やばい女(その2)

三日後の朝。

お美津という矢場の女の亭主が、泪橋たもとの政五郎の小間物屋に現れた。

髪も髭も伸び放題の牢人者だが、目と口元に若さがあった。

厚い板に四つの木の車輪をつけた筏のような乗り物を、櫓ならぬ棒で押しながら聖天からやってきたという。

「お美津が、乱暴されそうになったのを救っていただいたそうで」

小間物屋の土間に筏を乗り入れ、元彦根藩士の東條弥三郎という牢人は頭を下げた。

「拙者がこんなので、女房をつらい目にあわせて・・・」

との言い訳もそこそこにして、

「そのお美津が、昨夜もどってきませんでした。こんな情けない姿ですが、浅草寺裏まで行ってみました。矢場の道具をかたずけて倉庫に納めたのは、元締めが確かめています。浅草から聖天まではつい目と鼻の先ですが、そこでお美津の身に何か・・・」

弥三郎は、眉根を寄せて女房の身を案じた。

「奥様は、このように朝まで帰ってこなかったことは?」

「ありません。いちどもありません」

弥三郎は、「いちども」に力を込めていった。

「それでは、奥様をかどわかすような者などにこころ当たりは?」

この問いに、すぐに返答はなかった。

(こころ当たりがあるということか?)

弥三郎は話すか話すまいか、しばらく迷っていたが、

「じつは、われら夫婦は敵のある身です。仇の新門結之助を求めて江戸へやってきました。・・・あるいは、その憎き新門めにかどわかされたかもしれません」

しかし、これはあくまで弥三郎の推測であって、たしかな話ではないようだ。

江戸へ出てきてはや二年、彦根から江戸へ出奔したという噂を信じて江戸へやってきたが、夫婦はまだこの新門某の居所をつかんでいなかった。

何か手がかりがあれば、ここへ日参してもよいと弥三郎はいったが、それは気の毒なので、聖天稲荷裏の長屋へ浮多郎のほうから出向くと約束をした。

筏のような乗り物を漕いで聖天へもどる弥三郎を見送った政五郎は、

「どんな事情かは知らないが、あんなからだで敵討ちとはな・・・」

と、じぶんが半身不随であることを忘れ、弥三郎にしきりに同情した。

―浮多郎は、その足で浅草の五重塔の裏通りにテキ屋の元締めの辰治をたずねた。辰治は大きなからだにいかつい顔だが、意外と人情のある男だった。

「たしかに、お美津さんは的場の道具を倉庫にしまってから、俺にあいさつして帰ったな。・・・なに、聖天の長屋にもどらなかったって?」

三日前、浮多郎がゴロツキを退治したのは、辰治も知っていた。

「ああ、あいつな。・・・酒癖は悪いが、しらふならいたって気のいいやつさ。かどわかしてまで何する度胸はないだろう」

他に三人ほど、お美津に惚れて通ってくる男を知っているという。

そのうちのひとりは、トカゲみたいに冷血な目で、矢をしこたま吹きながら、お美津さんのあそこそれこそ穴のあくほど見てよだれを垂らす男だという。

「どんなやつで?」

「たしか、この先の履物問屋の手代だな。こいつは飽きっぽいのか、すぐ店を代わる」

家は千住の川向うというのを聞いて、店を出るのを待ってあとをつけてやろうと、浮多郎はいったん泪橋へもどった。

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