同じ家に住む他人

 峯田が触れた腕が肩が瞼が、熱い。触れたか分からない唇さえも。それが少し心地良いと思ってしまう。肯定とも否定ともとれない沈黙でさえも、居心地の悪さはない。

「じゃ、じゃあまた、」

 でも。このままじゃいけない。気付かない振りをして、歩美は峯田の方を向く。

「これだけは約束してよ。泣くのは俺の前だけにして。」

 今までは気付かなかったけど、背が高い。すらっとしている印象はあったけど、向き合ってもシャツのボタンとしか目が合わない。少し見上げるように峯田を覗きこむ。

「歩美さんって、そうやって時々首をかしげるよね。」

「そう?」

「ほら、また。」

「あっ。無意識だった。」

「それイスラエルではイエスって意味だからね。」

「えっ、待って、何で今イスラエルの話!?」

 歩美の肩を持ち、反転させバイクの方を向かせる。こめかみに唇をつけ、おやすみ、と呟いた。

「それとも家までおくる?俺んち来る?」

「帰らなきゃ、誰か私が居ないのに気付く前に、」

「気をつけてね。」

 そこから一歩も動かない峯田は歩美がバイクに向かうまで帰らない意志が見え隠れしていた。

「マスターも、気をつけてね、」

 振り向いた歩美を抱き締めたい気持ちが溢れる。少し持ち上げた右手を引っ込めて、できるだけ静かな声で言う。

「怜央だってば。わざと間違えてるの?」

 また明日。そう言って軽く手を挙げる。歩美のバイクが走り去ってくのを見届けてから、峯田はまた店へと戻った。


 峯田と別れた歩美が家に帰っても、修平はまだ帰っていなかった。千代子も千紗も一度も起きなかったんだろうか。軽くシャワーでも浴びようかと着替えを探していると、修平から連絡が入った。

「遅くなります。」

 たった一文だった。時計はもうすぐ十二時になろうとしている。十二時でも遅いだろう。心の中で悪態をついてみたが、さっきまで峯田と一緒に居たことを思い出す。

 修平が浮気していると知った時は裏切られたと思ったし、憎んだ。仕事をして、家事もして、子供の相手をしながら介護をして、挙げ句浮気された。年下の若い女に現を抜かした修平を呪うように毎日見ていた。求められても、あの女も同じように抱いたんだと苦しくなったし、満たされなかった。なのに今、峯田に抱き締められた体が熱い。気持ちの良い温かさで満たされている。

 私も修平同じだ。私も逃げた。夫以外の男性と夜遅くに会って、抱き締められて。恋に落ちた。

 ふと時計を見ると十二時を越えていた。

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