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 目的としている人文明研究施設の最下層、セクターⅥまでは、赤錆びた階段を経由していた。地下100メートル近くまで続くためかなり長い時間を要するが、今日が最後になるかもしれないと思うとその時間さえも愛おしかった。

 螺旋状に続く折り返し階段で、手すりは腐食が進み元の色が判別できる状態ではない。

 レーゼルは瞳孔に内蔵したライトを点灯し、足元を確認しながら慎重に足を進めていた。


 カツン、カツンとしま剛板の天板を靴裏が叩き、灯りの消えた電気標識に描かれた緑の人物は、その来客に喚起していたかのようにも見える。

 手すりの隙間に一本の角材を差し込んだように貫通するスペースから、底を見下ろせば、闇夜の中からでも終点が露わになるほどに地下階へ到達したことが判別できた。


 作業機器搬入用の外づけエレベーターもあるが、民間の調査企業だけが利用するにはコストがかかるとして数年前から利用するには専用の申請書が必要となった。

 別途で電力代を支払うなら利用することもできるのだが、それだけの懐の余裕があるわけもない。

 電気代が圧迫されているのはヴァネッサの保持するコンピューターのせいだが、とレーゼルは舌打ちをした。



 通信機構が電波を受信する。レーゼルが内臓している機構はモデルが古いため、受信音が耳鳴りに近い反応を示した。彼の悪態を聞いていたかのようなタイミングを見計らってか、そのヴァネッサからの着信であった。


「レーゼル、聞こえてるかしら」

「できれば聞きたくはないがな」

「はいはい」そのため息を聴く機会も残り少ないと思うと、彼女の態度に対して怒りが湧くこともない。「一応業務だからね。作業に入る前に目的の確認よ」


「人文明研究施設、セクターⅥBの5度目の調査。主な目的は当時の資料やデータを採取し持ち帰ること。そうだろ?」

「加えて」ヴァネッサが咳き込む。「キッシュから連絡があったの。今回は報告書の【所要時間】の欄は無記入で構わないそうよ。気が済むまで潜ってきなさいってことね」

 

「骨をうずめる覚悟で、ってことか。悪趣味だな」


 レーゼルはスマートフォンを取り出し、現在の時刻を確認する。午後8時。本業とする者、困窮極まった者、名誉を得たいが為の者。それぞれの理由を持ち寄せたアロイコア達が、骸郷各所の遺文明局管理下施設への不法侵入に動き出すまでにはもう少し時間があるなと考えた。


 その情景を演出するに、呻くようにグロウルを漏らす黒いシルエットが、赤点を灯しながら立ち上がるようなスクリーンの図をレーゼルは思った。

 さながら自分は、それらの脅威に邂逅する銀幕のスターという配役になるわけだが、お払い箱のフチに立たされているような冴えない姿では、なんとも格好がつかない。

 と、もくもくと昇る夢想を炊き続けていると、足元の先に段はなく、踊り場に到着していた。


 目の前にそびえ立つ鋼鉄の扉は、厚い鋼鉄製の両スライド式で、【セクターⅥ】という標識が角ばったフォントで印字されている。開閉口は鮫の歯形のように鋭利な凹凸が重なり合って固く閉じられていた。その隣に特定のバーコードで反応するタイプのスキャナーが、まっくろな画面を湛えて沈黙していた。


 施設内は通電されておらず――かつては電気が通っていたが、この施設はほぼ調査済みなのでコストカットを目的として電気線は抜かれている――、代替えの出入り口として、右扉の隅に、成人男性でも潜れる直経の穴が人為的にこじ開けられていた。

 遺文明局の職員が、発破ドリルで開孔したものだ。

 

 レーゼルはこの出入り口を四つん這いで潜る時、いつも惨めな気分に陥っていた。仕事とは毅然とした態度で、光を浴びるように立つ物ではないのかとコンクリート塗りの地べたの冷たさを掌と膝で感じるたびに自問を繰り返していた。

 思考した内容を小まめにバックナンバーへまとめ、特定の脳内フォルダに保管していたが、見返すための資料では決してない。自分がどれだけもがき苦しんでいるかを数字に残しておくことが重要だった。


 情調を司る機構はアロイコアに内蔵されている。人類が人類たらしめたというシステムを完全に再現し、アロイコアが最も人類に近い生物であると宣言できるだけの高尚なる代物。



「……惨めな気分になるのも、これが最後か」

「縁起でもないこと言わないでよ。私はまだこの商売続けたいんだから」


 ヴァネッサとの通信を切ることを忘れていた。レーゼルはがすかさずこめかみを回すと、改めて静寂が音を切り出した。

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