第34話 でも「グルメライターほど素敵な仕事はない」!?思わぬ助け舟&陳さんの思い出【冷たい東坡肉】
※4月27日に【冷たい東坡肉】のエピソードを、中ほどに追加しました
今までのあらすじ
※23歳のグルメライターの沙奈は、楽しいこともある反面、この仕事を続けるべきか迷っていた。
そんなある日、日英ハーフの紅茶の先生だという「月代先生」に会う。親切なのになぜか周囲から孤立している月代の、自宅兼ティールームの奥のドアには、ナイフで切りつけたような不可解な傷があった。
説明のつかないとまどいを覚えていると、彼女から「李先生」の中国茶の試験を受けるようにすすめられる。
「数時間、うちで簡単な試験を受けていただくだけだから、大丈夫よ」と、あとになって月代は言う。
沙奈は日中ハーフの「りんちゃん」達と三人で、横浜の月代の自宅兼ティールームで、李先生の中国茶の試験を受けることになる。
日中ハーフの「りんちゃん」の母親は「劉さん」といい、日本人男性と離婚したあとも、年上の日本人男性と見合い結婚をし、日本に戻ってきた女性だった。
「りんちゃん」は来日後、日本人の「仲間意識」が気に入り、幸せな日々を送っていた。
第29話 景徳鎮の茶碗(上)【人が一線を越える時】試験の日
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その後、月代は最初に約束した料金の約5倍の金額を、特別レッスン代として払え、と言い、断ると
―――――――――――――――――――――――――
それで私はどうしたかというと、大分悩み、苦しんだあと、月代先生が言ったままのお金を、振込で払ってしまったのである。
変な、愚かな話だと思うだろうが、こういう件に関わらず、被害を与えられる側の人間、そして、被害を与える側の人間の心状というのは、どちらも正常な状態ではないのだ。だから被害、そして事件、犯罪というものが成立するのである。
事件、犯罪の多くの加害者が、
「自分は悪いことなんかしていない。ましてや、犯罪なんかしていない」
と言う。
そして周辺の人間と、被害者までもが、
「あの人は――私は、不当に悪いことなんかされていない。犯罪なんかされていない」
と言うことがある。
だがそういう時、よく見ると、加害者は、
「私は正しいことをしているんだ」
と言いつつも、なぜか、自分のしたこと、していることを隠したがる。
また事前に、この人は
彼らが狙うのは、弱い人だけではない。本当はその人より強いかもしれないけれど、少なくとも今は逆らいにくい立場にある人、そして、無垢で優しい人である。
被害、事件、犯罪が起こった時、周辺の人間は、突然に、特に被害者に対して無関心、もしくは見下す心理になりやすい。「これは悪いことでもないし、犯罪でもない」と。それでいて、加害者に気を許したり、本当に親しくなるのは避けようとする。自分が同じ目に遭いたくはないから、というのもあるだろう。
被害者は、そう思いこまされる状況にたたされた時――つまり、事件と被害の
ことが理不尽であればあるほど、自分が裏切られたり、利用されたり、それでいて悪者にされたり、そんな、踏みにじられた苦しみを簡単に忘れられる人間などいない。
来年からは、『日本人が合格するのはまず無理になる』といわれた、中国茶の免許が、手の届くところにあって、あと少しで手に入る、というのは正直いって魅力的だったし、月代先生が本当に悪い人だとは、どうしても思いきれなかったからである。私は、月代先生のことを信じていたから、不審だ、嫌だ、と本気で思い始めていたけれど、お金を払ったのだ。
もう記憶にないこともあるのだけれど、お金を払った時のことは、今でもはっきり憶えている。そして、一時は、ほぼ忘れられていられるような時期もあったのに、今、こうして思い出すと、理屈抜きで、どうしても苦しくて仕方がない。
一体どうすればよかったのだろうか、だとか、心配してくれた人もいたけれど、こんなに長い間苦しんできたのに、いろいろな人になじられたことだとか。――ぎょっとされるから、うかつに人に相談もできない。
