デズモンド・J・ランスフォールドは運がいい

「君にはフォルテュナ・スプレーマが宿っている」

 スタンが僕をそう励ます。僕は魔法学校内の壁の角から、広間をうろうろとさまよい、暇を持て余した様子のキーラを見つめていた。

「あれだろ、お前が好きな女の子は? もうコクるなら今しかないぞ」

 スタンが軽く僕を急かすように話しかける。

「デズモンド・J・ランスフォールド、失敗が怖いときはどうするかわかってるんだろ?」

「これまでの強運シーンを思い返せってか」

「ああ。今やってみな」


 確かに僕はこれまで運がいい。魔法学校の飛行実習で初めてホウキに乗って空を飛べた矢先に、悪い木の精霊が宿った怪鳥リーフィックスに空中でさらわれた。生きた心地がしなくて、不覚にも漏らしてしまった。ところがリーフィックスが突然足でつかんでいた僕のローブを放し、僕は空中を落ちていく現実に恐怖しながらも、再びホウキにまたがってリーフィックスが飛んでいるのとは反対方向へ逃れ、自力で学校へ帰還できた。


 あるときには、夕食のソテーに嫌いなタマネギがあったので、偶然隣にいたベジタリアンの下級生にすべて譲ったら、翌日大勢の生徒が食中毒に苦しんだ。そいつはタマネギによく似たバッタモンで、毒性があるオスティアノ。だからタマネギ嫌いの僕は助かったんだ。おかげで2日後には、お互いの魔法スキルを使い、ガチで格闘する「マジックバトル」なるものに駆り出されたんだが、なんだかんだで勝てちゃった。


 そう思えば僕は運がいい部類なんだ。しかも結構な強運みたい。今も僕の魂の中にあるフォルテュナ・スプレーマが落ち着かなくなってきているみたいだ。胸を押さえて妙な鼓動を確かめているからそう感じる。


「さあ、行け!」

 僕は壁の陰から飛び出し、広間から校舎の出口へ向かうキーラを早足で追いかけた。

「キーラ!」

 僕の呼び声で彼女が振り向いた。

「デズモンド?」

「ああ、今日だけは、君に言わなきゃいけないことがあるんだ」

「何?」

 戸惑うキーラ。僕は胸の高鳴りが本格化しないうちに、さっさと言いたいことを済ませんとした。

「キーラ、実は僕、君が好きなんです。付き合ってください!」

 僕は頭を下げながら、両手を差し出し、握手を迎え入れる体勢に入った。10秒、20秒と沈黙が続いていく。


「……ごめんなさい」


 僕は信じられない気持ちで、頭を上げた。キーラの目からなぜか生気が抜けている。少なくとも20秒前まで、その目は清純な女子らしく輝いていたはずだったのに、今ではそれが全くの嘘に変わっているみたいだった。

「どうして?」

「ほかに好きな人がいるから。さようなら」

 非情とも思える言葉を残し、キーラは広間の出口を飛び出してしまった。なぜだ。こんなときに限って、フォルテュナ・スプレーマは効果を発揮しなかったのか。もしかしてこの強運は、男女関係は対象外なのか。色々考えたけど、答えは出ず、僕はその場で腰を抜かしてしまった。

「大丈夫か?」

「なんか知らないけど、フラれた」

「デズモンドの強運スキルは学園トップクラスとは聞いていたけど、さすがずっと働き続けるわけじゃなかったんだな。ごめん」

 スタンが腰を下ろし、僕の肩に右手を置いた。

「別にいいんだ」

 僕はうわごとしか残せなかった。


---


 1週間後、片思い相手のロスを吹き飛ばすかのように、魔法学園内は修羅場と化していた。

 廊下、教室、運動場まで、そこかしこで魔法生徒たちが乱闘を繰り広げていた。正確には、僕たちが学ぶグレナッド魔法学校の地下に「ミカエルの石」があると聞きつけた悪のグループ「ロウ・ノー団」が大挙殴り込み、学園の生徒や先生たちに襲いかかっていた。

