第二章 ―婚約発表は突然に―

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 それから二週間が経った。


 リディアは自分のせいで多くの人に迷惑をかけたことに気を落とし、殊勝な暮らしぶりを周囲に見せていた。


 逃げたリオネル率いるアリアドネ一味の追跡は、ヴェルリエ警視庁が担当することになり、目下捜索中とのことだ。アリアドネの頭目、リオネルと一番長く接触していたということで、リディアに話を聞きに来たオーレリーが教えてくれた。


 そして、今日はとうとう例の舞踏会の日。

 領地に下がっていたリディアが久々に国王に謁見する日でもある。


 リディアが今、身に纏っている深青色のドレスは、先日の仕立て屋が仮縫いに来た時のものだ。

 本来ならもっと時間がかかるはずが、オルガが今日に間に合うように急がせたらしい。届けに来た仕立て屋の女中も目の下に隈ができていた。


 階下で待つジョエルに向かって、リディアは声をかけた。



「お待たせ」

「……」

「旦那様、何かお嬢様におっしゃることがあるのでは?」

「修道服が修道士を作るわけではない《馬子にも衣装》」

「……うるさいわね」



 お世辞という言葉をこの幼馴染に期待するだけ無駄というものである。


 そんな二人を見て、すわ喧嘩の始まりかと慌てたのは、ジョエルの横に控えていた執事のアルマンだった。



「旦那様っ! リディア様、大変お似合いでございますよ。まるで妖精のような可憐さでございます」

「アルマン、そう必死になって言われるとますます悲しくなるわ」

「も、申し訳ございませんっ。そのようなつもりは」

「大丈夫。それは分かってるわ」



 分かっていても、遠い目になってしまうのは仕方ない。


 すると、ジョエルがリディアに手を差し出してきた。



「そろそろ行こう」

「えぇ。じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃいませ」



 エントランスに横つけてある馬車に乗り込み、二人はクレイヤンクール邸を後にした。






 舞踏会の会場である王宮の広間には、すでに大勢の貴族が集まっていた。


 一番最初に今回の主賓である国王の元へと二人で行き、臣下の礼を取る。



「陛下。このような場へわざわざお招きいただき、ありがとうございます」

「ジョエルっ!」



 頭を下げたまま、リディアは早々に冷や汗を垂らさんばかりの思いをさせられる。


 一方のジョエルはこの後に及んでしれっとしているのだから、まったくいい迷惑だ。


 アルフォンスもジョエルの性格を嫌というほど知っているので、それを表面上の笑みで受け流した。



「リディア嬢、お父上の風邪は大丈夫かな?」

「……はい。本日はこちらへ来られないことを大変残念だと申しておりました」

「そうか。また元気になったら来てもらいたいものだね」

「父にそのように申し伝えておきます」



 実際、そんなことは娘であるリディアでさえ初耳だった。


 今頃領地でぴんぴんしているに違いないが、きっと何かやむにやまれぬ事情でもあるのだろう。


 リディアは深く追求せず、アルフォンスの言葉に沿うように受け答えた。



「で? 君達二人が連れ立ってきたわけだけど」

「どこぞの暇人が一緒に来いと言い出したんだろうが」

「ちょっ! ジョエル!? ……ふふっ。陛下、少々失礼いたします」



 ほんの一瞬、にやりと素を見せたアルフォンスの表情をジョエルは見逃さない。


 周囲に人がいるにも関わらず、相変わらずの口調に、とうとうリディアはアルフォンスに断って広間を後にした。


 引っ張られる形のジョエルは、黙ってリディアの為すがままになっている。


 リディアが向かったのは、休憩場所となっているサロンの一室だった。舞踏会もまだ始まったばかりだから、丁度人もいない。



「まったく! 陛下相手にあんな口の利き方して!」

「でも、事実だ」

「事実だろうとそうじゃなかろうと、言ってもいい相手とそうじゃない相手くらい判別つくでしょ!?」

「まぁね」

「ならどうして!」



 いつものリディアの吠えるといった方が正しい叱責に、ジョエルは無表情ながらも淡々と真面目に答える。


 それがまたリディアの癇に障るのだが、本人は全く気にした様子もない。


