでリマのフォークを見守るマトー

まるで自身が食べられるかのよう


ぱくっ


「……おっ、…!」


美味しい!


ほっぺたがとろけるほど美味しい!卵は魔法がかかったみたいにふわふわ、お肉は口に入れた瞬間ほろっと溶けてなくなってしまう。こんなに美味しいものは食べたことがないわ!


「おっ、美味しいです!めちゃくちゃ……」

「ああよかった!」

心底ホッとするマトー


もしかしなくても、世界一料理がうまいんじゃあないかしら

こ、このお方って本当になんでもできるわ…お歌以外は


食後のお紅茶ももちろんすかさずマトーが煎れてしまう


「リマ、ミルクを先に入れる?紅茶を先に入れる?」

不思議なことを聞く人だわ。混ぜてしまえば同じ事


マトーにとっては大事な事。だってリマが口に含むのだから!


思う存分給仕して、やっとマトーも自分の皿に手を付ける


あぐっ、と切り分けた肉を頬張る


さらさら煌めくブロンズの髪

豪快な仕草なのに、遥かに美麗な人


思わずため息が漏れそうになる

あんまり見惚れたらバレてしまうわ

それでなくてもよく視線がぶつかるのに


慌てて視線を窓の外へ剥がす

小高い丘の上に連なる不思議な風車。あれも「ハツデン」を行っているらしい


ゆっくり形を変える雲

マトーの食器の音以外は、静まり返った城


こんなに静かなのはいつぶり?寂しくなるほど静か

ふと、郷愁が滲む


村のみんなは元気かしら…

あの山々がリーネ山脈だから、村はあちらの方ね


遥か北の山嶺を見やる


泣き虫のウィドーは私がいなくて大丈夫かなあ。

みんな、私の心配をしているかしら? 

きっと、とっても後味が悪かったわよね…


「どうした?」

黙り込んだリマをマトーが覗きこむ

少し不安そうに


「えっ、いえ、あの、村は……いえっ、…花は、花は見頃だろうなと思って」

「花?」


「あっ、はい、そうです。あの…、えーと、未開地リーネ!リーネはこの季節に花で埋め尽くされると聞きます。」

とっさに、リマは山脈を超えた幻の大地を引き合いに出す


この大陸の北

命知らずの冒険家だけが拝める、神の庭と詠われる幻の地


この大陸の南の伝説がマトーの霧城ならば、北は秘境リーネ。

思いがけぬ形でマトーの霧城は踏破してしまったのだが……


本当は、いつか未開地リーネを拝むのが夢だった


「マトー様、なら、見たことありますか?」

「無いな、行こうと思わなかったから。見たいのか? じゃあ観に行こう、今から。」

ごきゅっと紅茶を飲み干して席を立つ


「はっ!?」


「今からいこう。リーネの花畑を見るのが夢なんだろう?」

「そっ、そうですけれど、でもあのリーネ山脈は並大抵の人間では超えられませんよ!マトー様なら超えられるかもしれませんが私なんかでは…」


「山など飛んで超えればいい」

マトーが可笑しそうにくつくつ笑う


「飛…?」

全く予想外の言葉に口角がひきつる。一周回って笑顔にも似ている


ざあっ

窓一面の青を小鳥の鳥の白が羽ばたいていった


***


馬車よりもずっと狭い小部屋に身を押し込める。眼前に広がる窓

天井までぎっしり覆われた計器



不思議な板に二対の蛇が浮かび上がって、大陸地図に変わる

マトーが指先でなぞる。ヒュオッと、拡大される地図


全く原理がわからない


「こちゃこちゃした装置がいっぱいついとるが、操縦はめちゃくちゃ簡単だ。ナビに行き先を登録すれば勝手に飛ぶ。可変翼だから滑走路もいらない。パスワードは…。そうだ、お前の名前にしよう」


慣れた指先を見つめながら訝しむ


飛行機、というらしい

その姿は大翼を広げた竜を思い起こさせたが、その身体は硬く、ピクリとも動かなかった

本当に、こんな大きな鉄の塊が飛ぶのかしら?


ううん、きっと飛ぶんだわ


だって、マトー様が飛ぶと言っているのだから!

それに、この、不思議な乗り物の形!


竜……というよりはやっぱり鳥ね

翼を一杯に広げた鳥


真っ赤な鋼の鳥


きっと、これを作った人は思い切り空が飛びたかったに違いないわ


「行くぞ」


声も終わらぬまに、ぐっと胸に重みがかかる。

ゆるゆる動きだしたかと思うと、あっという間に加速する。


線となって流れていく景色。

体が傾く。それからふわっと軽くなって


浮遊感


飛んだ!!


思わず窓に噛り付いて地上を見下ろす

するすると屋上が遠ざかって粒となる。


ぐんぐん遠ざかっていく畑、道、森


地図のよう……当たり前だわ


「だ、大丈夫……か?」

おずおずマトーが気遣って、背中を触ろうか触るまいか葛藤している

「は、はい……」


生まれて初めて味わう視点

マトーの城ほど遥か高みはないと思っていたのに、

その城は遥か点と消えて、もう見えない


星が丸いといったアスクレー様は嘘つきだわ。どこまでも平らな大地だわ。

パッチワークの絨毯畑が途切れて、人手の入らぬ古の森をゆうに飛び越えて行く。



「リマ……怖かったら俺の手を…リマ? おーいリマー」


最初の恐れは何処へやら

気がつけばリマは窓にへばりついて、一心不乱に魅入ってしまっていた

邪なマトーの呼びかけも聞こえない


雲の幕までいともたやすく突き破る

あっというまに真白な雲の上

初めて雲は掴めないと知る。

そして何より地平線に輝く太陽!

水田も山の斜めも川も鏡のように照り輝く


窓辺の景色が人生一の絶景だと思ったのに

あっというまに塗り替えられる


ふと、リマは背徳に近い爽快感を覚える

世界をこんな高みから見下ろしてしまって良いのだろうか。

いつものうろこ雲を、裏側から見る背徳感



この城に来てから本当に信じられない事ばかり


それもこれも、みなマトー様のお力だわ。

この人は神の力を持っているのだろうか



それとも、もしかして

この人は神すら越えるのか


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