 僕は乱闘をかいくぐりながら、かろうじて魔法攻撃の巻き添えを逃れつつ、運動場に飛び出して状況を確かめた。白のローブをまとったグレナッドの生徒たちと、黒のローブであるロウ・ノー団が入り乱れるなか、僕はとんでもないものを見てしまった。

「ぐあああああああっ!」

 親友のスタンが、黒服の女子ウィザードから野太い魔法光線を浴び、大広間の扉をいとも簡単に突き破り、立ち込める煙の奥に消えてしまった。確かに凄まじい魔法攻撃を浴びて悶えるその顔は、スタンだった。

 僕は愕然とし、その場に立ち尽くすしかなかった。しかし、驚くべき現実はこれだけではない。

 スタンを追い払ってしまった女子が振り向くと、その顔は間違いなくキーラだった。

「キーラ?」

 彼女は僕の姿を見て気まずくなったのか、そそくさとホウキに乗り、乱闘中の生徒たちをかいくぐりながら廊下を飛ばした。

「おい!」

 僕は考えるよりも体が先に動いた。気がつけば自分もホウキにまたがり、入り乱れる人々や飛び交う魔法攻撃をギリギリで避け続けながらキーラの背中を追っていた。

 やがて彼女は人気のない廊下を突っ切り、開いていた扉の奥へ入り込んだ。僕もキーラを追うままに突入する。

 キーラはホウキをスピードダウンさせながらも、止めきる前に華麗に降りて着地した。近くにいた男子に、僕は嫌な予感がした。

「ふう、ただいま」

「おかえり……でも余計な奴がついてきてるぞ」

 謎の男子の忠告で、キーラが僕の姿を見る。僕はキーラが悪さをしているという事実だけでなく、彼女の隣にいる男子の不気味さも恐れていた。

「あれ、何でここにいるの?」

「いや、そっちこそ、そこにいるのは誰?」

「彼氏」

 キーラの即答は、僕に信じがたい現実を突きつけた。二人の間には、真四角に切り取られたかのようなへこみがあった。もしかしてここにミカエルの石が眠っていたのか。

「あっ、ちゃんとミカエルの石、持ってるんだね、ジェイコブ」

 ジェイコブはどや顔でわしづかみにした石をキーラに示し、彼女は嬉しそうにジェイコブとキスを交わした。非現実的な出来事にしては、あまりにもスムーズに事が流れている。そんな印象を受ける二人の動作が、あったとう間に僕の怒りを燃え上がらせた。

「さあ、行くか」

 ジェイコブがミカエルの石を懐に収めたときだった。

「デ・バスタルディス」

 『この野郎』という意味の言葉を僕が放ったとき、ジェイコブの体が強張った感じがした。しかし僕は容赦なく、攻撃を放つ決心をした。

「アタカス・トニトルア!」

 僕はいきなりジェイコブに稲妻の魔法光線を放った。ジェイコブは咄嗟に身を翻してかわす。稲妻が壁にあたり、激しい爆発を起こす。人の頭ぐらいの無造作なへこみが壁にできたが、そんなことを気にしている場合じゃない。

「アタカス・トラベム・マレディセーレ!」

「トニトルア!」

 ジェイコブも苛立った様子で、紫色の光線を杖から放ち、反撃してくる。僕も迎撃し、二つの光線がぶつかり合う。

「ペトラム・ガネッターナ!」

 横から深紅の岩石ような大きさのエネルギーがぶつかってきて、僕は吹っ飛ばされてしまった。キーラがダメージを受けた僕を見て、バカにするように笑っていた。

 僕は衝動的に立ち上がり、キーラに向かって反撃した。すぐさまジェイコブも攻防に加わり、僕は1対2で激しい魔法のケンカを続けた。何度も劣勢を強いられ、気がつけば僕もアイツらも、服装がズタボロになっていた。でも服の損傷度合いは、僕の方が幾分かひどい感じがした。

 疲労困憊になりながら、本能で立ち上がる僕。気がつけば、前方にジェイコブ、後方にキーラ。そして二人そろって聞き苦しい呪文を唱えている。同時に必殺魔法を放ち、僕を前後から押しつぶす魂胆か。

