とある依頼先

 私は人を殺すかもしれない。


 平日の昼下がりに鳴った電話から、いきなりそんな物騒な言葉が飛び出した。

「勝手に殺してポリに捕まればいいだろが」

 物騒だろうがなんだろうが、そんな要件は俺には関係ない。だってここは心霊探偵事務所なのだ。

 ウチはあくまでも心霊現象解決が生業で、お悩み解決が業務では無い。殺人衝動が芽生えたのなら心療内科の仕事であって、止めて欲しいと願うなら警察の仕事だからだ。

『聞いて欲しい。ある男に会ってから、突然殺人衝動が湧き起こったんだ。これは普通じゃない。きっと何かに取り憑かれたんだ。礼金は弾む。頼む……助けてくれ…………』

 随分と弱々しい声だな。しかし生憎と神崎はピンで出張除霊中。つう事は俺一人でやらなきゃいけないって事だ。

「まあ、仕方がないか。面倒だが出向いてやる。場所を言え」

『本当か!?それは有り難い!!場所は……』

 場所を聞いて『しまった』と思った。

 何故ならば、そこは新幹線で向かわなければならない程遠い他県だったからだ。

 しかし一度交わした約束だ。本当に本当に面倒だが、向かわなければならない。

 神崎に出向く先と依頼者の名前を添付しメール送信して、俺は駅へ向かった。

 駅までの道中、万界の鏡で視ていなかった事に気付く。

「しまった。鏡を忘れて来ちゃったよ」

 これじゃ視るに視られない。つうか事前に視るのも忘れていたわ。いつも神崎が対応していたからなぁ……

 まあいいや。もしも詐欺や騙しを働いたら、地獄で後悔して貰えばいい。今から鏡を取りに戻るのも面倒だ。

 そんな訳で、鏡を取りに行かずにそのまま向かった。

 思えば、これが最初の失敗だった……

 失敗。

 そう、俺はこの依頼を請けた事を、激しく後悔する事になるのだ。


 新幹線で約2時間。着いた先は、古民家、いや、屋敷と言っていい程のデカい家。

「金は持っていそうだな。どんな悪い事をしたんだ?」

 悪い事をして儲けたに違いないとの固定概念バリバリな俺だが、同時に依頼料も高額請求できると思い、一人ニヤニヤして呼び鈴を押す。

『はい………』

「その声は依頼者だな?俺は北嶋心霊探偵事務所所長、北嶋だ。わざわざ出向いてやったぞ」

 ここでふと思い出す。

 鏡が無ければ視る事ができない。つまり霊が視えない。つまり除霊できない。

 今更ながらあの時戻って取ってくれば良かったと後悔したが、神崎に写メか動画を送って霊視して貰えばいいかと開き直る。

 カラカラと軽い音と共に玄関が開く。

「お前が依頼者だな?」

「如何にも……私が霧月家12代目当主、名は…霧月きりつき 架那哉かなやだ。良く来てくれた北嶋所長」

 長い髪を後ろに束ねて凛として俺を見据えながら、細身の女、霧月は名乗り、握手を求めて来た。

 電話越しでの印象と若干違って、意外としゃんとしていたのが驚きだが、憑いているかどうかは俺には解らん。

 超広い客間に通されて、高そうな玉露を出され、それを啜りながら見回すと、筆で何か描かれた掛け軸やら刀やらが目に入る。

「手広くやってんのか?えらい儲けているようだが」

「まさか。私の家は江戸から刀鍛冶を生業としているんだ」

 成程代々刀匠の家系か。ならば飾っている刀や掛け軸も頷ける。

「早速で申し訳無いが、どうだ?私に何か憑いていないか?」

 身を乗り出して訊ねられるも、俺には視えんので解らん。

「その前に、何故そう思うのか経緯を説明してくれ」

 取り敢えず誤魔化す為に説明を求めた。

 俺もなんやかんやでキャリアが長い。話を聞けば解るだろう。多分。

「そうか。解った。では話そう」

 霧月は俺を全く疑わず、姿勢を正して語り出す。

 随分素直で人が良さそうだな。今更ながら、騙した感を覚えて『悪い事したなぁ』とか思った。

 それは一人の行き倒れの男を助けた事から始まった。

 その男は何日も何も食べていないようで、衰弱しきっていた。

 屋敷に連れて来て医者に診て貰い、栄養点滴や食事を取らせた所、男はみるみるうちに回復した。

 安心して何故行き倒れていたのか聞いた所、以前住んでいた街から寄って集って追い出されて此処に流れ着いたとの事。

 職も金も全て奪われたと涙ながらに訴えてきたそうだ。

 気の毒に思うと同時に、追い出した連中に強い憤りを感じ、仕事が見付かるまで離れを貸す事にし、当面の生活も面倒を見る事にしたと。

「ふーん。随分とボランティア精神に溢れてんだな」

「まさか。人として当然の事だよ」

 大仰に肩を竦める霧月。

「しかし、ここからが問題だったんだ……私は刀鍛冶が生業なので、当然ながら刀を造って生計を立てている。丁度その頃一振り鍛え終わった後でね。その行き倒れていた彼を試し斬りしたくてしたくて仕方無くなって来たんだ……」

