5話 警察署、そして過去へ。

「これは驚いたな、ドアを開ければそこは大通りであった、か」



 後ろを振り返ると。私たちが通ったドアがなくなり、なんの変哲へんてつもないビルの壁がそびええ立っていた。


 そして正面を見れば、人人人。人の海。



「どんなトリックなのだろうか、何も感じられなかったが……」


「あの」



 クイっと服の端を引っ張られ、私は少女を見下ろした。



「どうした」


「あの、わたし……あれ、なんだっけ、ううん、やっぱなんでもないかもです」


「なんでもないかもですか」


「うん」


「はあ」



 そしてしばらくその状態で沈黙が続いたが、すぐに私はしなければいけない事に気がついた。



「ああ、そうだ、交番へ行かなければならないな」


「うん」


「では行くぞ」


「うん」



 そうして私たちは歩みをすすめーー。



「ーーどうした、止まっていてはいつまで経っても着かないぞ。さ、行こう」


「……て」



 少女がうつむきがちに口を開いた。



「て?」


「……て、つないでください」



 そのか細い声に、私は少々驚いた。さっきまであんなに元気であったのに。


 やはりおっさんは、小さな子に合わせてはいけない生物なのかもしれない。



「……え、あ、ああ、わかった」



 そして私が左手を差し出すと、少女は右手を伸ばしてきた。


 一瞬、互いの指先が触れ合い、間もなく、私たちの手は繋がれた。


 そうして私たちは、手を繋いで歩き出す。




 ーー少女の手は、やはり若干強張っていた。




 〜 〜 〜




 人混みの酷い大通りを道なりに進んでいると、すぐに交番が見えてきた。



「三谷警察署、遅分交番、か」


「みつや? ちぶん? なにそれ」


「お巡りさんがいらっしゃるところだ。私たちの目的地。ちなみに美味しくはない」


「そうか、そうか、よくやったぞ、だいがくせー」


「ああ、大変に時間がかかったが、ようやくたどり着けた」


「たなんでしたな」


「ああ、多難であった」



 そうして私たちは互いに視線を交錯させーー。



「「ーーでは、参|(まい)る」」



 ーーガラガララ。



「お、どうぞこちらへ……ってなんだ? 自首か?」


「いきなり失礼な」



 入ってそうそう、若い警官がそう言ってきたものだから、私はとても驚いた。なんだこいつ。



「いや、だって小さい子の手を握ってきたものだから……見たところ、兄妹でもないようだし」


「たいへん失礼な」



 流石に憤慨ふんがいする私であるが、一応サッと手は離しておいた。


「怪しさMAXだぞ、あんた」


「勘弁してくれ、私はこの迷子を連れてきただけなのだ」


「ん? このだるまっ子、迷子なのか」



 そう言って、若い警官は机から身を乗り出して、少女を見つめた。



「きみ、この人になにかされてない? 大丈夫かい?」


「うん、だいがくせーはやさしいひとでした」



 そう言って遠い目になる少女。



「おい、私は死んでないぞ」


「そうでした」



 こやつ、元気になってきたな。



「……ん〜、まあ、大丈夫そうかな」



 私たちのやりとりを見て、一応、警官の疑いは晴れたらしい。



「で、その子、迷子なんだっけ?」


「ああ、そうだ。そして私はスマホをなくした者だ」


「ええ、あんたもなにかあるのか」


「そうだ、何か文句あるか」


「ないよ、じゃあ、まずはあんたから対応するから。だるまっ子はそこの椅子座っといてね」


「うん」



 そう言って少女は、近くの椅子にポテッと座った。



「んで、あんた、失くしたのはいつ?」


「つい2、3時間ほど前」


「そのスマホの特徴は」


「灰色の生地で黒のラインが一本入っている、かなり汚いヨレヨレのスマホケース。林檎りんご社が出している正規品だ」


「ふむ、それじゃ、ちょっと待っててくれ、ちょいと確認して来る」



 そうして、警官は何やらガサゴソと動き始めた。


 私はそれを横目に、少女の方を向いた。



「ぬぬぬん」



 なんか言っていた。



「お、これじゃあないか?」



 間も無く、警官がそれらしいスマホを持ってきた。



「どれ……おお、これだ。これこれ……おや、随分とヒビが割れている……というかなんだこれ、埃まみれじゃないか。どんな管理してるんだ」


「心外だな、預かるものはしっかり管理しているぞ」


「いや、にしても、さっき落とした割には、長い間使ってないような感じだが」


「文句言うな、あっただけよかったろ。ほら、電源入れて確認してみろ」



 なんだこの警官。若いくせに随分と雑な対応だな。若いくせに。


