最終話 ベニバナと船出づる星に咲く花

 どこまでも突き抜けるが如き晴天の下。

 全身を覆うよろいのような防護服を装備した人間たちが、ゆっくりと土に足を付けた。岸にゴムボートを残し、胸の前には小銃を吊るして慎重に一歩を踏み出す。

 彼らの背後には、海を挟んで白い大陸の影。そして、その上にそびえるのはおよそ天然物とは思えない直線的な構造体。大陸を覆い尽くすほどの巨大さだ。

「こちらDS-4小隊、南アメリカ大陸南端へ上陸。これより『DS-SF作戦』を開始する」

 一人が腕の無線機に報告する。少し間があって、潰れかけた女性の声がした。

「ええ。お願いします」

 小隊は薄く積もった灰を巻き上げ、足場の悪い荒れ地を進んだ。

「酷いな……」誰かが小さく口にする。

 元は港町だったであろうこの地域は、今や存在していた名残すら感じないほどに破壊され尽くされている。

 自動報復装置A  R  Sが誤作動を起こし、核弾頭が地球上を飛び交ったという話は全員が聞かされていた。この地も被害を受けた場所なのだろうか。隊員は線量測定器カウンターの数値にしばしば気を配っていた。

 雲一つない快晴と草木の生えない大地が、気味の悪いコントラストを産み出している。途中までしか色を塗っていない絵画を見ているような、不思議な気分だった。

「まぁ、仕方ねぇよな」

 先頭を歩く隊長格の大柄な男は歩を早めた。フォーチュンやその遺物どころか、まともな形をした有機物は見渡す限りどこにもなかった。

 一行は何も得るものが無いまま進行を続けるが、やがて山のように積まれた瓦礫に突き当たった。

 石や木片で出来た山は、手を掛けただけでボロボロと崩れる。隊員の若い男たちはお互い顔を見合わせ、お手上げと言うように肩をすくめた。ただ一人、隊長格の男だけが行き止まりの先を見つめたまま動こうとしない。

「この先に、行ってみよう」

 その言葉に賛同する者は誰一人いなかったが、異を唱えることもせず目を逸らす。

「それより、別のルートを行ってみた方が良いんじゃないすか?」

 浮わついた口調で言う者が一人、いた。

 男は少し考えた後、肩に装着した無線機に手を伸ばした。

「DS-4小隊から本部へ、無人偵察機ドローンの派遣を要請します」

 やがて背後から風切り音と共に六翼の無人偵察機が現れた。瓦礫の山を飛び越え、その先の場所でしばらく滞空してから、こちらへ戻って来る。

 彼らの目の前で着陸し、一通り撮影した映像を搭載されている画面に写し出した。

 映像は彼らの背後から上を飛び去る場面から始まっていた。山を越え、その先に広がる景色を画角に収める……。

 映像を目にした次の瞬間、男たちは飛び出していた。無人偵察機を置き去りにし、示し合わせたように瓦礫に飛び付く。あるものは小銃を投げ捨て登ることを試み、あるものは防護服が傷つくことも恐れずに破片を崩しにかかる。