 霧月は両手を広げて、指も広げてわなわなと震える。

「私は恐ろしい……この儘ではいずれ彼を殺してしまうだろう……」

 そう言いながら大粒の涙を零す。

「話は解った。取り敢えず行き倒れの男に会わせてくれ。もしかしたら、その男が悪霊を連れているのかもしれん」

「ならば請けてくれるのか!?」

「依頼料は弾んで貰うけどな。最低新幹線の往復分は」

「ありがとう……本当に感謝する……」

 霧月は安心し、先程と違う涙を流した。

 だが、安心するのは早い。

 鏡を忘れた俺は霊視不可能。

 だから霧月や行き倒れ男の写メを撮ってから神崎に転送しなければならない。

 その旨を伝えると、やり方は任せると言われたので、此方としても一安心だった。


 行き倒れ男が滞在していると言う離れに案内されるが、唖然としてしまった。

「離れじゃねぇよ。蔵じゃねぇか!!」

 しかもデッカイ、現代によくもまあ、残っていたなってくらいのビックリな大きさだった。

「そ、そうなんだ。何故が離れから蔵に移したくなって……」

 自分でも解らないのか、困惑な表情だった。

「じゃあ離れってのは?」

 指差す先を見てみると、ちっさいプレハブがあった。

「庭に面してあって本邸と行き来が容易になっている。流石に水回り系は無いが、寝るだけの広さはある」

 あそこから蔵に移したのか。ちっさいながらもプレハブの方が良さ気だが……

「んで、この蔵だがめっさ鍵かかっているが……」

 入り口を鎖で雁字搦めに縛り付け、丈夫そうな南京錠を十個以上使って施錠していた。

「何故か彼を外に出したくなくて……」

 涙目の霧月。殺人衝動と言い、拘束願望と言い、かなり戸惑い、恐怖しているようだ。

「取り敢えず開けろ。行き倒れ男に会ってみないと何とも言えん」

「解った」

 霧月は一時間以上かけて、全ての鍵と鎖を取り払った。

 そして扉に手をかけると――


 ゾクリ


 凄まじい悪寒が俺を襲い、俺は扉にかけた手をピクリとも動かせなかった!!

 なんだこのプレッシャーは!?

 手が硬直してプルプル震える様を感じ、俺は自分自身を疑った。

 この俺がビビっているだと!?そんな馬鹿な!!

「ど、どうしたのだ北嶋所長?鍵は全て外したが……」

 俺以上に戸惑っている霧月。

 こんな訳の解らんプレッシャーで依頼者に醜態を晒す訳にはいかない。

 依頼達成率100パーセントが北嶋心霊探偵事務所だからだ!!

「く……!!行くぜ霧月……お前の異変の原因は間違い無くこの中に居る!!」

 俺は有らん限りの勇気を振り絞って扉を開けた。

「な!?」

 開けて愕然とした。普通蔵は薄暗いものだ。基本物置だし、ましてや霧月家は屋敷と言っても過言では無い古民家だ。長い年月の埃も当然あろう。

 だが、そこにはLSD電球の灯や、デッカイテレビ、5ドアの冷蔵庫、はたまた光回線まで通しているのか、パソコンまであった!!

「こ、これは?」

「あ、ああ……彼が次の仕事が見付かるまでどうしても必要だと言うので……」

 買い与えたのか?素性も知らない行き倒れ男に?

「あと、ジャグジー付きのバスタブやエアコン、トイレも水洗にリフォームさせられたかな」

 なんだこいつは?どんだけ良い人なんだ!?

「い、いや、彼がこうすれば付き纏わなくなるかな、と思って……」

 付き纏わなくなる?どういう事だ?

 果てしなく首を捻った俺。

 その時!!


「かぁ~わぁ~いぃ~いぃ~……………」


 一番奥にあるダブルベッドの方角から、背筋も凍る、聞いた事のある声が!!

「まさか……お前が助けた行き倒れ男の名前は……鹿島 雄大!?」

「何故それを!?いや、そうか、噂の霊視か。いや流石だ北嶋所長」

 やっぱりそうか!!謎は全て解けた!!

 つか誉められても嬉しくねーよ!!

「下がれ霧月!!」

 奴ならば、霧月に躊躇なく抱きついてくるだろう。

 俺の予想通り、あのメガネの小柄な男、鹿島 雄大!!何故か全裸でベッドから飛び起きて霧月目掛けて突っ込んできた!!

「架那哉さんん!とうとう俺の物になる決心が付いたんだねっっ!!」

 何故か股間を熱くして向かってくる鹿島!!