「リアース!」

「リアース!」

 二人の杖が物騒な閃光を始めた。今にもそれぞれからドデカイ花火が打ちあがりそうだと思った。ジェイコブの杖から、人間とは比べ物にならない大きさの竜の形をしたエネルギーが現れた。キーラからは深紅の竜が現れた。二匹がかりで僕の身を跡形もなく焼き尽くす気か。

 この瞬間の僕には、ひとつしか方法が残されていなかった。僕は自分の胸元に杖を向けた。

「クピオ・エニム・ホック・モメント・ネガーレ。ウルティマム・インテメラータ」

 ウルティマム・インテメラータ、それは1週間に一度しか使えないものだった。

 しかし、無情にも二体のドラゴンからは、それぞれの色をした、苛烈な火炎光線が放たれる。僕が焼かれるのも時間の問題だった。僕はすべてを受け入れるかのように、目を閉じた。


 ……何も衝撃を感じない。少なくとも両サイドから魔法攻撃による熱量は嫌というほど味わっているが、それでも体を焼き尽くすには至っていない。そう実感したときには、僕の前後で、激しい衝撃音が起きていた。

 密室で起きた壮絶な爆発が、二カ所同時に起きた感じがした。室内の激震には耐えられず、僕も床に伏せて身を守る。僕の体の上を、大量の煙が行き交っているのがわかった。それよりもこの時間を生き残らなねば、一秒でも長く生き残らねば。僕はただそう願っていた。


 石壁の部屋が、静寂に包まれた。

 おそるおそる起き上がると、激しくへこみながら穴が空き、屋外が見えている壁際でジェイコブが倒れていた。キーラにいたっては、部屋の出入り口どころか、向こう側の部屋の奥まで吹っ飛び、瓦礫をぶちまけてながらうつ伏せで倒れていた。

 ジェイコブの懐を、独りでに石がすり抜けてきた。紛れもなく、ミカエルの石だ。それは独りでに僕の前を漂い、数秒間そこで留まっていると、もとの穴に舞い戻っていた。僕に「助けてくれてありがとう」とお礼をして、帰るべき場所へ帰ったみたいだった。

 どうやら僕は、ミカエルの石を運良く助けられたようだった。

 自分でもひどいと思うほどおぼつかない足取りで、修羅場をあとにする。廊下に出て十歩ぐらい進んだところで、ついに全身から力が抜けて倒れてしまった。


---


「ジェイコブ、ジェイコブ」

 誰かに呼ばれて目が覚めたら、遠い天井が見えた。周りを確かめると、どうやら僕は医務室に担ぎ込まれ、ベッドでたいそうに眠っていたわけか。

「よかった、目を覚ましてくれて」

 両腕をクロスしたまま、ギプスらしきもので固定されていたスタンが、胸をなでおろした様子だった。

「僕は、大丈夫なのか?」

「ああ、やっぱり君は運が良かった」

 スタンが何を言っているのか、僕にはサッパリわからなかった。

「運が……良かった?」

「キーラは、スパイだった」

「スパイ?」

「アイツは、ロウ・ノー軍団のスパイとしてこの学校にもぐり込んでいた。ジェイコブはお前が告白する前からの彼氏にして、ロウ・ノー軍団メガレーム地区の支部リーダーだった。どの道キーラの彼氏だったら、お前はこの魔法学校を追われていたことだろう。だから運が良かった」

「そうだったんだ」

 キーラの新事実に血の気が引いたが、同時に安心している自分もいた。

「それに、君は3日間ずっとここで寝ていたけど、原因がわかったらしい。ウルティマム・インメラータを使ったからだろうって。僕は両肩脱臼とかだけど、君のケガ自体は打撲とか裂傷が全身に散らばっている程度だって」

「そうなんだ」

「悪者にならなければ、ケガも悪くなりすぎずに済んだ。やっぱり君は、運がいいんだね」

 スタンの言葉を聞いて、自身のステータスの凄さがわかってきた気がした。

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