変革の炎

「なんだか警備が薄いわね」


 手枷を破壊したアルフェが疲れからか目を閉じる。確かに、それには同意だ。相変わらず最上階にケット・シーの気配はない。


 リスティンキーラでは高い所は神聖とされている。雪は空から降るからである。神に逆らった重罪人は、処刑の間まで精々浄化されろということなのか、宗教的な犯罪を犯したものは上の方に収監されるわけだ。まあ、そうそう大それた犯罪者は現れないのだろう。だとすれば、下に行くにつれて警備が厳しくなるのだろうか……


「にしても、この格子はどうするんだ?あまり大きな音を立てると勘づかれるぞ」


 ウェルデンの指が格子をなぞる。


「まあね。でも彼女をこの段階から消耗させるわけにはいかないし……さっきも言った通り、僕の魔法は戦闘向きじゃないんだ。だからこれを壊すのにはエルラーン、君の力を借りることになる」


「それは別にいいんだが……ウェルデン、お前元の魔法はどうした?」


 一瞬、彼の表情が曇った気がした。が、陰りはすぐに苦笑のようなものにとって変わる。


「うーん……デウス・エクス・マキナと契約した時からね、元の魔法が使えなくなっちゃったんだ。多分、過去と未来っていうものを見るのは、負担が大きいんだと思う」


「そうか……俺はあまり魔力制御が上手くないから、一発でバレる感じの壊し方しか出来ないぞ?」


 瞳を閉じていたアルフェがにっこり笑う。その青は久しぶりに生き生きとした輝きを取り戻していた。


「いっその事大穴開けちゃいなよ。その方がすっきりするんじゃない?」


「アルフェ二ークさん……それは……」


「冗談に決まってるでしょ、もう」


 唇を尖らせる彼女をよそに、俺は意念イメージを収束させる。最小限の破壊で済ませたいが、「蒼炎」は融通が効かない。忌々しいあの紅のように。


 そこまで思考が巡ってふと思い出したが、スカーレットは呼べるのだろうか。先程までは氷力マナが阻害されていたから無理だっただろうが、今は?


 スカーレット、と口に出しかけて思い留まった。今することではないだろう。あいつの話は無駄に長いし、内容も無駄だ。流石にここにぐずぐずしているのはよろしくないだろう。


 血液の中を氷力が巡る。身体から、やがて指の先へと。指から蒼い炎が吹き上がる様を幻視する。力を外へ形にする言葉を吐き出した。


「……蒼炎の刃よエリエル


 ぱ、と檻の中に青が散った。剣と言うよりは、巨大なフューリーの爪のような炎を格子に押し当てる。金属が溶ける嫌な音と匂いと共に、斜め下に刃を振り切った。


 からん、と格子が落ちるのを確認してから魔法を解除する。後ろを見ると、ウェルデンが目を丸くしてこちらを凝視していた。


「これが……炎……」


 そうか、彼は炎を見るのが初めてなのか……


 完全に慣れてしまっていたが、そもそも炎とは忌まわしきもの、神の意思から外れたもの。一般のケット・シーからは嫌われるどころか、信仰心を揺らがすような代物だろう。その炎を操るのが同じケット・シーだということも、また。


 俺は判決を受ける寸前のように、静かにウェルデンの言葉を待った。ここで彼に拒絶されてもおかしくはない。彼は俺のように、聖氷教が嫌い​─────あるいは憎んでいるというわけではないだろう。普通の感性を持つケット・シーならば、俺に嫌悪感を抱くのがむしろ普通である。しかし、静寂を破ったのは意外にもアルフェだった。


「……ね、凄いでしょ?綺麗でしょ!?エルラーンの魔法!」


 無垢な幼子のように、いっそ無邪気をも伴ってアルフェは色違いの瞳を見つめる。ぽかんとして固まっていたウェルデンも、やがてそっと微笑んだ。


「うん。凄く綺麗だった」


 くるりとこちらに向き直った彼女は、得意げに片目を瞑った。たったそれだけの事なのに、何故か胸がじんわりと暖かくなるのを感じる。でも、それがなんだか恥ずかしかった。


「ほ、ほら、いくぞ」


「ちょっと、待ってよー!こんな所でひとりはごめんだってば!」


 ◇◇◇


 このままでは終われない。そう思ったところでなにをすればいいかも分からない。


 それどころかなにをしたいのかすら分からないのだから、いっそ笑えてくる。なんて愚かだったのだろう、私は。何も知らず、何も考えず、ただ盲目的に宗教を信じ​───その結果、自分の首を全力で締めている。これを愚かと言わずしてなんというのだろうか。


 もう正しさが、正義が、一体なんなのか自分の中で定義することすら出来ない。こんなことでは二年前の私と同じだ。なんの成長もない……


 ああ、でもあった。一つだけ出来そうなこと。


 自分でしたことの責任は自分で取る。当たり前で、二年前には出来なかったこと。


 私は亡者のように覚束無い足取りで歩く。扉を開けることさえ億劫だ。しかしもうこの部屋にはいられない。


 ふらふらと一歩。部屋の外へと踏み出した。


 ついに無人になった隊室では、雪鴉が首を傾げて扉を見つめているだけだった。




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