ケース3:靴を探す亡霊vs超能力者
「ねぇ聞いた? ヒロミも見たんだって」
一日の授業を終えて、帰宅しようと荷物をまとめていた長いストレートヘアの少女に、ウェーブがかった明るい茶髪の少女が声を掛ける。
「何の話?」
首を傾げる仕草に、声を掛けた茶髪の少女は待ってましたと口を開く。
「やっぱり神野さんはそういうの知らないのね。最近噂になってる“くつどこ”さんの話だよ。うちの学校でも何人も見たって人がいて――」
「興味ないから」
「あ……」
早口で独演会が始まったところで、聞き役として捕まっていた少女、神野チヨは冷たくあしらって歩き去ってしまう。
置いていかれた茶髪の少女は明らかに話し足りない様子であったし、冷たいチヨの態度に不満もあるようだったが、しかし結局は「あの子はいつもそうだよね」という感想だけ呟くと別の友人と別の噂話を始めていた。
「ばかばかしい……」
教室を出たところでチヨは口の中で小さく呟き、一切振り返ることもせずに帰宅の途についたのだった。
いつも通り煩い級友を振り切り、いつも通りのペースで、いつも通りの道を歩いていたチヨがいつもと違う空気に気付いたのは、通学路に昔からあるため池の近くに差し掛かったときだった。
低い柵で囲われた向こう側、池の縁まで続く雑草の中がやけに静かだった。今の季節は耳を澄ませばノイズの様に虫の声や風で葉が擦れる音がしていたはずなのに。
「なに……?」
思わず足を止めたチヨは周囲を見回した。しかし何かがある訳もなく、チヨ以外には通行人も見当たらない周囲には、ただ沈黙だけが満ちていた。
「ねぇ」
ひやり、とした感触を左の手首に感じたチヨは、再び歩き出そうとしていた足を止めて目線を下げる。
そこに添えられていた不自然に白く、そしていびつに膨れた小さい手には力などこもっていないように見えて、しかしチヨには痛いほどの締め付けが感じられていた。
「ねぇ」
そこでもう一度、真後ろから、小さな女の子と思われる高い声が掛けられる。
「……何かしら?」
少し間を空けてチヨが返事をする。それを受けてどういう感情か小さく息を吸う音がして、そして高い声は続けて問いかけてくる。
「くつどこ?」
「靴?」
「そう、くつどこ?」
明らかに情報量の足りない質問に、思わずチヨが反芻すると、重ねて同じ事を言われてしまう。
「靴……、それなら――」
チヨが答えようとすると、湿り気を帯びたにちゃという音が後ろから小さく響く。しかし、不快な音にも、締め付けの強まる左手にも構うことはなく、チヨは言葉を続ける。
「あれのことじゃないかしら?」
チヨは捕まれていない方の右手を、鞄を持ったまま少し持ち上げて池のすぐ手前を指す。そこには赤い靴が片方だけ落ちていた。
左手を締め付ける力はますます強まり、それは一歩近づいてきたのか、チヨが下げた視界の中には片方だけ赤い靴を履いた足が、手と同じく痛々しく膨れて腐った足が見える。
「とって」
「どうして私が?」
「とって!?」
「……はぁ」
溜め息を吐きながらもチヨが足を池の方へ動かそうとすると、左手をひどく締め付けていた小さな手はするりと離れ、後には青黒い痣だけが残る。
「ぃしょっと」
小さく声を出しながら、チヨが低い柵を乗り越えると、再び後ろからにちゃと音が響いた。
あとは数歩進めば赤い靴が落ちている、濁って底が見えないため池のすぐフチに。
「――っ!?」
そこでチヨは突如方向を変え、全く違う場所へと踏み出す。背後からの気配は驚きに息を吐いた後、濃い怨嗟を込めて再び声を発し始める。
「くつとって! くつ!」
逆らうことなどできないはずの声を悠然と無視して、チヨはある地点で足を止める。
「そんなもので私の足止めなんてできないし、そもそも初めに手を掴んだところであなたの負けよ?」
「くつは!? くつどこ!」
狂ったような叫び声へと変貌し始めた背後の気配に向かって、チヨは淡々と言葉を続ける。
「サイコメトリー、聞いたことくらいないかしら? 私の使える能力の一つに過ぎないけれど、あなたのように特定条件で呪術に嵌めるタイプの悪霊には効果抜群よね」
「くつくつくつくつ――、くつ!? どこ!?」
若くして国内最強との呼び声高い超能力者神野チヨは、屈んで地面から白い欠片を拾い上げると、軽い足取りで振り返る。
「やめろ! “あたし”にふれるな! くつ、くつ、くつ、くつをとらなきゃだめでしょ!」
腐って膨れた女の子らしき形状の存在は、頭と思われる場所を振り回して狂乱する。しかしどれだけ怨嗟を込めて掴みなおそうとしたところで、チヨの周囲に張られた不可視の力場に阻まれてもはや呪いで拘束することはかなわない。
「靴を拾おうとしたところで池へと突き落として溺れた被害者の恐怖を喰らい、あわよくばそのまま命までしゃぶりつくす。でももう無理よ、だって全部見えたのだもの」
「やめっ!?」
なおも言い募ろうと狂乱する霊を無視して、チヨは手にした白い欠片を磨り潰すように入念に砕いた。
「……」
そこにはもう何もない、怨嗟に膨れた歩く水死体も、不自然に一つだけ落ちた赤い靴も。
「面倒くさい」
柵の上部に手を置いたチヨは、心底面倒そうにその低い柵を跨いで路上へと戻る。神野チヨにとっては、磨り潰しても構わない霊などより、壊したら怒られる柵や、無視をしたら文句をいわれる級友の方が、よほど面倒なようだった。
過剰戦力ホラー 回道巡 @kaido-meguru
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