やばい女(その5)

政五郎がめずらしく、あげた寝床にもたれて、黄表紙を読んでいた。

「京伝先生の弟子の大栄山人作の壬生狂言の話だが、なかなかに面白い」

ひとくさり蘊蓄を語った政五郎は、やっとお美津にご執心の若侍と牢人者の話を聞く気になった。

「テキ屋の元締めの、火盗の夜廻りの見立ては面白いな。次に現れたら、そいつの子分にあとをつけさせたらどうだい」

「まさか、火盗が・・・」

「辰治が、そういっているだけだろう。まだ、その若侍が火盗と決まったわけじゃねえ」

浮多郎は、『たしかに』と、政五郎の慧眼に舌を巻いた。

・・・まだ、火盗というのは辰治の見立てでしかない。

「脱藩して牢人とはいえ、侍の奥方が夜店で的場の女とは・・・。それも玉門のご開帳までして、恐れ入谷の鬼子母神じゃあねえかい」

いつもに似ず、軽口を叩く政五郎は、よほどからだの具合がいいのだろう。

「押すな押すなの大盛況だそうで。あの夫婦、よほど金に困っていたのでしょうか」

親子は、腕組みして考え込んでしまった。

そこへ、二階から下りてきたお新が、浮多郎にもたれるように座り、話に加わった。

「若い女が、そんな見せ物まがいのことをするなんて。それこそ決死の覚悟がなければ、できることではないわ」

それを聞いた浮多郎は、ポンと手を叩いた。

「夫婦は敵討ちのため江戸へやって来た。返り討ちに遭うかもしれないので、それこそ決死の覚悟で・・・」

浮多郎が、いいかけたところで、

「それだ!お美津は、夜店の矢場で決死の覚悟でもってご開帳をした。ひと寄せのため。仇と狙う男を誘い出すために」

政五郎があとを引き取った。

「それじゃあ、お美津と顔を合わせて逃げるように去った牢人者が・・・」

終いまでいわずに、浮多郎は鉄砲玉のように飛び出し、吉原土手八丁を駆けた。

―待乳山聖天稲荷裏の、半ば崩れかけたような貧乏長屋の一室で東条弥三郎は書見をしていた。

「浮多郎どの、お美津の手がかりが見つかりましたか?」

書見台から顔をあげた弥三郎は、目を輝かせた。

「夜店の的場でご開帳までしようってえのは、並大抵の覚悟じゃできないことで。そこまでする訳を教えてくだっせえ。お美津さんの考えから出たことで」

「・・・恥ずかしながら、お美津がやると言い張ったのです」

「ひと寄せして、仇も呼び寄せる策略だったのではないですか?」

「・・・・・」

弥三郎は頭を垂れて黙り込んだ。

「その仇とは、どんな男で?」

「見つかったのですか?」

「奥様がいなくなった夜に、三十がらみの牢人と顔を合わせたそうで。その男は逃げるように立ち去り、奥様はあとを追おうとしたようです」

「結之助です。新門結之助です。それでは、やつがお美津を・・・」

「それは、分かりません。奥様の決死の覚悟が、その新門とかいう牢人を呼び寄せたのはまちがいありません」

弥三郎は、膝の上の両の拳を、石をも砕くほど強く握りしめた。

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