2



 紅氣宮の主人は、平民である料理人の娘。

 その情報が王宮内に広まった時、皆が受けた印象は様々であった。


 皇太子である皓月に懇願され、皇帝も皇后もお許しになられたこの婚姻。

 “皓月の偏食癖がなりを潜め、しっかりと食事をとってくれている”と、この国の主としてよりも、単純に彼の父母として喜んでいる。もちろん、皇太子の周囲で仕える者達も同様に。


 心配された礼儀作法の講義も、講師役を務めた者が“これ以上は不要”の太鼓判をすぐに押したものだから、凛莉の価値は今や彼女自身が考えている以上に高められていた。


 だが、喜んでいる者ばかりでないのもまた事実。

 その筆頭に、第二皇子の婚約者候補と目されていた娘をようする、とある高官の一族がいた。当主の男は酷く老獪ろうかいで、なかなかに黒い噂もあると聞く。

 

 そんな人物の息子である青年が、凛莉自身に面会を申し込んできた。

 食事中の皓月の元に浩然が内密の報告をしに来てから、かれこれ三日が過ぎた日のことだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「先日は急な面会の申し出になってしまい、申し訳ございませんでした」

「……いえ、とんでもありません。あの日は他に別の用事があって」

「いえいえ、私の方こそ。……これでは堂々巡りになってしまいますね」

「では、ここら辺で」



 くすくすと笑い合いながら、凛莉は紅氣宮を訪れた青年を卓へ案内した。

 向かい合う形で椅子に座ると、見計らったかのように侍女達によって花茶と干菓子が運ばれてくる。


 ただ、ここで問題が一つ。

 残念ながら、相手が目の前の青年である、という単純なことではない。


 問題。それは、面会の申し出をしていたという青年の話で、凛莉はそんな話、一切聞かされていなかった点にある。おかげで話を合わせ、返事をするにも間があいてしまった。



(あの人、自分のところで握りつぶしたわね)



 別に、それ自体は悪いことではない。妻である妃嬪が付き合う相手を見定め選ぶのも夫である皇子の役目だ。


 でも、こういうこと・・・・・・は前もって言っておいて欲しかった。そうした経緯を聞いておけば、凛莉とて、上手いこと言い繕って断ったのだから。

 

 “他ならぬ皇子自身によって、面会を許されなかった”

 それは、字面よりも大層重要な意味を持つ。


 もし、目の前の人物が、いわゆる小物であったなら。または、お互いの害にならない範疇はんちゅうに収まっているのであれば。皓月も面会を許さないなんてことはなかっただろう。


 しかし、もうすでに面会は受理され、こうして対面が叶っている。侍女達には言っておいたのかもしれないが、何かの手違いでこうなってしまったのだろう。そうなると、凛莉に残された道は、この面会を無難に終わらせることのみに限られてしまう。


 凛莉は微笑みを浮かべ、望まぬ訪問者への警戒を丁寧に包み隠した。



「最近、殿下がお食事をとられているとお聞きしまして。家内一同、心底安堵しておりました」

「そうだったのですね。皆さんに、これまで心配をおかけしましたと。そうお伝えください」

「承知しました。いやはや、皇子殿下も心優しく気配りがおできになる女性を妃にめとられて、実にうらやましいことです」



 談笑する合間にも、さりげなく値踏みされているような視線が時折感じられた。やはり、今日の目的は和やかなお茶会というわけではなさそうだ。


 二つの前世でつちかったスキルを総動員し、凛莉も青年との会話を進めていく。



「――そうそう。花妃様はこんなお話をご存知ですか?」 



 もう四半刻三十分ほど話していただろうか。唐突に青年が話題を切り変えた。



「最近、都の南東にある農村地帯で、“天女様”と呼ばれる娘が、民草に持てはやされているとか」

「いえ、初めて聞きました。その“天女様”とは、どのような方なのですか?」

「なんでも、その“天女様”は、病に伏した者をたちどころに治してしまうらしいのです。実に素晴らしい力だとは思いませんか?」

「えぇ。おっしゃる通り、困った方を救えるなんて、とても素晴らしいですわね」


 

 もし、本当にそんな力が存在するのなら。


 そう付け加えたかったのを、なんとか喉奥に流し込み、にこりと微笑む。


 凛莉は知っている・・・・・。この世界に魔法といった類は存在しない。ならば、そんな誰かにとって都合がいい話、もとい力が存在するわけがないのだ。



(病にかかった人達には可哀想な話だけど、人の病ってそう単純なものではないし。きっと、タネも仕掛けもある……)



 そこまで考えて、ふと、とある考えが浮かんだ。



 ――小説の中が舞台なら、いわゆるご都合主義というものがあるのでは?

 登場人物の主張や信条が場面ごとで変わったり、今までなかった設定が突然降っていたりする。そんなことが。


 そもそもが、小説の中の一登場人物に転生したなんてありえないことが起きているのだから、そんなご都合主義的な展開が発生していても、まったく不思議ではない。


 もし、そう・・なら、青年の言う通り、本当に素晴らしい力だ。



「実は、私の知り合いが、その“天女様”と知り合いでございまして」

「……まぁ、そうでしたの」

「やはり、そういった慈善活動をするには、国の後ろ盾というものがあった方が何かと便利でしょう? それで、その後ろ盾を花妃様にお願いできないかと頼まれてしまったのです」

「そう、ですか」

「このお話、お引き受けいただけないでしょうか?」



 確かに、慈善事業というものはそれを利用して詐欺を働こうとする者がいないとも限らない。そういう時、王宮の人間や有力貴族といった者が後ろ盾になっていれば、少なくとも怪しい者ではないという証明にはなる。


 都の南東で活躍しているというから、まだ都には基盤がないのだろう。

 平民上がりの凛莉だからこそ、身分に関係なく後ろ盾が得られやすいだろうと思ってのことかもしれない。


 ――けれど。 



「ごめんなさい。私の一存では決められないのです。皇子殿下にお伺いを立てなければ」

「それはもちろん、その通りだと思っております。何も急ぎの話ではございませんので。……あぁそういえば、今度、とある商家に招かれて彼女が都に出てくるとか。その際にでも、本人にお会いになってみては?」

「そうですね。もし、都合があえば」



 会わない可能性もある。

 遠回しに言ったが、どうやら伝わったらしい。青年の瞳の鋭さが僅かに増した。


 腹の探り合いで、両者ともに口をつぐみ、一瞬無言になる。


 すると、その時折よく時刻を告げる鐘が鳴った。



「あぁ、長居をしてしまったようですね。私も、もう戻らねば」



 老獪な父と同様、青年もまた頭の切れる男である。己の引き際は誤らない。代々受け継いだ勘の良さが、彼らを今の地位にとどめているのだろう。


 紅氣宮の入り口まで見送りがてら、凛莉も部屋を出る青年の後をついていく。



「次は皇子殿下がいらっしゃる時に」

「えぇ、ぜひ。それでは、失礼いたします」



 入り口で向かい合うと、青年は辞去の挨拶のために深々と頭を垂れる。そして、自分の仕事場の方へと立ち去っていった。



「……さて。誰か、浩然様を呼んできてくれますか?」



 まずは、お互い持っている情報のすり合わせをしなければならない。それにはいきなり親玉に行くよりも、より事情を知っていそうな子分からに限る。


 朝見た時は雲一つなく晴れていたというのに、いつのまにか雲が出てきて空の青さにかげりを見せ始めた。それがこれからを暗示しているようで、凛莉の表情も空模様と同様に曇っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰が悪役転生が一度だと言ったのか 綾織 茅 @cerisier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