第15話 なんか朝食だって

 窓の外が薄ぼんやりと明るくなり始めた頃にリグロルの目がスッと開かれる。

 目覚めて最初に目に入ったのは自分の可愛らしいご主人様。

 すぅすぅと安心しきった寝顔はまだあどけなさが残っている。

 眠っている間に少し乱れた艶やかな髪を手櫛でさらりと整えても呼吸に変化はない。疲れていたのか、とても深く眠っている。

 ゆっくりと頬に手を当てるとその滑らかさと柔らかさに囚われていつまでも触っていたくなる。

 この寝顔を見ながらもう少し一緒の時間をすごしたいと思うがそろそろ時間だろう。

 文月を起こさぬようリグロルはゆっくりと静かに毛布から抜け出し、自分が寝ていた隙間をつぶし文月が冷えないようにする。

 柔らかいが完全に冷え切った絨毯と空気。まずは暖炉に火をおこすために僅かに残っていた熾火を掘り出し薪へと移す。少し多めに薪を放り込んでリグロルはまだ眠っている文月に一礼して退室した。

 さあ今日も可愛らしいフミツキ様にきちんとお仕えしよう。何より今日はタルドレム王子とお出かけだ。しっかり進展していただかなければならない。

 姫君の部屋よりはるかに冷えた廊下を少し急ぎ足で歩きながらリグロルは自室へ向かった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「フミツキ様、お目覚めになってください」

「うー……、リグロル?」

「はい、おはようございます。そろそろお目覚めになってください」

「うん……起きる……」


 もぞもぞと文月は一旦毛布にもぐり、それからゆっくりと起き上がった。

 室内はカーテンが開けられており差し込む朝日のまぶしさに文月は目を細めた。

 暖炉には火が燃え上がっており、室内は夜明けの冷たい空気と暖炉のぬくもりが溶け合っていた。


「おはよー……リグロル……」

「おはようございます、フミツキ様」

「リグロル早起きだねー……」

「フミツキ様より後に起きるわけにはまいりませんから」


 足で毛布を押しやった文月はまだ寝ぼけ眼だ。


「ふあぁあぁああー」


 お姫様にあるまじき大きな伸びとアクビを文月は思いっきりした。


「フミツキ様、色々と見えてしまいますよ」


 そう言ってリグロルは自分の口と股を押さえた。はっとした文月が口を押さえ露になった下着を慌てて隠す。今更な行動だが、おかげで目は覚めたようだ。


「ふぁっ」

「お目覚めになられましたか?」

「うん、起きた、覚めた」

「お顔をお拭きください」


 リグロルは湯気の立つ洗面器をキャビネットに置くと文月の髪を後ろで手早くまとめる。

 文月は洗面器に両手を入れ顔を洗う。何度か繰り返すと思考がようやくクリアになった。


「ふぅー」

「お拭きください」


 文月が顔を拭き終わったタイミングでリグロルが横からタオルを渡してくれた。


「ありがとう」


 ごしごしと顔を拭いた。顔を洗って拭いただけだが意外なほどさっぱりした。


「さっぱりしたー」

「よかったです」


 にこにことリグロルがタオルを受け取った。


「よっと」


 文月はベットからおりる。少しふらりとよろけたが今日は昨日よりも上手く立てた。さて立ち上がったはいいがどうしよう?

 ぶるっ。

 生理現象。

 あー、またあの恥辱に耐えねばならないのか。


「……トイレに行きます」

「はい、お手伝いは必要ですか?」

「大丈夫っ大丈夫」


 まだまだトイレは恥ずかしい。

 自分の頬が少し赤くなっていることに気がつかない文月はゆっくりと一歩を踏み出した。昨日よりバランスを大きく崩すことなく歩ける。

 内心でよしっと思いながら二歩目を踏み出した。

 リグロルは文月の後ろに付き従った。

 文月はよろよろとしながらも何とかトイレの扉までたどり着くことが出来た。


「ふぅー……」

「ご立派でした」

「いえいえ、それでは」

「はい、私はここに控えておりますので」

「うん」


 ドアを閉じ文月は便座に座る。

 ……。

 あ、パンツ下ろすの忘れてた。

 一旦立ち上がりネグリジェを捲り上げてパンツの両端を指で引っ掛け膝まで下ろす。ネグリジェを腿の上でまとめてあらためて便座に座った。

 ちょっと静かな時間の後、水音が室内に広がった。

 やっぱり恥ずかしいなー。

 自分の小水の音に照れるのも変だとは思うが恥ずかしいものは恥ずかしい。だって女の子のおしっこの音だ。いずれ慣れるときが来るのだろうか?その時が来て欲しいような欲しくないような微妙な心持ちになりながら文月は紙を取った。

