要加费
トテチテが死んでから五時間半ほど経つが何も起きないのは妙だ、と夏子はウォーターベッドの上で仰向けになったまま、逆さまに映る『11:54:43』という残りの制限時間を睨んだ。ダークウェブを介して連絡を取った相手からの返信はまだない。
視線を右へと移動させ、壁に表示された赤い『390』の数字を見つめる。作品を公開したあと、しばらく経ってから部屋に鳴り響いた金属音とともに『10』だけ減った。予想では『400』が『0』になるはずだったのだが、完全に思惑が外れた。
次の判定時にならないと反映されないのだろうかとも考えたが、それでは音が鳴って即座に減った『10』の説明がつかなくなる。と結論を急ぐ前に、『10』という減点が何によるものなのかを調べた。
金属音が鳴る直前の、自分が取った行動にイレギュラー性はなかったか、また周囲に何らかの変化は起きていないかを。
変化があったのは一点だけである。
作品を投稿したサイトの一つに感想が投げられていた。『物足りないから早く続きを書いてほしい』という、催促や期待と取れる内容だった。悪意のある感想ではない。肯定的なものだ。
ところが、ポイントは減った。これで『感想や評判の善し悪しはポイントとは無関係』という、最前の自分の考えが誤っていたのだとわかる。では、それらを踏まえて導き出される、違和感の正体ともいえる解とは何か。
逆なのだ。
おかめのクソッタレは『ポイントを稼ぐと立場を優位にさせる』だのと
とだけ考えるのは短絡的すぎる。仮定として、読者からの否定的な反応はマイナス、それと対をなす肯定的な反応にはプラスと、二種類のポイントが存在すると考えるのが自然だろう。
これにより、『400』から減ったように見えた『10』が、実は加算されたプラスのポイントだという説が真実味を帯びてくる。ここでようやくクソおかめの言う負債なるものと発表された順位の意味、それからモニターに映っていた肋骨を切除された女性の正体が判明することとなる。
1位 紅 朱音 1660
2位 霧海 塔 1120
3位 馬頭間 頼斗 700
4位 屍蝋 兇夜 400
皇 奇迷乱 400
トテチテ 400
つまり、負債とは壁に赤く表示されたマイナスポイントを指し、順位はベストではなくワーストの並びであり、モニターに映っていた女性は『紅朱音』だったのだとわかる。同時に、左足を失ったのも『屍蝋兇夜』ではなく、ワースト二位の『霧海塔』だったのではないかと推察できる。
こう考えるとすべて辻褄が合うのだ。
さらに言えば、腎臓を摘出された男は『馬頭間頼斗』でほぼ間違いない。判定結果が出る前から施術を受けていたし、もし彼が『屍蝋兇夜』であるとすれば、同率最下位の私が無事なのはおかしいではないか。
だが、それでは施術を受けさせられる者と、そうでない者との違いは何なのかという疑問が残る。境界線はどこにあるのか。
考えられる対象決定のパターンは二つ。無条件でランキングの上位三名か、もしくはある一定のポイントに達した者かだろう。いや、ヤツなら三つ目の両方という、えげつないパターンを採用する可能性は十分にある。
「キャー!」
突如、サスペンスドラマで耳にしそうな女性の薄っぺらい悲鳴が響き、夏子は大きく身を震わせたあと、次に何が起こるのかを息を殺したままじっと待った。何にせよ、対象は私ではないはずだ。また誰かの処刑だろうか。
視界に入っていた暗いモニター画面に、『本名 多田博史』という白抜きの文字が現れたのが見えた。なぜ執筆名ではないのだ。これでは誰なのかわからない。
身体を反転させて俯せとなった夏子が、少しずつ明るくなってきた画面を眺めていると、髪の長い男性が背中を丸めて立っている姿が中央に浮かび上がってきた。
「あー、あのさー。もう一回トイレ」
間延びした声が聴こえ、見知らぬ男性の排泄シーンを見せられるのかと、思わず視線を逸らしそうになった夏子は、画面内左下の床から何かが盛り上がってきているのに気づいて目を細めた。
アングルが切り替わり、斜め上から捉えたと思しき男性の後頭部と髪の伸びた肩周辺が映る。床から現れた箱状の物体のドアを開け、男性がなかへと消えた。物体はおそらくトイレなのだろう。ほどなくして男性がドアから現れた。
再び斜め上からのアングルに切り替わると、箱状物体が床下へと沈み込む手前あたりでローアングルとなり、画面右側に立つ男性が画面左側に開いた床の空間を睨みつけている構図が映った。