そのお金も払います、と言ったら、払い込みを指定された口座の銀行は、支店も、私の地元にはなかった。たまっていた用事もあるし、最近、忙しいのと体調が悪いからろくに外出もしていない。これだけの金額だと、振込の手数料も馬鹿にならない。
そうだ、久しぶりに横浜まで行って、お金を振り込んだら、気持ちを切りかえて、おいしいものでも食べてぶらぶらしよう。気が晴れるかもしれない。
それこそ、中華街に行こうか。行こう。
横浜市のある銀行に、あとから言われたお金を振り込み、月代先生にラインのメッセージでそれを伝えると、すぐに、短い返信が来た。
『いつもありがとう。感謝します』
それを見ると、またなんともいえない、重苦しい気分になった。
横浜港に行って海を見たりもしたが、月代先生達と、李先生を迎えた場所ではないか。
それでもお腹はすくので、中華街に行った。
月代先生や、李先生がどういう人なのか分からなくなってきたけれど、それはまた別のことで、私は、いつだったかもう分からない頃から、中華街がとても好きだった。横浜中華街は広さの点でも日本最大級の規模であるし、横浜は隣の市で一番近いから、比較的なじみも深かった。
前にもいったけれど、私の伯父はフランス料理店のシェフだ。伯父は、私が小さい頃から、よく私や家族を食事に誘ったり、時には、ごちそうしてくれた。
最初は寿司屋が多かったのだが、伯父が知っている寿司屋では、子供は歓迎されなかったし、フランス料理店に行くと、食べ方などで同業者だとばれてしまう。そのせいもあり、私達と一緒に食事に行く時は、いつも横浜中華街の、とある個室のある中国料理店だったのだ。
私はその店が本当に好きだった。なかなか広い立派なお店で、まず建物が、外観からして、本当に美しかった。
……それは単に異国的、というのではなかった。そのような、便利で、ある面では大雑把な一言で片づけられるものではなかった。少なくとも、私にとってはそうだった。今となってはさらに、もっと複雑で、それでも特別で、蠱惑的《こわくてき》なものだった。
その建物は、割と歴史があるものらしい。外国に行ったことがなかった幼い私は、その店の中のドアは、外国につながっているのだと信じていた。また、
「凄いね!このお店の中、外国?」
と伯父に訊いて、「そうだよ」と言われたのを、けっこうな年になるまで信じていた。
その中国料理店の建物は、たとえ同じくらいの歴史があっても、和風建築物とはまったく違った、また、象徴的な魅力があった。
和風建築物は、価値のあるものならなおさら、床、畳のすみずみまで、定期的に、きれいさっぱりと清められていることが多いものだ。外光が広く射して、明るい。
私はそういう和風の建物が好きで、結局は、一番おちつく。畳の上で素足でいるのは本来はマナーに反するそうだが、自宅の和室では、お風呂上りなど特に、素足でいたり、清潔な畳の上にごろっと寝転んだりするのは至福の時である。
だが、その建物は豪華で、同時に、私の感覚からいうと、ほんのりと薄暗くて、丁寧に掃除されていながらも、そこかしこに
それらは、どこか少し怖いのと同時に、本当は善ばかりであるはずがない、人間の心の暗部を、なかったものにするのではなく、ある程度は許容してくれる、許してくれるものではないかと、成長してから私は思った。もし誤解であっても、他の異文化に、こう思いはしなかった。
その中に浮かび上がる、うっとりするような美しい異国の絵、調度品。その隣に、お酒につけた、爬虫類の瓶が飾ってある。あれはおそらくヘビで、薬酒だったのだろう。でもそれが珍しくて、わくわくして、行くたびに、伯父や家族に、
「見て!あのきれいな絵とヘビ、またあるよ!またあるよ!」
とはしゃいだ。皆、本当だね、と、毎回、根気よく私の相手をしてくれた。陳さんもだ。
陳さんというのはその店のオーナーで、料理人でもあった。顔の色つやのいい、丸顔のちょっと太った中年の中国人男性で、伯父とは友達だった。
私は陳さんのカラッとした、不思議な明るさや、不快な客が来ると時折見せる、正直で、豊かな、不愉快な表情や、そんな客に巧みに応対する、陳さんの知恵を見るのが好きだった。
一度、なんだったか、伯父と一緒に店に行くと、陳さんは伯父の顔を見るなり、
「アーッ!