 前から後ろ、前から後ろ。

 自分で自分のお尻周りを撫でて拭き忘れがないか確認。

 膝の辺りで小さく縮んだパンツを持ちながら便座から立ち上がった。

 よいしょっとパンツをはくとお尻に食い込む。食い込んだ部分に指をいれ広げてお尻全体を覆うように直した。

 あー、まるで女の子の仕草だよ。あ、いいのか。いや、悪いか。


「お、おまたせ」

「お気になさらないで下さい。お一人で何か不都合はございませんでしたか?」

「うん、無かったよ」

「それはようございました。あら……フミツキ様」

「ん?」

「下着の中にネグリジェが入ってますよ」

「えっ?」


 リグロルが膝をつき文月の腰を抱えるようにしてネグリジェを引っ張り上げた。

 お尻を布でなで上げられて、パンツが食い込んだ。


「にょわっ」


 リグロルはネグリジェを離すと手を入れて食い込んだ下着を直してくれた。


「あ、ありがと……」

「お気になさらないで下さい。けど下着はお気をつけ下さい」

「うん、うん、気をつけるよ……」


 食い込んだ感触がまだ残っていて文月は両膝をこすり合わせた。

 うぅ。

 何か違うこと考えよ。


「えーっと、朝ごはんかな?」

「はい。朝食はこちらにお運びしましょうか?」

「普通はどうするの?」

「王族の方々は夕食をお召し上がりになった食堂で食事をとられるのが普段です」

「おぉぅ……僕も行ったほうがいいのかな?」

「はい。夕食は執務の関係でずれることは珍しくないですが朝食はご一緒にとられることが殆どです」

「あー……、一家団欒、というか王族の朝食に僕が行っていいのかな?」

「もちろんです。国王様直々に出来るだけ食事は一緒にとるようにと仰せつかっていますから」

「おぉー……じゃ行こうか」

「はい。では着替えましょう」

「そっか。だよね」

「はい」


 自分の姿を見下ろしてちょっとネグリジェをつまみあげる。さすがにこの格好で国王と朝食は無理だろう。

 文月はよろよろと自分で衣装部屋の前まで歩き鏡台の前に座った。


「何とか歩けるようになってきたかな」

「そうですね。お姿がお美しいと思います」

「いや、そんなこと」

「本当ですよ」


 にこにことリグロルは文月に着せる服を選び出す。


「あら、リィツィがドレスを追加したようですね」

「え?すごいね、早くない?」

「あの娘は服飾に関しては天才です。服飾に関しては、服飾に関してはですけど。おそらくフミツキ様ご本人とお会いしたのでその時のひらめきで縫い上げたのだと思います」


 何度も言ったね。

 リグロルが新しいドレスを屏風にかけてくれた。基本色は濃い青。いや藍。

 飾り気は控えめで華美という印象は受けない、が、とても可愛らしいデザインだと文月は思った。

 ちくちょー、ボクに似合うよ。ちらりと鏡の自分と目を合わせ頬を染める。

 ある程度自分の容姿が他人にどういう印象を抱かせるか分かってきた文月だった。

 しかし他人の望む自分の姿と自分が理想とする自分の姿が必ず一致するとは限らない。文月は新着ドレスを着ようかどうか迷った。

 文月が迷っている間にもリグロルは他に3着のドレスをお披露目して待機姿をとった。あぁ僕が選択するんですね。

 ええぃくそ、新着ドレスが一番似合うよこんにゃろー。


「せっかくリィツィが頑張ってくれたんだからそれにしようかな……」

「畏まりました。リィツィも喜びます」


 うわーリグロルがいい笑顔。

 というわけで早速素っ裸にされる。え?素っ裸?なんで?

 鏡の前でもじもじする文月。

 身の置き所が無いんですけど。


「あのリグロル?なんで下着まで?」

「今日はタルドレム様とお出かけなのですから、魅力的なものを身につけなくては」

「下着は見えないよね?」

「お脱ぎになった時に見られますよ」

「脱げばね」

「はい、脱げば」

「……」

「……」

「脱がないよ」

「そうですか?」

「そうですよ」

「もしかして、という事もございます」

「ございません」

「そうですか?」

「そうですとも」


 残念ですと返しながらもリグロルはレースで美しく装飾してある花柄でピンクの下着を選び出す。


「え?それ?」

「はい、こちらです」

「可愛すぎない?」

「では、こちらなど如何でしょうか?」


 そう言ってリグロルが取り出したのは真っ赤な下着と真っ黒の下着。


「先ほどの下着が気に入りました」

「畏まりました」


 即答した。

 片足づつ上げて下着を膝まで通してもらいあとは自分で引き上げる。よいしょっと。

 ブラはリグロルが後ろに回り身につけたあと、乳房を持ち上げ形を整えた。

 肌着を身につけドレスを身にまとう。

 鏡を見てみた。

 あー、もー、かわいいねっ、もぉーっ!