何か落としてしまったのだろうか、などと
すぐさまアングルが変わる。今度は何かの製造工場のような、両側に
上部で床が閉じたのだろう、画面が一度暗くなり、瞬きする間もなく非常灯のような暗めの赤いライトが空間に灯った。遠くに映る男性は床に横倒しになった状態で動いていない。
あのトイレがこの部屋ほどの高さがあるのだとしたら、彼は二メートル近い場所から落下したことになる。受け身を取った様子はなかった。流石に死んではいないだろうが、打ちどころが悪くて気絶したのかもしれない。
画面が同じアングルのまま男性へと近づき、右半身を下にして倒れている彼の背中が映る。彼の服装が黒っぽい色のせいか、怪しげな赤い光と相まって、まるで全身が血塗れにでもなっているかのように見える。
モニターを注視していた夏子は、己の身体の近くで何かが振動するのを感じ、ベッドの上へ手だけを這わせてスマホを探した。左手に硬い物体が当たり、モニターから視線を外して手元を見やる。
『要加费』
簡体字だ。どうやらダークウェブ経由で連絡を取った一人からの返信らしい。おかめに嗅ぎつけられないようメールを削除する。もっと金をよこせだと? すでに前金で五十万円相当の暗号通貨を送金してある。残りは成功報酬だと伝えたはずだ。強欲な中国人め。
「痛ってぇ」
男性の声が聴こえて夏子が顔を上げる。
「モロに腰打ったー。マジ、ハンパねー」
モニター内の男性はよろよろと立ち上がると激しく咳き込み、しばらく両肩を大きく上下させていたが、やがて落ち着くと乱れた髪のかかった顔を上げ、不気味な笑みを浮かべて正面を睨んだ。
「てか、余裕で脱出成功ー! しかもバレてないっぽいし、マジチョロす。でも、肩と腰チョー痛ぇし。あー、ライトもらっておけばよかったなー。なんで赤い照明なわけ? ラブホかっつうの。行ったことないけど」
痛い奴か、あるいはこの監禁によって気が触れたのかとも思ったが、おおかた独り言が癖なのだろう。精神的な不安を過剰に抱えているのかもしれない。
先ほどと同じく、画面が男性を正面から引きで捉えたものに変わった。
「えーっと、上の部屋のドアがこっち側だから、お爺ちゃんと歩いてきた通路を戻るには」とそこで音声が途切れて映像が乱れ、今度は男性の頭を真上から捉えたアングルとなった。すかさず「こっちかー」と声がして男性が画面外左へと消えた。
再びアングルが変わったがモニターには何も映っていない。男性の「うっわ、これ通れるかぁ? てかメンテする人、どんだけ細身だよ。ガリ代表みたいな俺でもキツイっての」という声だけが部屋に響く。
見ていても無意味と夏子はモニターから手元のスマホへ視線を落とし、中国人に報酬の件を念押ししようとメール作成画面を開いたところで、「あ、やべ」という声を聴いてもう一度顔を上げた。
モニターには横から伸びた何らかの可動部分らしきものに脚を絡め、顔面を下へ向けたまま腕を振りまわして
「これ、動いたらヤバ」
男性が言い終わる前に、獣の唸り声のようなモーター音が鳴りだし、金属のぶつかる重い音が部屋に響いた。
「ザッケンナ! 誰だよッ!」
参加者の誰かが何かを要求したのだろう。男性の手前に映る大きな仕掛けが動いている。ベッドやソファ、この男性が頼んだようにトイレということもありうる。
「ちょ、待ッ! これ、ここの列の、向こうから順番に動き出して……マジでヤバ。はや、早く、出ッ! うう、動くな、まだ動くなよ!」
男性の願いも虚しく、ひときわ大きな稼働音がすると、彼が絡んでいる物体が左右からじわじわと縮みはじめた。
「ヤメロッ! 誰かぁッ! と、止めッ!」
ゆっくりとした機械の動きに合わせ、木が割れるような音とともに男性の身体が不自然なゼットの形へと折り畳まれてゆく。「りょかッ!」という奇妙な声とともに数本の骨が皮膚から突出し、そのうちの折れた一本が彼の左目を貫く様子が映った。
「かかかかかッ!」
無意味な言葉を発しながら、男性は画面左から迫ってきた巨大な物体と右側の壁に挟まれて潰れ、わずかな抵抗もできずに一瞬で
「かかかかかッ!」
一体どういうことだ。これはリアルタイムの映像ではなかったのか。
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