不穏な嵐の影迫る

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◆ ◇ ◆ ◇



 結果から言ってしまえば、皇宮への輿こし入れは万事つつがなく行われた。同時に、凛莉は皇帝から、皇太子の正妻である花妃の称号が与えられた。


 そして、凛莉が輿入れしてから一週間。


 あの手この手で食事をとらせてきたが、本当になかなか手強い。



「だーかーらー、栄養を取るためには必要なんですって」

「えー。……君が食べさせてくれるならいいよ」

「あ、じゃあ、いいです。私が食べます」



 ここまで来ると偏食を通りこして、餓死願望でもあるのではないかと疑いたくなる。が、それでも凛莉が不可抗力もあって手ずから食べさせると、それなりに飲み込む。

 それを初めて間近で見た時、浩然は滂沱ぼうだの涙を流していた。皓月が食事をとったことが嬉しくて仕方ないらしい。


 そんな日が続けば、凛莉もさすがに分かってくる。



「……貴方、確かに偏食ですけど、全く食べ物を受け付けないわけじゃないですよね? なぜこんなに餓死寸前になるところまで皆を追い詰めてたんですか?」

「んー。……知りたい?」

「いえ、ふと思っただけなので」



 ここで知りたいと言えば、代わりに何を要求されるか分かったものではない。


 凛莉はするりと腰に回ってくる手をどかし、自分で用意した朝食に手をつける。


 紅華だった頃を挟むとはいえ、やはり美琴だった記憶もある。自然と作る料理は和食に偏っていた。それに、晧月も言っていた通り、ここだと多少高価な材料であったとしても、少量ならば手に入る。

 その特権ともいうべきものをフル活用して、凛莉は料理の創作活動に勤しんでいた。


 今日の朝食はそんな創作活動から離れ、基本に戻った典型料理。



「……はぁー」


(お味噌汁って、やっぱりなんだかほっとするのよねぇ)



 体の芯からじんわりと温かくなる豆腐とわかめの味噌汁みそしる。味噌汁にあう具材は古今東西数あれど、凛莉が選んだのは自分が慣れ親しんだものだった。

 同じ膳には他にも、きんぴらごぼう、卵焼き、焼き魚、冷奴、等々。それと白いご飯が並ぶ。


 毎食の料理だが、宣言通り凛莉が自ら作り、余った分は宮で働いてくれている下女達にも下げ渡している。

 最初はおっかなびっくりだった下女達も、物珍しさと味の良さから今ではお下がりが来るのを楽しみにしていた。今日も交代後休憩に入った下女達が、我先にと食事をとってくれていることだろう。



(それは嬉しいんだけど……)


「……」



 こちらは駄目だ。

 隣からじぃっと覗き込んでくる視線が痛い。


 凛莉は最初無視を貫こうとしていたが、あまりの凝視具合に長くは続かなかった。



「……なんですか?」

「美味しい?」

「えぇー。自分が作ったものに美味しいかって聞かれるとなんとも……まぁ、貴方にも食べていただく分ですから、それなりに頑張ってはいますけど」

「……そう」



 望んでいた答えと違ったのか、真意が分からない曖昧あいまいな笑みを浮かべる皓月に、凛莉は僅かに首を傾げた。


 時々するこの笑みは彼の前世からあまり変わっていない。顔だけすげ替えたと言ってもいいだろう。


 少し気にかからないでもなかったが、今は食事中。一旦意識の外におくことにした。


 凛莉は卵焼きへと箸を伸ばし、口へと運んでいく。否、正確には運ぼうとした。凛莉が箸を持つ手に横から手が伸びてきて、くるりとひねられ、あっという間に卵焼きは皓月の口の中に収まった。



「あっぶ……なっ! なにしてるんですか! 刃物じゃないとはいえ、目とかに入ったら危ないでしょう!?」

「……うん、美味しい。そんなヘマしないから、大丈夫だよ」



 さらに「もっと欲しい」なんて言い出す始末。

 頭を抱えたくなるようなことを平然と言う皓月をよそに、凛莉はそっと壁際の方を見た。


 壁際には給仕係の侍女が数人並んでいる。その誰もが見てはならない物を見てしまったかのように、一斉に顔を伏せてしまっている。



(ち、違うの! これは不可抗力で……っ)



 声にならない内心の弁明は、もちろん彼女達には届かない。


 こうして紅氣宮での仕事は目に毒だという、凛莉からしてみれば不名誉極まりない噂が下女達経由で広まることになるのである。


 羞恥しゅうちに顔を赤らめた凛莉は、皓月に無理矢理箸を持たせ、食べ終わるまで今後一切口をきかぬと言ってのけた。下女達に言わせれば、皇太子殿下限定での伝家の宝刀であるらしい。



「そんな難しいことでもあるまいに」

「む、難しい難しくない以前に、私の中の羞恥心がすり減るんですっ」

「羞恥心? そんなの持つほどのこと、ここではまだ・・やってないじゃない」

「んなっ!」



 凛莉は言葉通り、それからは箸を進めるだけで、うんともすんとも言わなくなった。時々皓月がおいたをしようとすると、凛莉はその都度邪魔だとばかりに払い除ける。


 先に音を上げたのは皓月の方だった。仕方なしとばかりに箸を料理へと伸ばしていく。


 すると、バタバタと足音を立て、一人の宦官かんがんが部屋へと入ってきて頭を下げた。



「殿下。お食事中に申し訳ございません。至急お耳に入れたいことが……ひっ」

「……手短に」

「は、はいっ」



 楽しい食事の時間を邪魔された皓月の機嫌は、見るからに底辺近くまで落ち込んだ。それでも底辺までいかないのは、隣に凛莉が座っているからだろう。


 皓月はある意味凛莉に対しても未だ巨大な猫を被っている。それが知られることのないよう、最大限注意しつつ底冷えのする瞳で笑みを深め、相手を見やる。


 顔を伏せたままの下女達も空気が読めぬわけではない。むしろ読めすぎるほど読めるので、この最中に飛び込んできた宦官――浩然を内心で罵倒ばとうし倒した。



「実は……」

「……そう」



 耳打ちされた内容が凛莉に聞こえることはなかったが、二人の様子からしてあまり良いことではないらしい。


 凛莉は箸を置き、もっと二人が話がしやすいよう一旦退出しようとした。すると、浮いた腰に皓月が腕を回し、再び席に着かせた。



「どこに行こうって?」

「お邪魔したら悪いので」

「邪魔? 邪魔なものか。それに、君が横にいないと、僕はもう食べないからね」

「ええっ!? 花妃様っ、それは困りますっ! どうか、どうかっ!」

「……分かりました」



 浩然が必死になって懇願してくるので、凛莉もそれ以上この場を立ち去ることができない。


 飼い始めたばかりでまだ懐いているとはいえない猫の頭を撫でるように、皓月は凛莉の頭を撫でる。


 擦り寄るように凛莉の髪に頰を当てる皓月の瞳は、彼女の方を見ていない。それは普段、彼女に向けられることのない冷淡な輝きを帯びていた。



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