と、やはり、カラッとした笑顔で言った。
それが具体的になんの話だったか、残念ながら憶えていない。だが、とにかく、私の感覚では、説得というのは、そんなによくあることではないし、どちらかの人が高圧的であるか、もしくは恐縮しながら、仕方なくするものだったのだ。
けれどその時の陳さんの表情は、あくまで明るく、悪びれなかったので、私はとても驚いた。伯父はつられて破顔した。二人はニコニコしながら話をし、最後に伯父は納得したようだった。陳さんの説得は、成功したわけだ。
そうだ、私がほんの少し話せる、挨拶程度の中国語は、陳さんから習ったものだ。私が子供で、人見知りだったのと、彼は毎回、伯父とたくさん話をするので、私は会話はそんなにしたわけではないのだけれど、「とっても上手だねエ。特に発音がいい」と言われた。
そして陳さんの作る料理は、本当においしかった!……贅沢な一品はもちろん、シンプルでごまかしの効かない料理も、もの凄く上手だった。
塩味の青菜炒めが、どうしてこんなにおいしくなるのか、最初は特に、驚愕だった。私がいつも、
「おいしいっ、信じらんないっ!」
と、目をむいて料理を食べると、陳さんはとても喜んでくれた。その、喜びの感情表現や、表情はとても豊かで、美しかった。
「沙奈ちゃんは、とってもおいしそうに食べる子だネ」
と陳さんが言う。すると伯父は、
「そりゃあ、陳さんの料理は絶品だもの……。でも、この子は、味の分かる子みたい。俺は新しい料理は、だいたい、まず、沙奈に食べてもらうの。嫁はいつも褒めてくれるし、店だと、遠慮された感想しか聞けなかったりでさ。上の人にいきなり訊くのも怖えし」
「ハハ、そりゃあ助かる」
私が大好きだった料理の1つは、トンポーロー(東坡肉)といって、皮つきの豚のバラ肉の料理である。
うちで、鍋で煮込んでつくる豚の角煮もおいしかったが、陳さんはたれをつけた皮つきのバラ肉を、長時間蒸した。
皮がついたままの肉を使うと、ゼラチン質、コラーゲンを含む豚の皮がトローリ、トロリとしていながら、あえてとろけず、同時にどこかねっとりともして、うまみを吸った絶妙の美味と同時に、絶妙の食感が楽しめる。
その下の肉はほろっとほぐれて、この奥行きのある料理は、何度食べても素晴らしく、魔法のようだった。
皮つきの豚肉は、豚の毛が残っていたら、刃物でそったり、焼いて処理が必要なこともある。それが大変なせいもあり、日本ではあまりメジャーでない食材だ。しかし、食に貪欲な中国人がうみだした料理の1つといえよう。
そして、伯父は、この極上のトンポーローを、一部は店で食べたあと、一部を
いつも自宅に持って帰った。
「このままもおいしいけれど、冷やして食べると、絶品の前菜や、酒のつまみになるから」
と言っていた。
そう聞くと陳さんは怪訝な顔で、
「そんなことをしてたのかい。せっかくあったかいのを出してあげてたのに。だいたい、日本人は、どうしてあんなに冷たい料理を食べるんだ?うちに来る中国人も、
料理は熱々じゃなきゃ、って言ってるぞ」
「そりゃやっぱり、味覚の違いだよ。俺は日本人だもの。……俺はフランス料理の料理人だけど、本場の人が大喜びする料理でも、日本人にそのまま出したら、全然うけない、ついていけないことは少なくないし、でも、あんまり日本風になるのもよくはないだろうし。……ただ、俺は、料理は、お客様を喜ばせることが、最優先の目的だと思っている。だから、そのへんは、ひとの意見も聞いて、いつも試行錯誤してるね」
「はーあ」
「……陳さんはすげえ料理人だ。でも、それは日本の中国料理店にもいえることで、配慮をするのは、必ずしも妥協じゃないと思うよ。お客様への『もてなしの心』だよ」
「……なるほど、じゃあ、これからはあんたの意見や、それこそ、沙奈ちゃん
の、そういう意見も聞いてみたいもんだな」
そのうちに、陳さんは、私に、「今日の料理はどれが一番おいしかった?」だとか、「沙奈チャン、今度は何が食べたい?」と訊くようになった。
伯父に連絡して、私が次に行ける日を訊き、本当に、私が食べてみたいと言った、特別な料理をごちそうしてくれたり、珍しい食材をお土産にもたせてくれたりした。「とってもおいしい」「うれしい」と言うと、
「アー、そう言ってくれると思った!」
と、笑った。
その笑顔は嬉しいというだけでなく、幸せそうでもあって、異国的で美しいのと同時に、時折、なんというか、私には謎めいて見えた陳さんの表情に、親しみを感じるひと時でもあった気がする。