 だが、確認しなければ話は進まない。私は渋々スマホの画面にパスコードを入力してホーム画面を開き、何となく写真アルバムを開いてーー。



 ーーぴたと、指が止まる。



 おかしい、これはおかしいぞ。



「ん? どうした」



 警官は何事かとこちらを見ている。



「おかしい、なぜか、なぜか駅の写真がなくなって、いや、これは……」




 ーー私のスマホからは、去年の12月25日からのデータが一切消えていた。




「なんだなんだ」


「私のスマホが一年前にもどってる」


「何言ってんだ」



 警官が怪訝けげんな表情を浮かべながら、そう言った。



「だから、私のスマホのデータが一年間分全て消えているんだ」


「はあ? よくわからんが、これはあんたの物で間違いないんだな?」


「え、ああ。そうだ、そうだが……」


「じゃあほら、こっちきて書類あるから……っておい、なんかそのスマホ光りすぎじゃあないか?」



 そう言って警官が私のスマホを指さしてきた。



「え?」



 私がすぐさまスマホを見ると、明かにスマホ画面が白い光を発し始めた。



「おお、おおおおいおいおい」


「なな、ななななんなんだ」



 その光はさらに強くなり、段々と周囲を白く染め上げーー。




 ーーそして、交番内は真っ白い世界へと移り変わった。




 〜 〜 〜




「ん、んんあ?」


「あの、君ぃ〜、そのスマホ、君のであってるんだよね?」



 すぐ目の前でおじさんの声が聞こえた。若干心配そうな声色だ。



「ーーはっ、ここは」


「いや、あの、ここはって言われてもね、君、交番だよ交番、君、そのスマホ取りにきたんじゃないの?」


「え、いや、そうですけど、え?」



 私はすぐに異変に気がついた。


 ここは……ここは、先ほどいた交番ではない。


 私の目の前にいるこの警官は、さっきの若い警官では決してないし、何より、私が手にしているスマホは、ヒビも割れてなければ、朝ついたコーヒーの染みも無い。



「君、どうかしたのかい? 交番は初めてだった?」


「い、いえ」



 おじさん警官は、私の様子を見てかなり心配しているようだが、私の耳にはほとんど届いていなかった。



「だ、だだだ」


「え、なんだって?」


「だるまの少女がいない!!!」


「は?」



 とんでもないことに気がついた。だるまの少女が居たはずの椅子から忽然こつぜんと姿を消していたのだ。


 私は警官が何か話しかけて来るのを無視して、すぐさま交番を飛び出した。



「あ、コラきみ!! 危ないよ走ったら!」



 警官の静止する声を無視して、私は大通りを走り出す。


 すると、すぐに目の前にだるまの少女が……だるまの、少女……?


 そこには、なぜかを着た少女が、母親らしき人物と手を繋いで歩いていた。


 もはや私の頭は混乱しすぎて、ほとんど思考する機能を捨てていた。



「おい、きみ、きみ!」



 そして、私が話しかけようとしたその時、少女が唐突に母親から離れて駆け出した。


 どうやら、抱えていただるまの人形を落としてしまったようだ。


 だるまの人形はなぜかそのまま転がり続けて、そのまま交差点へ。



 ーーそして、少女もそれを追いかけ、赤信号の交差点へとーー。



「きみ、きみっ! 危ないっ!!」



 少女の名前を必死に呼びながら追いかけようとする母親を押し退け、私は少女の元へ駆け出した。


 しかし、既に視界の隅で大型トラックが迫ってきていた。


 このままでは2人ともひかかれてしまうかもしれないが、最早私には考えている余地などありはしなかった。


 少女の背に手を伸ばし、私はドンっと、ありったけの力を込めてその小さな背を押し込む。


 あまりに軽い少女は、そのまま衝撃に押し流されーー。




 一瞬、少女と私の視線が交錯した。




 この瞬間、現実の時間はゆっくりと動いていた。


 

 あの時、コスプレおじさん、いや、あの悪魔が言っていたことはこのことであったか。


 

 あのモノたちにはこうなる未来が見え……いや、あるべき過去が見えていたのか。



 目の前にいる少女と、転がるだるまの影が重なり、一瞬、見たことのある少女の姿が見えた。


 この瞬間、私の脳内にはこの少女と会った時からの出来事が次々と思い出されていた。


 そしてーー。










        「君は、生きろ」










 凄まじい衝撃が身体中を走り、全てがブラックアウトした。




 ーーだいがくせーは、やさしいな




 そんな少女の声が、聞こえた気がした。


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