やばい女(その6)

「新門結之助は、道場で常に一二を争う剣友で、やつの許婚がお美津でした。拙者はいつしかお美津と恋仲になり、ついには結之助から奪い取って祝言をあげたのです」

弥三郎は、二年前の不幸な出来事を語った。

「祝言の夜、酒にひどく酔った結之助が刀を振りかざして乱入し、お美津を連れ去ろうとしました。それを阻止しようとした拙者とお美津の父親に斬りかかり、拙者は背中を斬られて半身不随となり、義父は死にました」

浮多郎は、『髪を整えて髭を剃れば、けっこうな美男子だろうな』と思いながら、弥三郎のよく動く赤い唇を見つめた。

「藩主の裁定は不可解なものでした。結之助の父親が、若い藩主が頼みとする藩の重役で、『元はといえば許婚を奪った弥三郎がその原因を作り、結之助は酒の上での乱行であった。罪一等を免じ江戸へ所払いにする』というものでした」

弥三郎は怒りを隠そうとしない。

「敵討ちを願い出ましたが、義父の敵討ちはご法度ということで、お赦しが下りません。やむなく拙者は脱藩し、お美津を連れて江戸に出てきたのです。しかし、結之助の行方は知れません。藩の江戸屋敷が匿っているとも耳にしました」

ここで、やっと話が繫がった。・・・評判が結之助の耳に届くように、お美津が決死の覚悟で矢場の女を演じたのだ。

「浮多郎どの、なんとか結之助の居場所を探せんか。結之助は、今でもお美津に惚れているはず、万一にも殺すことなどありえない。何としてもお美津を助けたい」

浮多郎には、恋敵への嫉妬心をむき出しにする弥三郎の苦悩が、手に取るように分かった。

―泪橋にもどった浮多郎を、テキ屋の元締めの辰治が待っていた。

「例の火盗の夜回りの若侍が、さっき現れましたぜ」

辰治は腰を浮かせて、大川橋のたもとで鰻重を喰っているので、すぐにでも案内するという。

「夜廻りが、昼の見廻りに変わったのでしょうかねえ」

辰治は案内の先に立って、見かけによらず素早く歩いた。

浅草寺の先を左へ曲がったところで、辰治は、「いけねえ」と立ち止まった。

駒形屋の暖簾を分けて、弱冠をわずかばかり過ぎた若い侍がちょうど顔を出した。

鰻の折詰を下げた若い侍は、こちらへ向かってくる。

雷門でやりすごしてから、浮多郎はひとりであとをつけた。

東本願寺の先をしばらく行ってから、若い侍は辺りを見回し、とあるしもた屋に入った。

「おかえりなさいませ」

家のあちこちから、どすの利いた声がかかったので、ヤクザ者が数人いると浮多郎は踏んだ。

家の横の路地から裏に回り、坪庭の濡れ縁の下に潜り込んだ。

「いつまでこんなところに押し込んでおくのさ・・・」

女の声が、微かに聞こえた。

「お前に惚れてしまったのだ。どうにも、夫婦になってもらいたい」

これは、若い侍の声だろう。

「なら、こんな手荒な真似をしたらどうにもならないでしょうよ」

「縄をほどけば、あなたは逃げてしまう」

「それでいて、夫婦になろうというのはおかしくはないですか」

「あなたは、矢場の女として派手にやりすぎた。どのみちお縄になる身だったのだ。それを拙者が救った・・・」

「恩に着ろ、とおっしゃるのね。戒めを解いてくれれば、両手を突いてお礼を申し上げましょう」

「・・・・・」

男と女の押し問答は果てしなく続いた。

いい合いに疲れたのか、・・・やがて若い侍は家を出た。

浮多郎は、すぐにこの家に入ってお美津を救うべきか迷ったが、危害は加えられないだろうと判断し、若い侍のあとをつけるほうを選んだ。

上野から御徒町、神田明神から本郷を経て、若い侍は北の丸の清水門外の先手組の役宅に入っていった。

それを見届けた浮多郎は、八丁堀の奉行所に駆け込んだ。

岡埜同心が、話をお奉行に上げ、若い与力の梶原勝之進が、すぐに捕方十名余を引き連れて馬で出動した。

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