 ぽんっと自分の顔が赤くなる。自分で自分に照れるってどういうことさ。

 自分の心の置き所が分からずなんだかもじもじしてしまう文月だった。


「お髪を結いますね。ご希望の髪形などはございますか?」

「うーん……、女の人の髪形は良く分からないよ。けど、邪魔にならなければそれがいいかな」

「畏まりました」

「あ」

「どうされました?」

「切っちゃえばいいんだ」

「それは出来ません」

「なんで?」

「女の命ですから」

「……リグロル、目が怖いよ」

「命です」

「う、うん、切らない切りません」

「はい」


 鏡越しだったが寒気がした。

 リグロルは短いよね、とはとても言い出せなかった。


「では後ろでまとめてしまいますね」

「はいっよろしくお願いします」


 若干ビビリながら文月は姿勢を正す。

 リグロルはまず三つ編みにしてからさらに後頭部で結った。


「きつめにまとめましたが引きつるような感じはありませんか?」


 文月は首をくるくると動かしてみる。うなじに当たる髪がなくてすごくすっきりした感じだ。


「わー、楽だよ。ありがとうリグロル」

「いいえ、お気になさらず。では軽くお化粧もしましょう」

「あー、そうだったね……」

「はい」


 髪をアップにした文月に似合うように昨日よりもちょっと快活そうなイメージでリグロルは文月に化粧を施した。

 鏡を見ているとみるみるうちに印象が変わってゆく自分に文月はいつの間にか見惚れていた。


「お疲れ様でしたフミツキ様。さあ食堂に向かいましょう」

「……あっ、うん、行こう」


 廊下に出ると空気が冷たい。露になったうなじが急に冷やされ文月は身震いをする。


「うわっ。やっぱり廊下は寒いね」

「そうですね、室内とはやはり変わってしまいます。何か羽織るものをお持ちしましょうか?」

「うーん、そうだね。あると嬉しいかな?」

「畏まりまりた。少々お待ちください」


 リグロルは文月の部屋に戻るとすぐに白いショールを持って出てきた。ふわりと文月の肩にかける。

 軽い布だったがそれだけでも寒さは違った。


「どうぞお使いください」

「ありがとう。リグロルは寒くないの?」

「私は慣れておりますから平気ですよ」

「すごいね」

「そうでもありません。さぁ参りましょう」


 まだ食堂までの道順は覚えておらず今日もリグロルに手を引かれて向かう。

 入り口の扉をリグロルに開けてもらい入室する。

 食器は既に並べられておりメイドたちは壁際に待機していた。


「ほわー、あったかい」


 食堂は廊下よりも暖かく文月は安堵のため息を漏らす。ほっとしたらすぐにタルドレムが部屋に入ってきた。


「おはようフミツキ。よく眠れたかい?ってインプがやってきたんだったな」

「おはよう。よく知ってるね」

「朝一に報告を受けたからな。対策は取るよ」

「ありがとう。けどそんなに大事にしないでね」

「そういうわけにもいかなくてね。城内に魔物が侵入していた事が問題なんだ。隊長たちは今頃しかめっ面で会議を開いているところだよ」

「なんだか大変そうだね」

「まぁフミツキは気にしなくていい、って言い方だと冷たい感じがするが魔物討伐は彼らの沽券にかかわるからね。へたに宥めたりすると実力を軽んじられたと取られるからここは全部彼らに任せきった方がいい」

「信頼してるんだね」

「勿論だ」


 なるほど各隊長たちの職業意識は高いらしい。


「しかし……」

「ん?なに?」


 一歩下がってこっちを見つめるタルドレムに文月は小首をかしげる。

 少しはかない感じの瞳が揺れて快活そうな印象に少し翳がさす。なんと蒼く魅力的。


「よく似合うな」

「え?……あ、これ?リィツィの新作なんだ」


 文月はドレスをちょこんとつまんで照れ隠しにその場でくるりと回る。そしてバランスを崩す。

 あっと思ったらタルドレムに抱えられていた。

 顔近い、顔近いよ。


「うぁ……、ありがと、ごめん……」

「いや、気にするな」

「……ありがとね?」

「あぁ、気にするな」

「……タルドレム……様?」

「様はよせ」

「……ねぇタルドレム?」

「なんだ?」

「……もう……離してもらって大丈夫だよ?」

「ん?そうか、そうだったな」


 自分でも意識していなかったのかタルドレムが少し慌てたように文月から体を離した。

 体は離したが手をつないだまま目線も外さない。


「タルドレム様、フミツキ様、国王様が入室なさっています」


 リグロルが二人に囁いた。

 はっとして入り口の方を見ると大変にご満悦な笑顔を浮かべたお二人がお見えになっていた。


「おはようございます。父上、母上」

「お、おはようございます」


 タルドレムは瞬時に冷静になり挨拶をする。文月はわたわたしながら挨拶をした。


「ああ、おはよう。タルドレム、今日は二人の外泊許可を出そう」

「ありがとうございます」

「フミツキさん」


 ジクドリア王妃がくいっと腰を動かしてみんなに聞こえるような小声でがんばれぇと言った。


「あははーあはー」


 その後、席につき朝食を食べたが文月はどんな味がしたのか全然分からなかった。

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