お兄ちゃんが飛べない理由

 ホウキにまたがったまま僕はわずかに浮かび上がり、地面へと崩れ落ちた。その現実が理解できなかった。

 昨日まではそこらのカラスよりも高く飛べた記憶がある。ていうかこんなことなど、僕は12歳での入学から3カ月も経たないうちにマスターし、3年生の今まで日常茶飯事みたいに飛びまくっていた。

 今のは何かの間違いだ。とりあえずもう一度、飛行魔法を唱えればいい。

「モートゥス・クェーリ」

 今度は体が浮かび上がる感覚さえ味わえないまま、地面にひっくり返った。人気のない中庭のど真ん中で、僕はホウキを持ったまま仰向けに倒れこんだ。芝生の上で、ちょっとした背中の痛みを感じる。

「おい、何でだよ。これじゃあ遠くの森のブドウを獲りにいけないじゃん。クラスメイトの噂じゃ魅惑的に甘いとかいうから、確かめてやろうと思っているのに」

 僕は独り言を嘆きながら三度ホウキにまたがり、「モートゥス・クェーリ」と唱えた。今度は前のめりに倒れ、顔面を芝生にうずめた。発音がいい加減なせいかと思って四度目のトライを図った。

「モートゥス……くえーりいいい」

 浮かび上がったのでいよいよ飛翔できると思いきや、ホウキが股をすり抜け、大の字で芝生に堕ちるハメになった。情けなさを感じながらホウキを取りにいく。態勢を整えなおして肩の力を抜き「モートゥス・クェーリ」と唱えながら芝生を蹴った。今度は横に倒れてしまう。いい加減心が折れそうだ。そう思っていたら誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。

「何してるの?」

「レイラ、もしかしたらお兄ちゃん、空を飛べなくなったかも」

 僕の妹が不思議そうな顔をしてこちらを見下ろしていた。彼女は僕の頭の方向へ動くと、「ハッ」とただならぬ声を上げた。

「お兄ちゃん、クモ」

「えっ?」

 僕は自分の頭上に手をかざす。けばだちながらも生々しい感触が確かにあった。彼女の言うとおり、これはクモかもしれない。

「いやあああっ、お兄ちゃんが素手でクモを触っている!」

 虫嫌いのレイラは叫びながら離れたところへ走り、僕に背を向けたままヒザを抱えて座り込み、体を震わせていた。

「なんだよ虫一匹で大げさな。どうせまたメイナード・レイナードっていう虫マニアのオタク男子が乗せたんだろ」

 僕は機嫌を損ねながらも頭からクモをつかみ取ろうとした。しかしクモは、僕の髪の毛というか、頭皮にべっちりと張り付いているみたいで簡単には取れない。

「そのクモはスペーバで、全身紫色でしょ!? ソイツはバインディング・グラビティという特殊能力で、ひっついた相手を飛べなくさせちゃうのよ」

「ウソだろ」

 思いも寄らぬ現実に呆然とした。とりあえず、こんなアメーバだかクモだか分からない生物ごときに、飛行能力を縛られる筋合いはない。僕は必死で頭からスペーバを引き離そうとしたが、気持ち悪いほどの粘り気がまとわりつくだけで、どうにもできない。

「きゃあっ、お兄ちゃんが素手で触ってる!」

 レイラが力いっぱい目を閉じつつ、僕から顔を背けた。

「何だよ、いちいちおおげさな」

「私の彼氏もメイナードの手で頭に乗せられて、恐怖のあまりパニックになったまま、あろうことか失禁を……!」

 レイラによる彼氏のどうでもいい暴露である。

「これ、何とかできないのかよ」

「無理いいいいいっ!お兄ちゃんの方がスキル高いんだから、クモを振り払える魔法とか使えるでしょ!」

 レイラはこれ以上スペーバを見たくないし、頭を占領されている僕にも近づいてほしくないと言わんばかりに、背中でおびえまくっていた。


「仕方ないな……これしか方法がないか」

 僕は懐から手持ちサイズの杖を取り出し、一振りで先端のコアを光らせ、天にかざした。

「ウルティマ・リリース!」

 体にくっついたあらゆるものを振り払う、正に究極の武装解除魔法である。これならスペーバも僕の頭上にとどまれやしない。多少大げさな気はするが、手で取れないなら仕方ない。このままずっと頭の上でクモを飼うことは、さすがに僕の趣味じゃないからだ。

 壮大な結界が僕を取り囲み、暴風のようなエネルギーが全身に吹きつける。強すぎるエネルギーのおかげで、魔法の杖は天に向かって一直線に飛んだ。全身がやたらめったら軽くなった気がした。僕は飛ばされまいと地面を踏みしめるのが精一杯だった。


 僕は頭をなでまわした。さらさらとした髪の毛だけが手に伝わった。スペーバが消え去ったと分かり、胸をなで下ろした。しかしその胸には、それまであったはずの制服が一枚残らず消え去っていた。嫌な予感がする。後ろを向くと、遠くの生垣にローブやシャツ、ズボン、そして下着まで見事に引っかかっている。

 少し視線をずらすと、スペーバとは別の意味で見てはいけないものを見たという目で、レイラが唇を震わせていた。

「きゃああああああああああっ!」

 レイラは絶叫しながら、校舎の入口へと一直線に走り去っていった。僕も妹にあるがままの姿を見られた恥ずかしさに体を火照らせつつも、芝生に伏せた。

 何とかできないかと周囲を見渡すと、校舎の壁際にホウキが落ちているのが分かったので、慌てて取りにいき、またがった。

 「モートゥス・クェーリ!」

 パニックのあまり荒々しい発音で飛行を宣言した僕は、再びホウキで飛べるようになった喜びを味わう余裕もなく、レイラを追うように校舎へ突入した。


 それ以来僕は、魔法学校での有名人になった。「ドヘンタイ」という二つ名とともに。

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ショート×2集・エドワードは魔法が強くなった代わりに STキャナル @stakarenga

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