 しばらくすると、他に人がやってくる気配にジョエルだけが気づいた。



「……しっ」

「ちょっと!」

「黙って」



 リディアの口元を押さえ、二人でカーテンの裏に隠れた。


 それから間もなく、部屋のドアが開き、誰かが入ってきた。



「リディア嬢が到着したそうね。どこ?」

「母上。本日はお見えにならないはずでは?」

「あら、貴方の妃候補が来ているというのに、出てこないわけがないでしょう」



 声の片方は先程まで挨拶を交わしていたアルフォンスのものである。


 そして、二人共もう一人の声にも聞き覚えがあった。

 アルフォンスが母上と呼ぶ存在、つまり、この国の王太后に他ならない。


 リディアはそっとジョエルの方を見上げた。視線を感じ、ジョエルもリディアの方を見て、ふるふると首を振った。


 出ていくべきか、このまま隠れているべきか。

 その選択は、出ていかずにこのままやり過ごすという方がとられることになった。


 カーテンの裏に隠れているせいで二人の表情は見えないが、どうやらアルフォンスの方は少々苛立っているようだ。声の端々にその気が見て取れる。



「彼女ならば、先程、本日婚約者として発表するクレイヤンクール少佐とどこかへ行きました」

「何ですって!? クレイヤンクール少佐って、あの少佐? なんてこと……皆の前でもう発表はすませたの?」

「え、あ……いえ。それはまだ、ですが」

「ふふっ。ならいいわ。早く言ったもの勝ちですものね」

「母上、どちらに?」

「二人を探させるのよ。邪魔したら承知しませんからね」



 カツカツとヒールを鳴らす音がして、王太后が出ていったのが二人にも分かった。


 残ったアルフォンスはまだ出ていく様子を見せない。


 舌を鳴らすような音が聞こえた気がしたが、リディアはまさかとその音の出所を否定した。



「……あの二人をなんとしても母上よりも先に探し出せ」

「はっ」



 部屋には他にもアルフォンスの秘書官であるマクシムもいたようだ。


 短く返事をした彼に任された仕事の内容に、リディアもさすがに出ていかざるを得ないだろうとジョエルの手を退かし、カーテンから顔を出した。



「あ、あのぉ。私達ならここに」

「……あぁ、良かった。貴女達二人にはとても申し訳ないが、あの様子なので、広間に戻ったらすぐに婚約発表をさせてもらいたい。いいね?」

「え? でも、今日はそのつもりでは」

「ん?」

「い、いえ」



 にこりと微笑むアルフォンスは、そのまま二人がいる方へ近寄ってくる。


 婚約発表だなんて、王室主催の王宮の舞踏会でできるはずがないというのに。


 もし、アルフォンスの言うようにこの場でやろうものなら、王室から貴族達への日頃の労いの場から二人の婚約発表の場へと、趣旨というか、そちらへ目的が移ってしまう。そんな王室に対して無礼とも取られかねないこと、貴族の中でも高位のクレイヤンクール家とて周囲から反感を買うだろう。


 しかし、アルフォンスは否やを聞くつもりはない。


 リディアに満面の笑みという圧力をかけ、後ろで傍観しているジョエルには声に出さず口で何事かを伝える始末。



「……はぁっ」

「ちょっと! ジョエル!」

「……国王陛下の我が儘だ。叶えるのが貴族の務めなんだろう」



 ジョエルの言い方に多少の問題はあれど、アルフォンスは今回ばかりは目を瞑ることにした。


 ここでごねられて母親に先を越されてしまえば、火の粉は自分にも降りかかってくる。そんなのは何が起ころうと、あるいは犠牲になろうと、絶対に避けなければいけない。


 どこまで行っても自分本位なアルフォンスの考えだが、それをリディアが知ることはない。まだ。



「うんうん。仲が良さそうで何よりだよ」



 来た時とは逆の立ち位置で広間に戻っていく彼らに、アルフォンスは心の底から満足そうに笑った。


 そして、二人の婚約を発表してあげる・・・という自分の役割を果たすべく、二人の後を追いかけるのだった。



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伯爵令嬢が幼馴染と結婚させられるまで~フロランス王国秘書官物語~ 綾織 茅 @cerisier

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