陳さんは、他の仕事もしていて、けっこうなお金をもうけた後、帰国したので、そのお店はもうない。でも私は横浜中華街に来るたび、今、陳さんがここにいたら、どんな料理を食べさせてもらえただろう、どんな会話ができただろう、と思う。
そういえば、中華街の最近のおいしいお店ってどこなんだろう。
ラインなどでのメッセージのやりとりは、他の友達や、グルメライター仲間とも続いていたから、中華街で最近おいしい、もしくはおもしろいといわれている店の情報は、すぐに伝わってきた。
グルメライター同士の、信頼できる仲間、友達のネットワーク。こんなに心強くて、ありがたいものもなかなかない。
それに、楽しい。けっこう久しぶりに連絡したのに、凄く喜んでくれた人もいて、食が好きだという共通項もあるし、ちょっと時間があいても、またすぐ話がはずむ。ある人にメッセージを送ったら、すぐ、通話して話そうということになった。同性の先輩だ。
「沙・奈・ちゃーん。どうしてるかと思ったんだよォ。また一緒にどっか行かない?」
先輩は、どこどこの店の料理長とは知りあいで、一緒に行けば裏メニューもきっと出してくれるだろうけれど、そこは今度、皆で行く予定だから来ないか、という。
「行きます、行きます」
「やっぱ、中華は大勢の方が、いろいろ食べられるもんね」
ランチで一人で食べるなら、麺のおいしい店がある、と先輩は言った。
通話が終わると、また苦しくなってきた。先輩に教えてもらった店の麺は確かにおいしかったが、食べ終わると、嫌な気分になった。
その麺の値段は650円だった。少しでも安くなるよう、横浜まで来たのに、先ほどの振込は、手数料だけでもそれより高い。
私のキャリアはまだまだ若く、原稿料はまだそんなにいいわけでもない。将来が不安なのは、私だって、誰だって同じだ。
本当に辛い思いもして、私が地道に稼いでいる原稿料の、いったい、何本分のお金を、私は、突然、月代先生に振り込むことになったんだろう。
どうしても苦しくて、中華街を歩きながら、声を殺してひいひい泣いた。
立っているのが辛い。帰りたい。
そこで突然、ラインの着信音がした。グルメライター仲間の華乃さんだ。彼女も久しぶりである。繰り返すことになるが、面白いけれど、女らしいきれいな顔に似合わず強烈な人。
「現代日本、いや日本史上初の女独裁者になって、世の中を平和にしてみせる!」
泥酔して、そんな、冗談とも本気ともつかないことを言ったことがあるだとか、ないだとか、噂になったこともある人だ。もちろん本人は、いつも巧みに否定している。
「沙奈ちゃーん、元気かなぁ?」
ああ、常にちょっと上からくる、いつもこの元気な、この声。時々、むっとさせられることもあるが、今日は特に、頼もしかった。
「どこにいるんですか?……レストラン?凄く素敵な音楽が聞こえますよ」
「そう、新しくできた、評判のイタリア料理店。……おかげで私、最近、シチリア料理に目覚めちゃってー」
「シチリア料理食べてみたい!取材ですか?」
「ううん、今日は、新しくメニューに加えたい料理があるから、試食して、感想を聞かせてほしいっていうことで、招待されたの。ワインもほんっとうに、おいしかった!」
「招待ですか、優雅ですねー」
「グルメライターほど素晴らしい仕事はなーい!沙奈ちゃんもまた一緒に食事しようね」
「はい、ぜひ。おいしい店が知りたいです」
「ふふふ、まかせて。……あっ、東京A区とC区は、食の点ではもう、私の庭だから」
「B区はどうしたんですか?」
「それはね、ライバルのグルメライターが大きな顔してるからね」
「飛び地なんですね」
「うんうん、飛び地。あと、〇〇(日本から近いとある国の名前)の一部も……。ヨーロッパは遠いし、手強いんだけど、来月、友達が大物を紹介してくれる予定で……」
「……そんな、『食の点では』といい、冗談でも、なんだか危険なことを言わないでください」
「ふふふ。沙奈ちゃんも、グルメライターとしてもっとランクアップすれば、いろいろ本当に、いい経験できるわよ」
この時、私は何も答えられなかった。
「……聞いたよ沙奈ちゃん、元気ないんだって?……私にはだいたい、見当がついてて、それで、助け舟を出してあげようと思ったわけよ」
たった今まで、ライター仲間とはしばらく連絡をとっていなかったのに、ひょっとしたら、誰かが、そんなに簡単に、私の情報を共有させたのだろうか。
その点では少し怖かったが、思わず、こう答えた。
「はい、元気ないです」
「月代先生のことでしょ。……今、いい?」(続く)
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