 彼らの目的は一つだった。『この先の景色を見たい』。

 山の一角が大きく崩壊し、めいめい重なりあうようにその隙間へ乗り込む。そして、彼らは目にした。


 一面に広がる緑の大地。枯れてひび割れた地面から、多数の草花が顔を覗かせていた。

「何だ……これは」

 一人ずつ、隊員が足を踏み入れる。その足は植物の柔らかな感触をとらえた。

 芽吹き始めた広大な草原はすり鉢状の形をしている。一行はなだらかな坂を下るように、中心に向かって進んだ。

 彼らの心の内にあったのは好奇の思いよりも、違和感。情報とは違う事実に、全員が驚きを隠せないでいた。

「なんで……死んだ大地のはずなのに……」

 誰かが言った。そうだ、この地球は一度『死んだ』はずだ。それなのになぜ……。

 中心に行くほど、生い茂る草木は濃さを増す。彼らはその先を確かめようと、腰ほどの高さになった雑草を掻き分け歩き続ける。

抱いていた違和感は消え去り、代わりに好奇心がにわかに沸いてきた。

 草木の中は湿度が高い。防護服の中が汗ばむのを感じた。それに、生野菜を磨り潰したような変な臭いもする。

 やがて、先に『中心』に到達したと思われる男が何かを叫んだ。その方向に全員が走り出す。

 背の高さよりも伸びる雑草を切り開いた先には、複数の隊員に囲まれて黒ずんだ物体が置かれていた。

「それ……もしかしてフォーチュンでは?」

 遠巻きに見ていた一人が言った。

「もう絶命しているか……? よし……担架持ってこい! それと念のため、電波共振銃フォーチュン・テイザーも用意しろ」


「待ってください」

 鋭い声で全員が振り返った。

 そこには、白い防護服に身を包んだ小柄な人間が立っていた。

 その人物は何でもないかのように頭に手を掛け、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

「ちょ……、ここで何を!」

 首から上を外気にさらしたその女性は、白髪を解くように首を振った。数多の皺を深く刻むその顔は、周りの者を黙らせる威厳を放っていた。

「危険です! まだ残留放射物の影響が……」

「草花でさえ青々と咲き誇るこの場で、どうして人間が危険でありましょうか」

 丁寧な物言いだが、物腰柔らかさは微塵も感じられない。彼女は中央の物体に近づくと、躊躇うことなくその隙間の空間に手を突っ込んだ。

 ゆっくりと引き抜かれた手には、何かが握られていた。それはてのひらより大きいほどの黒い箱。汚れとこけに覆われたフォーチュン本体とは違い、金属の光沢が保たれているほどには保存状態は良い。

「あの……まだ詳しい調査も終わっていないので、むやみに……」

「近づかないで!」

 彼女が叱責する。思わず誰もが動きを止めた。

「あなたたちは若いから知らないでしょうけど、を無遠慮に踏み潰す行為は非常識だと覚えておきなさい」

 フォーチュンの亡骸の周囲に多数生えている花に、彼女はそっと手を伸ばした。

星の花Aster Tataricus……これほどまでに綺麗だったなんて」

 亡骸を取り囲むように、淡い紫色の紫苑Aster Tataricusが咲き乱れている。まるで、その者の死を祝福するかのように。

「……と言うよりも、彼自身が……ですかね」

「……副艦長?」

「いいえ、何でもありません」

 白髪の女性は首を振った。

「あなたたちはこれを持って本部アマノトリに帰投しなさい。ここは私が引き継ぎます」

 彼女は近くにいた男に黒い箱を手渡した。

「しかし……これは我々の任務で」

「私が引き継ぐ、と言っているのです。それに、この鉄屑同然の死骸よりも、その箱の方が遥かに報告する意義は大きいと思いますよ?」

 彼女の眼力に気圧され、男たちは順番に来た道を引き返し始めた。「せっかく一番乗りに上陸出来たのに、蜻蛉トンボ返りかよ……」去り際にこんな愚痴も聞こえた。



 せ返るような青臭さの中に、は一人残された。原形を辛うじて留める人形ヒトガタの物体の向かいに腰を下ろす。


「本当に、最後まで戦ってくれたのですね」

 そう、語り掛ける。

「あなたと出会うことができて、私は確かに幸せでした。そして、全人類もまた同じ」


 当然、何の返事もない。

 太陽は頭上から痛いぐらいの光を投げかけ、呼応するように草木が揺れた。


「ありがとう、世界系に資した者フォーチュン。あなた方のお陰で、我々は再び光の下で生きられる」


 薫風が渦を巻いて辺りを吹き抜けた。花の香りは風に乗って世界中を埋め尽くすだろう。


「ありがとう、最初で最後の希望フォーチュン・オブ・フォーチュン。あなたが示した光は、全ての人類の生きる理由になる」

  


 泥にまみれた奥で、『彼』の右腕が仄かに赤く発光している。


 

人類の、そして地球の歴史は、たった今、細い一本の糸で繋がった。





「ありがとう、船出づる星に咲く花シオン




 世界系が、再び始まる。









────『船出づる星に咲く花』 完

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船出づる星に咲く花 千歳 一 @Chitose_Hajime

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