「夜空」「蜃気楼」「ヤカン」

 伊丹屋いたみやの藤兵衛が、腕の良い蘭方医らんぽういを探しに長崎を訪れた時のことです。赤迫あかさこの山の彼方の夜空に、奇妙な蜃気楼が浮かびました。


「あれは……妻のおつねだ……」

 床に臥せった女の青白い肌までが、くっきりと見えました。


 微動だにせずに蜃気楼を見つめる藤兵衛の袖を、誰かが引っ張りました。


「もし、こんなところで幻を浮かべてもらっては困りますな」


 振り返ると、杖をついて立っている盲目の按摩あんまがいました。


「これは、一体どういうことですか?」

「どうしたもこうしたも、あんたが強く想い過ぎてるから、蜃気楼が浮かぶのです。お陰で私の仕事が増えるというもの」


 按摩が手にぶら下げた銅色あかがねいろのヤカンを頭上にかざすと、蜃気楼の形が歪み出し、あっという間にヤカンの中に吸い込まれて行きました。


「また蜃気楼を出されてはかなわんから、ついでに病の気を吸い取っておいた。はよう帰ると良かろう」


 そう言うが早いか、按摩の姿は煙のように消えてしまいました。

 飛脚を出して家人に確かめた所、おつねの容体は日に日に快方に向かってるとの由。

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