「うわ!?うわああああああああああああああああああああ!!!!」

 霧月も流石に絶叫した。しかし、小声で「ちっさ!!」とも言っていた。

「なんでお前が此処にいるんだ馬鹿野郎!!」

 俺も躊躇を一切見せない右ストレートを普通に鹿島に叩き込んだ。

「ぎゃたあ!!」

 馬鹿は馬鹿な叫び声を上げて簡単に吹っ飛ぶ。

「き、北嶋所長、ひょっとして彼と知り合いなのか?」

「知り合いじゃねぇよ!!」

 俺は推理を声を出して独り言のように喋る。

 天パ印南に俺の住んでいる街から強制退去させられた鹿島は、なんやかんやでこの街に流れ着いた。

 しかしポリに追い払われた馬鹿に、仕事もアパートを貸す不動産屋もある筈も無く、鹿島は文字通り行き倒れた。

 そこへ通り掛かったお人好しの霧月は医者を呼び、前述した鹿島の狂言を鵜呑みにし、可哀想に思って仕事が見付かるまで家に泊める事にした。

 しかし只でさえ都合良すぎの馬鹿脳は、これを自分に気があるからだと簡単に思い込み、昼夜を問わずに関係を求めた。

 毎日毎日毎日毎日ウザいほどウザ過ぎるアタックを受けた霧月が殺意を覚える事は当然。刀で何度も斬りつけようと思ったに違いない。

 これが殺人衝動の正体だ。

「なんだお前!!俺の架那哉さんに迫る間男か!?」

 俺を忘れたのかこの馬鹿。

 あれだけ迷惑掛けた相手を忘れやがったのか!!

 イラついてぶん殴った。

「うべごぉ!!」

 鹿島は簡単に白眼を剥いて気を失った。

「この蔵内を察するに、お前は鹿島を閉じ込めた後、この馬鹿に非常に申し訳無い気持ちでいっぱいになり、馬鹿の物欲要求を全て飲んだ。違うか?」

「そ、そうだ……いや、流石だ北嶋所長。いや、そうなると、待てよ?私は憑かれていた訳じゃないのか?」

「馬鹿に憑かれたって意味では合っているかもな。この馬鹿相手に殺意を覚えない奴はいない。お前は正常だ。そしてただのお人好しだ」

 安心したのか泣き崩れる霧月。

 馬鹿は平和そうに白眼を剥いている最中だ。

「さて、この儘では次の被害者が出るな。ここは奴に頼もう。ちょっと待っていろ」

 俺は鹿島の髪を引っ張り、引き摺って霧月の視界外に移動。そして草薙を喚んで空間に一閃した。

 未だ泣いている霧月の傍に戻り、肩を叩く。

「終わったぞ。これでお前に平穏が戻った」

「あ、ありがとう北嶋所長……本当にありがとう……って、彼はどこに?」

「遠い所に行って貰った」

 霧月は果てしなく首を傾げたが、鹿島の姿が本当に見えない事で、兎に角出て行ってくれたのだと納得した。

「本当に助かったよ北嶋所長。依頼料は弾ませて貰う」

 そう、帰り際にかなりの金を持たせられたが、この件は馬鹿を追い出した俺の責任もある。

 申し訳無く思い、交通費以外は全て返金した。

 霧月はそれを受け取らなかったから、問答も面倒と言う事で、ポストに突っ込んで文字通り逃げた。

 そして、俺はある種の達成感を覚えて帰宅したのだった。


 帰ったら報告だ。一応仕事なのだから。

「そう……そんな事があったの………」

 真っ青になり、微かに震える神崎。

「それで……草薙で空間を斬って捨てて来たのよね?」

「ああ」

「どこに?」

「無表情の所だ」

「ヴァチカンに捨てて来たの!?国外に投棄とか!!」

 そう。最早日本では鹿島は狭い。これから鹿島はワールドワイドの馬鹿になるだろう。

「そうか……ヴァチカンに申し訳ないなぁ……」

 本気で悪いとは思っているのだが、日本に居ない事の喜びの方がデカい神崎。心苦しさを和らげる為にテレビを点ける。

「いくら馬鹿でも言葉も通じないんじゃ手も足も出ない。だから気にするなブフォオオォオオ!!?」

 言いながらお茶を噴き出した俺。

「ちょっと、汚いわね、一体何がブフォ!?」

 神崎もお茶を噴いた。

 テレビには、全裸でポリに拘束されてトボトボと連行さられている鹿島と、小娘を後ろに匿って、悪鬼の如くの形相で聖剣を構えている無表情の姿が映っていたのだ。

「…………………あとでネロ教皇に謝っておいてね…………」

「………………おう………」

 一体バカチンで何が起こったのか。

 泣きじゃくる小娘の顔がアップで映った時に、俺達は全て把握したのだった……

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