第10話 変身 ~ 4 ~



「エミリア、おいで」




ヴィオラールが呼んでいる。

部屋の中には香が焚かれ、落ちつけるようにカーテンは閉められている。

柔らかいリネンの寝間着を着たエミリアは、ヴィオラールに促され

ベッドに横になった。

頭の位置に腰をおろしたヴィオラールが、シーツに広がるエミリアの

柔らかいの髪を優しく梳き、語りかけてくる。



   「いいかいエミリア、薬の力に抗ってはいけないよ、

    抗えば苦しみが強くなる。信じて身を委ねてしまうのが一番いい」

   「はい」




ヴィオラールの手が頭の後ろに差し込まれ、頭を持ち上げたエミリアの

口もとに、とろりとした液体の入った器があてられる。

エミリアは目を閉じそれを飲んだ。


全部飲みほしてしまってもなんの変化もないようだったが、

ちりちりとした痺れが足先から指の先、髪の毛の先までも覆っていって、

やがてそれは鈍い痛みへと変わっていく。


意識がだんだんとぼんやりとして、霞がかかったような頭の中に

ヴィオラールの声が響いた。



    「ガラニアの神には男神と女神があるが、<神の御使い>と

    呼ばれる者たちには性がない。

    その者たちのような男でも女でもない子供が、

    ここではまだ、稀に生まれることがある。  

    おまえはこれからそれと同じ、男でもあり女でもある、

    また男でもなく女でもない者になるが心配はいらない。

    薬は二ヶ月しかもたないから。

    二ヶ月後には全てが元どおりになり、問題も片付いて、

    もう一度新しい人生を始められるだろう……」




身体を覆う痛みがだんだんと強く鋭くなってくる、

今度は乱れた父の声が頭に響いた。



   

   「あの男は美しいエオノラに目をつけた。

    私と結婚しすでに娘もあった彼女を、奴は自分の欲望の餌食にした。

    エオノラはそれを恥じて、自ら命を絶ったのだ……」




王都の出かけた際の不慮の事故ではなかった、母の死。


苦悶に染まった父の声が続く。



   

   「私には到底我慢できない。

    王都から離れ、社交界からは遠ざかり、

    あいつの目に触れぬよう守ってきたのに。

    あいつは、ヴィーズは…… おまえを側室にすると言ってきた。

    ああ、許してくれ、エミリア。

    もうこういう形でしか、おまえを守ってはやれぬ…… 」




ずきんずきんと脈打つ痛みが、身体のいたるところで

我が物顔に暴れまわりはじめ、エミリアは歯を食いしばった。


このまま死んでしまった方が楽だと思ったが、

朦朧とする意識の中で次に聞こえてきたのは、デューの声だった。



    

    「いつまでもここでこうしていたい、ここで、いつまでも

     君を抱いていたい……」




涙が溢れ、エミリアは心の中で呟いた。


ー ー さようなら、デュー  


ー ー さようなら、私の初恋



そして意識が途切れた。






用意を終え入った居間には、父と父の友人のブラン将軍がいた。



   

    「久しぶりだねエミリア」



りっぱな口ひげと優しい微笑、ブラン将軍はエミリアをそっと抱擁したが、

その目には憂いと悲しみしかない。


でも彼はそれを隠すように、明るくはっきりとした声で力強く言った。



   

   「心配することはない、あとは私がちゃんと面倒を見る」




そう言って渡されたカードには、新しい身分と名前が記されていた。



   

   「北部森林国境部隊、軍属事務官 エミリオ=デュッソ」

   「エミリオ……」




まだ馴染まない新しい名前をエミリアは声に出して言ってみた。

   


   「生まれは私と同じ国境いの町アンセルとした。

    君がこれから行くベイン要塞の隣町だよ。

    エミリオは私の館の使用人の息子だが、志願し、

    この春から事務官として私の下で働く」  

   「はい」

   「ベイン要塞にいるのは大半が兵士で男ばかりだ。

    不安は大きいだろうが……」

   「大丈夫です、私はもう女ではありませんから」

   「……」




ベイン将軍は何も言わず、二人のやり取りを聞いていたノーズ公爵は

うめき声を漏らした。

そして公爵はふらふらとエミリアの前まで歩いてくると、

まるで中風の患者のように小刻みに震える痩せた手をのばし、

短くなったエミリアの髪をなでた。



   

   「美しい髪だっだのに」

   「またすぐに伸びます、お父様、いえ、、父上」

   「あ、ぁぁ」




彼は返事とも、ため息ともわからぬ声をだし涙を流した。



   

   「すまない、すまないエミリア」

   「父上は少しも悪くありません、それに私は思ったよりも

    平気……です。 男になるなんて想像もつかなかったけれど、

    おもしろい経験だと思います」





男言葉にまだ慣れず、硬い調子で彼女は答えた。

姿かたちだけ変えてもだめ、意識から変えていかないと、

とエミリアはそう思う。


顔立ちは変わっていないが、ドレスや靴は濃いねずみ色の軍服と長靴になり、

長かったクリーム・ブロンドの髪は短く切った。

そして何より、女性らしい胸の膨らみがまったく無くなってしまった。


ショックは受けたが、それでもこれは一時的なことだとエミリアは

納得している。


それより何より心配なのは、父、ノーズ公爵のことだ。

ここ数日でさらにやつれ、死人のような顔色の父の目には苦悩の色が濃く、

時々常軌を逸しているのではと心配になるほどだから。

でも、父と二人で幸せに暮らすためには、これははどうしてもやって

のけなければならないこと。


エミリアはエミリオになり、ここから遠く離れた国境北部にある

ベインの要塞に行く。

そしてその後、王都ではこんな噂が広まることになる。



娘を側室として差し出せという国王の要求に悩んだノーズ公爵は、

どうやら正気を失ったらしい。

使用人をすべて解雇してしまい、彼は娘と二人だけで引きこもった

生活をはじめたそうだ……。

そして噂がじゅうぶんに行き渡った頃ノーズ公爵家の館で火事が起こり、

焼け跡からノーズ公爵とエミリアの変わり果てた姿が発見される。

もちろんそれらは他人で、執事のジャミルが男と女の死体を密かに手に入れ、

公爵とエミリアだと偽る手はずになっていた。



   

    「エミリア、すまない、あぁ、、弱い私をどうか許してくれ」




公爵はあふれる涙を拭おうともせず、ずっとそう言い続けている。


エミリアがブラン将軍ともに部屋を出て、後ろ髪を引かれる気持ちで

馬車にのりこんでも公爵は項垂れたまま、ただ ” すまない “ と言い続けていた。



   

   「そんなに泣かないでください、大丈夫ですから…… お父様」

   「すまない、エミリア、だが……だが、父はいつも、いつまでも

    お前の幸せを祈っている」




馬車が走り出し、固く握り合っていた手が離れていく。


館の前で執事のジャミルに支えられ立っている父の姿は、だんだんと小さくなっていき、馬車が道を折れて、父の姿も館も、なにもかもが見えなくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る